David Walsh
2015年10月24日
スティーヴン・スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』は、冷戦時のエピソードを扱っている。1957年6月、ニューヨーク市でのソ連スパイル、ドルフ・アベルの逮捕と、約5年後、U-2スパイ機パイロット、ゲーリー・パワーズとの捕虜交換だ。
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『ブリッジ・オブ・スパイ』
弁護士のジェームズ・ドノバンは、裁判でアベルの代理人となり、1962年始めの最終的スパイ交換で大きな役割を果たした。イギリス脚本家マーク・チャーマンと、アメリカ人映画製作者ジョエルと、イーサン・コーエン共著の映画脚本は、ドノバンの1964年の回想録、『橋上の見知らぬ二人: アベル大佐とフランシス・ゲーリー・パワーズ事件』に部分的に基づいている。
オープニング・タイトルが、映画が冷戦の真っ只中、1957年から始まることを説明する。ルドルフ・アベル(マーク・ライランス)は、FBIによる監視下、ブルックリンで、いつもどおり、アマチュア画家のかたわら、隠されたメッセージを回収する仕事をする。実際問題、捜索令状も“相当な理由”もなしに、FBI捜査員たちが全く違法に彼のアパートに踏み込む。
冒頭、正当な主張に対して、生命保険会社を弁護する様子を見せる著名なニューヨークの弁護士ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)は、地方の弁護士協会から、アベルを弁護するよう要請される。彼は刑事事件を扱ったのは大昔のことだと抗議するが、義務感から、彼は仕事を引き受ける。“皆が私を憎むだろうが、裁判にも負けるのだ”と彼は冗談を言った。ドノバンが選ばれた理由の一つに、ニュルンベルク戦争犯罪裁判での仕事で、彼は最高裁判所判事ロバート・H・ジャクソン・スタッフの次席検察官をつとめ、第二次世界大戦中には、OSS(CIAの前身)の総合弁護士をしていたことがある。
アベルは、ドノバンに即座に好印象を与える。(回想録で、弁護士は、ソ連工作員は“類まれな人物で、聡明で、終生かわらぬ研究者のような大変な知識欲だったと書いている。彼は仲間付き合いと意見のやりとりを渇望していた”と書いている。ドノバンは、ほぼ5年にわたる拘留期間中、唯一のアベル面会者だった。)アベルは冷静で、落ち着いていて、非常に知的だった。ドノバンが“不安なようには見えませんね”というと、ソ連スパイは答える。“役にたちますか?”このセリフは何度か繰り返される。
アベルは、アメリカ国民ではなく、単に自分の祖国のために働いている立派な“兵士”なのだから、(数年前にソ連スパイとして処刑された)エセルとジュリアス・ローゼンバーグのような裏切り者ではないというのが、ドノバンの理論だった。
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『ブリッジ・オブ・スパイ』
その間に、CIAがU-2スパイ機を開発し、ゲーリー・パワーズ(オースティン・ストウェル)を含む元空軍パイロット集団を飛行機を操縦すべく招き入れた。U-2は高空を飛行し、大判カメラで、写真を撮影するのだとCIA担当者は説明する。パイロットは飛行機と共に墜落するよう指示され、瞬時に死ねるような毒を塗った針を与えられていた。
アメリカで、ドノバンがアベルを弁護する論拠は、アメリカは“共産主義スパイ”であっても、あらゆる被告が法の適正手続きを受けることを示す必要があるということだ。ドノバンはすぐさま知ることになるのだが、実際は、これとはほど遠い。判事モーティマー・バイヤーズ(デイキン・マシューズ)が、ドノバンとの会話で、迅速な有罪判決を進めるよう期待しており、そう計画していることをはっきりさせる。彼は、FBIの家宅捜査は違法だというドノバンの主張をはねつけ、政府にとって裁判が円滑に進むようつとめる。憲法第四修正に違反して、証拠が押収されたという理由で、ドノバンがアメリカ最高裁判所に上告するが、5-4の評決で否決されてしまう。
