今、世界が大きく動いている。
あるカリスマ占星術師が
「2014年は、アメリカの信用が著しく崩壊する」
と語っていたが、そのようになってしまった。
どの時代でも、上り詰めた者たちというのは傲慢になり、
崩壊への道へと転げ落ちていく。
さらにアメリカが大きく力を落としたのは、
中間層の没落にある。
1%の勝者、その他99%の貧困層という社会の仕組みが本当に成り立つのか?
ある経済の専門家は、国の力というのはGDPだけで計り知れるものではない。
それよりその国の
「購買力」と言うものが、非常に重要になってくる。
それには分厚い中間層と、その国民のやる気にかかっている、
という。
働いても働いても、暮らしはよくならない。
結局、金持ちに吸い取られてしまう仕組みの社会では、
人のやる気も著しく減退する。
http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/601.html最近のアメリカ社会について、ジャーナリストの堤未果氏がこの上の記事で
このようなことを語っていた
アナウンサー:堤さんはこれまで「貧困大国アメリカ」とタイトルの付いた作品を
3冊上梓されています。この作品はこれに連なる内容ですが、今回も私たちの
アメリカに対するイメージ、覆されました。
堤:はい。特にここ30年ぐらいでずいぶんアメリカは国の枠組みが変わってしまっ
たのと、政治とそれから財界の距離が物凄く近くなったということで、色んなことが
昔ともう違うんですね。ウォール街とか投資銀行・投資家、それから大企業。
そういう人たちがもう、ちょっと力を持ち過ぎている。ですから、株価は上が
っていてもやっぱり潤っているのは上位1%で、残りはもうどんどん転落して
いるという、今そういう状況になってます。
(中略)以下、4:15あたりから
アナウンサー:堤さんは、オバマケアはアメリカをパートタイム国家にして
しまったともお書きになってます。
堤:はい。オバマケアはですね、全米の全ての企業は従業員・社員に保険を
提供しなさいと、これを義務化したんですね。これ最初はみんな、わーっと
喜んだんです。やった、会社が保険を買ってくれると。
ところが、会社もそれはちょっとなということで、どういうことをしたかと
言うと、フルタイムの社員には保険を提供しなさいという法律なので、
みんなパートタイムにしたんです。
もしくは、罰金を払ってもいいから企業保険をうちは提供しませんと。罰金の
方が安いです、というところもあったので、雇用者の数は増えたんですけど、
蓋を開けてみるとパートタイムの人ばっかりなんです。で、みんな保険も
持ってないということが起きてしまった。
(中略)以下、6:55あたりから
アナウンサー:そうするとやはり、国民皆保険制度であるはずのオバマケアは、
日本の皆保険制度とはもうかなり違いますね。
堤:違いますね。これは非常に日本で誤解をされているんですが、まず
国民皆保険制度の日本、これは社会保障なんですね。アメリカの場合は
医療が商品なんです。なので、オバマケアは国民皆保険制度ではなくて
民間皆保険制度。つまり、医療保険という特殊な商品を国民全員に、
買わなきゃだめですよ買わなきゃ罰金ですよ、と義務化しただけなので、
これは儲けを出すための商品なわけです。
一方で日本は社会保障なので、診療報酬制度で一本化されていて、
儲けを出すための株式会社って入ってないですよね、間には。
それがやっぱりもう180度違います。
アナウンサー:堤さんは、オバマケアは国家解体ゲームだという
ふうにお書きになってますね。
堤:はい。オバマケアは医療保険の話だと思いがちなんですけれども、
先ほど言いましたけど、非常にこう株主至上主義になっていった。
で、その中で教育も食も農業も自治体も、色んな物を商品にしていったん
ですね。その最新、最後のターゲットが命と。これ、命をマネーゲームの
商品にしたと。そういう一連の流れがずっと続いているんですね。
グローバル化の中で商品を世界中の市場に売ろうとしたら、一番邪魔なも
のは国家なんです。国家・憲法、それから司法・議会制民主主義・人権。
こういったものがどんどん邪魔になってくるので、やっぱり国家を1つ1つ
アメリカというのは解体してるなあという印象をすごく受けました。
アナウンサー:そして堤さんは、国民皆保険制度を持つ日本はアメリカに
とってキラキラ輝く市場だと警鐘を鳴らしています。
と、、、。
命までが商品化されてしまうアメリカ、、、。
アメリカでは盲腸の手術が200万円という。
日本では、10万円程度だと聞く。
もし、命も金儲けの対象であれば、医療ですら株主至上主義に陥り、
ここでも儲けを出していかなくてはならない。
医者にかかっても、各々の保険会社が、治療してよい項目を提示し、
それ以上のことは出来ない。
なぜなら、医療費をその保険会社が払うことになるから、、、。
さらに莫大な資料を医者が保険会社に提示しなくてはならなくなるし、
それだけでも、かなりの労力になるという。
アメリカでは、命も金儲け。そのため医療費も馬鹿高くなるし、
民間の医療保険も、かなり高額だ。
そのため、アメリカでは社会問題にもなっているが、
多くの人が民間の医療保険に入れず、病気をしただけで
貧困層に次々と落ちていってしまう。
日本の国民皆保険制度というのは、基本的に共助の精神に基いている。
これがどれほどありがたいことなのか?
