母から夕方電話があり「お父さんが、テレビに出るから見て!」と。。
浜松市街中にかつて繁栄の象徴だった「松菱」。11年ほど前に倒産して以来 そのまま建物だけが残った。
そして、最近 建物が解体され、更地となった。
その活用方法について 父がインタビューに答えたらしい。
いつも見る父が テレビの中にあった。地域を活性化したい!それを伝えていた
さて、私もそういえば昔 インタビューに答えたことがあった。
今から 3年前になる。ちょうど 抗がん剤治療を終えて、放射線治療中。
「乳がん」の取材。
朝から、カメラが我が家に入り、1時間ほどインタビューして、子どもたちの様子や普段の様子を取材していった
のちに、特集みたいな感じで 番組の中で5分程度流れた。
まだ 年齢的に幼かった子どもたちは「癌」がどんな病気か、一般的に考える「癌」をいう病気について子どもたちは知らなかった。
私の髪が突然 坊主になっても「全く」気にしてなかった。
幼稚園のママ友達も、さらにその子どもたちも 全く「気」にしてなかった。
誰も 私の 坊主について あーだ!こうだ!いう人は居なかった。
ただ1回 サークルの子どもに「ねーなんで坊主なの?」と聞かれたことはあったけど 「 かっこいいでしょ!!」と答え それだけで 終わった。
テレビ取材は実名で受けた。子どもたち3人もモザイクなどせず、出演した。幼稚園の体操服をきて。
そこで「癌」と診断された時に気持ちや、今の治療について答えた、普通に・・・。
今思うと、その時だったから取材を受けることができたんだって思う。
もし 子どもが小学生になっていたら きっと、その番組をみて、いろいろと噂され、子どもにもそのことが耳に入るだろう
もしかしたら、死んじゃう病気!ということが耳に入ったかもしれない。
子どもたちの心の底は聞いてないが、多分 子どもたちは 私が 死と直結する病気ということは全く知らなかったであろうし、今も知らないであろう。
そう思うと、やはり、いい時期に「病気」をしたのだ!と思う。
若いからこそ、親や主人、まわりに心配はかけたが、ガラスのような心を持っている「子どもたち」には気付かれない時期であったことが、
一番良かったと思う。
そしてやはり時期が違えば、取材も受けることはなかったかもしれない。
テレビの前の人に「訴える」ことも出来なかったと思う。