人道的かつ、アメリカ人スパイがいつか逮捕された場合、アベルが生きていれば交渉の切り札になるという実利的理由から、ドノバンは、バイヤーズに、アベルに死刑判決をしないように(第一訴因、国防情報のソ連引き渡し謀議は、死刑に相当する罪だった)強く懇願する。最終的に、裁判官は、ソ連スパイに、三十年の刑を宣告する。
アベルが、アトランタの連邦刑務所で刑期をつとめている間、1960年に、ゲーリー・パワーズがソ連上空で撃墜され、尋問される。ソ連の裁判所で、彼は三年の禁固と、七年の労働という判決を受ける。(アメリカ当局は高度21,000メートルなら、U-2は、ソ連レーダーと地対空ミサイルが届かない範囲だと誤って思いこんでいた。両方の点で彼らは間違っていた。しかも、彼らは愚かにも、いつもより交通量がずっと少ない祝日の5月1日に、パワーズをスパイ飛行に送り出したのだ。) CIAはパワーズが秘密を漏らしてしまうのではないかと心配になる。
第II幕は、ソ連と東ドイツ政府と、アベルとパワーズとの交換と、東ドイツのスターリン主義者連中に捕らえられているアメリカ人学生の釈放について交渉するよう、非公式な資格ながら、CIAによってドノバンが派遣されたベルリンが舞台になる。CIA工作員が、外交的努力を進めるドノバンの周辺をうろつく。東ドイツは、アメリカに、主権国家としての東ドイツの立場を認めさせようとして、アメリカとソ連双方に、面倒をもたらす。出来事は歴史記録の一部なので、ドノバンが任務に成功した秘密を一切暴露することなく、西ベルリンと東ドイツを結んでいる橋の上で終わる。
『ブリッジ・オブ・スパイ』には楽しめ、称賛すべき点が多々ある。ライランスはアベルの知性と揺るぎなさを伝える点で、実に素晴らしい。彼が登場する場面で映画は最も現実的で、陳腐さがない。
逮捕される時までに、本物のアベルと実に様々な体験をしていた。彼は、1903年にイギリスでウィリアム・オーガスト・フィッシャー(おそらくは、ウィルヘルム・リープクネヒトと、オーガスト・ベベルにちなんで?)として、ドイツ系ロシア人革命家亡命者の家庭に生まれた。父親は一時、レーニンの協力者だった。一家は、革命の後、ソ連に帰国し、1927年、フィッシャー-アベルは、ソ連諜報機関で働くようになった。
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『ブリッジ・オブ・スパイ』
彼はすんでのところで、1930年代末の大粛清をきりぬけた。彼の義弟はトロツキー支持者であることで非難され、フィッシャー-アベルは、一時、NKVDを解雇された。第二次世界大戦中、彼は重要な対ドイツ諜報作戦に参加する。1948年、彼はソ連スパイを統轄するため、アメリカに派遣された。逮捕後、死刑に相当する罪を前にしながらも、彼はFBIに協力することを拒否したか、何も語ろうとはしなかった。
ありきたりで洞察力に欠けた形で役が構想されているため、ドノバン役のハンクスはそれほどできは良くない。ハンクスは、荒海の中、常識的な道を進もうとしている中流階級の普通のアメリカ人を演じている。彼の演技は申し分なく素晴らしいが、真実味に欠けているのだ。ジェームズ・ドノバンの名は、やぶから棒に選ばれたわけではない。影響力があり、有力なコネ(ウオール街や情報機関などの間で)をもった人物で、後に、ニューヨークで民主党のアメリカ上院議員候補者として立候補もする人物だ。オンラインで見ることができるビデオでは、彼は狡猾で、おそらく、かなり冷酷な人物に見える。