そしてTPPでは、日本の宝である国民皆保険制度にも食い込んでくる。
命だけではない。食も雇用も、法律も自治体も、すべてが
グローバルリストたちに、大権を与えられ、我々はお金の奴隷と化してしまう。
それらから我々を守ってきたのは、国の規制であり、国家である。
その国家も、自治体も、法律も、議会も、TPPでは無力化させられてしまう。
堤さんもおっしゃっていたが、ここ30年ほどで、アメリカ社会は
市場原理、規制改革などなどを金看板に、結局はほんの一握りの人たちのために
社会のルールを次々に変えていった。
そのため中間層の没落、ほとんどが貧困層社会となってしまった。
そうなればどうなるのか、その国全体野の購買能力が衰退衰退することにもなる。
さらに、犯罪、麻薬、疫病などがはやり、教育も行き届かず、
社会が崩壊していく。
そんな社会では、公共心というモノが消えていく。
それが今のアメリカの現実である。
アメリカの建国の理念とは、
「我々は、神から幸福を求める権利を与えている」
と、、。
これは大きな宗教的解釈の変更であった。
200数十年前、ヨーロッパからアメリカに移民した人たちは、
宗教的束縛や階級社会から離れ、アメリカで自由に活動できると
夢見てわたってきた。
そして、最初は農業とコットンぐらいしか産業がなかったが、
それが石油が発見され、大きくアメリカ社会が変わる。
アメリカの歴史というのは、たかだか二百数十年、、、、。
その歴史の中で、飛躍的に成長できたのは「石油」の存在がかなり大きい。
アメリカで石油が発見され、その使いみち(需要)を模索しながら、
急成長したのがアメリカという国家だ。
車を大量に作り、そのために道路を整備し、輸送手段を飛躍的に向上させた。
さらに、飛行機も、土木機械、農業機械も、石油から出来た軽油、灯油、
ガソリンなどで動く。
そうなれば、大量の鉄鋼も必要にもなる。
そして、石油を原料として、プラスティック、ビニール、合成繊維、
合成ゴム、アスファルト、医療品、化粧品、塗料などがある。
石油という莫大なエネルギーを得ることにより、経済が飛躍的に発展した。
自由と民主主義を旗印に、建国したアメリカは、
これらの繁栄を
、「神が導いた」と強く思ったのであろう。
アメリカとは、人口国家であるが、同時にかなり強い宗教国家でも
あった。
しかし、近年、人々の心から、ジーザスがかなり遠のいて
しまっている。
上田篤氏の著書「都市と日本人-「カミサマ」を旅する-」の中に
こんなことが書いてあった(P15~16)。
そういえば、私の友人がニューヨークのさる経済人の集まりで講演をしたとき
「私は金のためでなく、世の為、人の為に働いている」といって、
なんと聴衆の顰蹙(ひんしゅく)を買った、という話をおもいだした。
「日本なら大受けするはずなのに、アメリカではさっぱりだ」
とかれはぼやく。
そこで彼が現地に長く住んでいる日本人の友人に
「どうしたらいいのか」と尋ねたら、その友人は
「神様のために働いている、といいなさい」
と言ったそうである。
社会学者のマックス・ウェーバーは、
人間は神の恩恵によって与えれてた財貨の管理者にすぎない。
(大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)
といった。確かにアメリカでは、大学や病院の多くの建物が
功なり名とげたひとたちの寄付によって建てられているが、それが聖書の、
「あなたがたは地上に富を積んではならない・・・富は、天に積みなさい
・・・あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
(「マタイ伝」6.19-21)」
によっている。
したがって死ぬときは「財貨は多くの子孫に残さず神の下に返す」
という気風がある。つまり、社会の福祉施設などに寄付していく人が多いのだ。
となると、アメリカの大都市のスカイスクレーパー(摩天楼)も
「神のために働く人々」にとっての「現代のカテドラル(大聖堂)」
なのかもしれない。共産主義であれ、資本主義であれ、またどんなすばらしい法律を作っても、
そのような制度をを使いこなす人々の心の中に何かが存在しないと
けっして社会は成り立たない。
「公共心」とか、「社会の為に」とか、我欲を削り、少しでも全体の為に
一人一人が心がけないと、社会は崩壊する。
「自由」と「自分勝手」とは明らかに違う。
各々が、自分勝手に行動すれば、社会などもつはずがない。
何でプロテスタントが発展してきたか、何でアメリカが発展してこれたのか、
資本主義の中に、このような考えが根本にあったからではなかろうか。
プロテスタントでは、「カミサマの為に働け」としている。
日本的思想の場合は「世の為、人のために働け」ということになる。
結果的には、同じこと。「社会の為に、、」ということになる。
もし、その箍(タガ)が外れてしまったら、どうなるか?