アメリカ・エリート自身が、ケネディ時代には、国家の伝統に対し、いささか違う関係を持っていた。帝国主義的野望を執拗に追求しながらも、政治とマスコミの支配体制は、まだ、守るべき自信があったか、ある種の民主的規範に対し、少なくとも口先だけは賛同していた。ドノバンは回想録の中で、アメリカでもっとも憎悪されていると思われる人物アベルを弁護するという彼の決断は、彼の同僚“仕事上の知人や、アメリカ合州国全土の弁護士”から広く支持されたと述べている。例えば、元米国弁護士協会会長は、彼にこう書いていた。“不人気な主張の弁護は、我々の職業を天職にするものの一つです。”
ドノバンは、最高裁判所の準備書面で、以下のように結論づけている。アベルは、ソ連のスパイという極刑に価する罪で告訴されている外国人です。アメリカ憲法がそのような人物の保護を保障するのは異例にも思えるでしょう。何も考えていない人々は、アメリカによる自由な社会という原則の誠実な遵守は、利他主義としてあまりに几帳面に過ぎ、自滅に到る可能性を見るかもしれません。しかし、我々の原則は、歴史と 国法に刻み込まれている。もし自由世界が、自らの道徳律に忠実でなければ、他の人々にとって、渇望する社会がなくなってしまいます。”
映画には、どうやらそのきらいがあるが、ドノバンを、リンチをしようとする雰囲気の大衆に直面した、憲法と権利章典の聖人のような擁護者として、あるいは、CIAとアメリカ国家が設定した秘密計画の振り付け通りに動くだけの皮肉屋の、いずれにも描き出す必要はないのだ。ドノバンは、アメリカ支配層の権益の擁護者であり、同時に、被告の基本的な憲法上の権利を本気で信じているように見える。
スピルバーグ映画(特にアメリカ生活に関して)ではよくあることだが、人物や状況が、感情に流されず、本当に客観的なやり方で、描き出される繊細で痛烈な場面と、気力を萎えさせる自己満足や愛国的賛美を発散させる、あたかもノーマン・ロックウェルの絵のように描かれた場面が、交互に入れ変わるのは、不快で説得力に欠ける。
刑務所でのアベルとドノバンとの間の場面や、多数の裁判所の場面や、CIAがパワーズや同僚パイロットを訓練する場面は、写実的かつ正確に演じられている。ここで、スピルバーグの、ペース、映画全体のリズムと、構成に対する本物の感覚が活躍する。しかし映画制作者たちは、中産階級の家族生活を理想化し、改ざんすることに抵抗するのは困難だったのだろう。ドノバンが帰宅すると、妻が時折不満を言うものの、観客は映像の温かさに浸るよう促される。芸術的に、作品は停止してしまう。
しかも、概して『ブリッジ・オブ・スパイ』の前半は後半より格段に強力だ。映画製作者は、アベルを非常に同情的な調子で描いている。たぶん彼らは、東ベルリンや、ソ連と東ドイツ当局者を、陳腐でありきたりな姿で構成し、ソ連スパイを複雑な人間として描き出す自分たちの厚かましさを償う必要性を、意識的なり、無意識的なりに感じたのだ。こうした場面は、どこかプロパガンダ映画の内容のようだ。国境警備兵全員はおどすように乱暴だ。役人は全員が陰険か、残酷か、その両方だ。映画の色合いが、東ベルリンでは、くすんだ灰色と黒の調子に変わる(そこでドノバンがニューヨークに戻るところが活気づき、2月だというのに、木々には、突然、奇妙なことに葉が繁っている!)。
冷戦期に制作された数多くの映画『寒い国から帰ったスパイ』『国際諜報局』『パーマーの危機脱出』や、アルフレッド・ヒチコックの作品中でも秀作とは言えない『引き裂かれたカーテン』や『トパーズ 』さえ、そして他の作品も、アメリカの“自由世界”という主張に関しては、『ブリッジズ・オブ・スパイ』よりずっと懐疑的だった。映画製作者は、若い世代に間違ったことを教えているのを恥じるべきだろう。
結果として、『ブリッジ・オブ・スパイ』は、重要な時期には、比較的ほとんどふれずにいる。こうした疑問のそばには近寄らないことを選んでいるのだ。ソ連は一体何だったのか、そして一体どうして、アベルのようなこれほどの忠誠心と献身を引き出せたのだろう? 上っ面の虫のいい表現の下にあった、冷戦の本質は一体何だったのだろう? アメリカ・リベラリズムの矛盾は一体何であり、現在それは一体どうなっているのだろう?
こうした様々な社会層に対する反共産主義の遺産は、依然として重い。反共産主義と結びついた、アメリカにおける、いわゆる自由企業体制の擁護や、世界中での地政学的権益といった偏見や社会的視点から解き放たれるまで、芸術的、知的進歩は困難だろう。
スピルバーグの映画は、過去のみならず、現在をも示唆している。実際『ブリッジ・オブ・スパイ』の中で、現代アメリカ生活に関する映画製作者の懸念は、最初から明らかだ。FBIとCIAは暴力的に振る舞い、裁判官は基本的な民主的権利に無関心で、マスコミは、後進性や恐怖をかきたてる。
彼は有罪には見えるが、アベルは基本的に、無理矢理、監獄に送られている。『アベル大佐裁判』の中で、ジェフリー・カーン法学教授が述べている通り、1957年8月の告訴の時までに、“アベルは、連邦捜査員に捕らえられ、全く秘密裏に、最初に逮捕された場所から2000マイル離れた独房監禁に、弁護人との接触もなしに、いかなる理由でも、司法官僚の前に姿を現すこともなく、48日間留め置かれていた。”
スピルバーグとハンクスは、インタビューで“対テロ戦争”や、グアンタナモや、他の場所における被拘留者の処遇のことがずっと頭の中にあったことを明らかにしている。ハンクスは、映画のウェブサイトCollider.comのインタビューでこう語っている。“人々の拷問を始めれば、すぐに、相手側に全く同じことをする許可と大義を与えてしまうことになりますが、アメリカの規範はそういうことではありません。… 自分たちの国に逆らっていると思える誰かを処刑し始めれば、KGBやシュタージとさほど違わなくなります。それはアメリカの目指すところではありません。ドノバンが最初から身につけていたのはこれです。これは否定できません。”
スピルバーグは、エンタティンメント・ウイークリーにこう説明している。“保険会社の弁護士だったが、元ニュルンベルク裁判の次席検察官で、アメリカでは、あらゆる人が弁護されることを世界に示す為、この仕事を引き受けるよう要求されたジェームズ・B・ドノバンという名の人物の存在は、つい最近知りました。誰でも公正な扱いを受けるのです。こうした道徳的主題に私は共感します。特にリンカーンに由来するものですから。”
拷問、警察国家、軍国主義、憲法規範の侵害、国家暴力こそ、まさに現在の公式アメリカだ。映画製作者は現実から遊離しており、彼らの懸念はきっと本物なのだろうが、いずれも、あまりにおざなりだ。状況は遙かに進んでいる。
同様に『ブリッジ・オブ・スパイ』制作中、緊張が現在のレベルには至っていなかったことは疑うべくもないが、米ロ関係の問題は、脚本家や監督に重くのしかかっている。映画は、交渉や外交、妥協において、冷静さを優先するようにという呼びかけだ。 彼らの懸念は本気だが、大災厄との遭遇へと向かうアメリカの支配層エリートを突き動かしている、社会・経済的な力の深みを、彼らはまたしても、あまりに過小評価している。
記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2015/10/24/brid-o24.html
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『月刊住職』という雑誌の目次を、毎回新聞のサンヤツ広告で興味深く拝見している。これまで購入しようと思ったことはなかったが、下記見出しをみて正月号、是非拝読したくなった。
大本営広報部報道、いつもは真面目に読む気力は起きないが、長谷部恭男・早稲田大学教授と、杉田敦・法政大学教授の対談、真面目に拝読した。きちんと「緊急事態条項」問題を指摘しておられる。
気になるお相撲さんのひとり、時天空、悪性リンパ腫で休場。
一体、なぜ今、この映画なのか、昨年秋に、この記事を読んで不思議に思った。
いまでも不思議に思う。
ISとの、人質交換を言いたいのだろうか。
ロシアとの本格的冷戦再開を言いたいのだろうか。筆者が指摘する通り、宗主国、とんでもない下劣な帝国に成り下がり、それとともに第一の属国は益々惨めな新満州国に成り下がりつつある。
国策プロパガンダ映画『海難1890』なぞ、金をもらっても見ないが、この映画、個人的に気になった。『海難1890』の評判を全く知らない。一体どのような反響だったのかだけは関心があるのだが。
子どもの時に、新聞見出しで「U-2撃墜」とあったのを読んだ記憶がある。
検問所、通過した経験がある。チェック・ポイント・チャーリーだったかどうか定かではない。
訪問した西ドイツの人が帰還するのを見送るのかどうかわからないが、東ドイツ側の人々が皆様、文字通り号泣していたのを覚えている。
荒涼とした東側、ネオン煌きジャンズ高鳴る大ベルリンという華やかさの対比に心底驚いた。
筆者が指摘していることを、エンドロールを見ながら、つかの間考えた。
ソ連は一体何だったのか、そして一体どうして、アベルのようなこれほどの忠誠心と献身を引き出せたのだろう? 上っ面の虫のいい表現の下にあった、冷戦の本質は一体何だったのだろう? アメリカ・リベラリズムの矛盾は一体何であり、現在それは一体どうなっているのだろう?
民主党やら異神やらの有象無象の与党別動隊の活躍を見ていると、宗主国に習って、共産主義憎悪プロパガンダの負の遺産、「人類を」ではなくとも、「属国を」破滅させるには十分すぎるほど強烈な洗脳であること一目瞭然。民主党やら異神やらの方が恐ろしい。しかし、
馬鹿は死んでも直らない。
庶民には共産党より何より、属国ファシズムのほうが、はるかに怖いだろうと思うのだが。