今のアメリカを見れば分かる。
資本主義が、ドンドン尖鋭化していって、新自由主義へと進んでいく。
そうなると、ドンドンと神から離れ、我欲へと突き進む。
「市場には神の手が存在する」というのも
プロテスタント思想も、その「神の手」さえ操り、自らが神にでも
なったつもりなのだろうか。
餓鬼道と化したアメリカ。
世界中で謀略を繰り返し、戦争を繰り返す。
世界通貨のドルを刷りまくり、実態経済が伴わなず
デフォルト寸前。
ほんの一握りの金持ちと、大多数の貧困層。
我欲に取り付かれた一握りの人々が、
すべてを食い尽くしてしまう。
アメリカは明らかに傲慢になりすぎた。
ソ連が崩壊し、日本経済の手足を縛り、唯一の超大国といわれた
時代が到来したアメリカ。
しかし勝ちすぎれば、傲慢になる。
勝ちすぎれば、周りが見えない。
勝ちすぎれば、神から離れてしまう。
アメリカは、「自由」というモノを履き違えてしまった。
「自由」とは、社会が健全でなければ、成り立たない。
「自由」を維持するには、一人一人が公共心を持たなくては
成り立つはずがない。
強い共同体意識、仲間意識、愛国心の
ようなモノが公共心を育て、社会に信用を生む。
ある仏教の教えでこんなのがある。
地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。
そのうどんを食べるのに、1メートルほどの箸が用意されている。
地獄では、各々が競って、うどんを食べようとする。
結果、誰もがうどんを口にすることが出来ず、餓死してしまう。
極楽では、助け合いながら、1メートルの箸を使って、
隣人にうどんを食べさせる。
結果、みんなうどんを食べることができ、幸福感に満たされる。どこが違うのだろうか?
社会に「信用」が崩壊し、欲望と恐怖に取り付かれれば、
やがては、全体が滅亡の道へと突き進む。
欲望には限りがない。
喰っても、喰っても、喰い足らん餓鬼道に取り付かれてしまえば、
過剰すぎる奪い合いが始まる。
自分は、十分すぎるほど満たされているのに、
奪われてしまうという恐怖に取り付かれる。
その恐怖が、さらなる奪い合いへとつながり、
「神」も「倫理」も吹き飛んでしまう。
そんなのが本当に幸せなのか。
本来の自由とは心の中にあるのではなかろうか。
恐怖から自分を解放するには、ひたすら周りの為に汗をかくこと。
慈善活動に汗をかくビル・ゲイツ。
利他の心を説く、京セラの稲盛さん。
欲望と恐怖に取り付かれた餓鬼道から開放されるというのは、
公共心を持って、ひたすら他人の為に汗をかく。
そういう人が多いほど、社会は安定し、多くの人が幸せを感じることが出来る。
一昔前の日本社会を振り返れば、そういうものがあったような気がする。
共産主義は、シロアリ帝国と化して、崩壊した。
資本主義(新自由主義)は、ハゲタカさんたちに食い尽くされて、
崩壊寸前である。
アメリカの没落と共に、新しい何かが、芽生えるのかもしれない。