若年性乳がん(トリプルネガティブ)の経験と今思うことを綴る。

幼い子供3人の子育て中に若年性乳がん発症「生きてるだけで丸儲け!」の私がその経験と今思うことを綴っています

父、テレビ出演!

2012-10-03 22:03:52 | 私の出来事

母から夕方電話があり「お父さんが、テレビに出るから見て!」と。。

浜松市街中にかつて繁栄の象徴だった「松菱」。11年ほど前に倒産して以来 そのまま建物だけが残った。

そして、最近 建物が解体され、更地となった。

その活用方法について 父がインタビューに答えたらしい。

いつも見る父が テレビの中にあった。地域を活性化したい!それを伝えていた


さて、私もそういえば昔 インタビューに答えたことがあった。

今から 3年前になる。ちょうど 抗がん剤治療を終えて、放射線治療中。

「乳がん」の取材。

朝から、カメラが我が家に入り、1時間ほどインタビューして、子どもたちの様子や普段の様子を取材していった

のちに、特集みたいな感じで 番組の中で5分程度流れた。


まだ 年齢的に幼かった子どもたちは「癌」がどんな病気か、一般的に考える「癌」をいう病気について子どもたちは知らなかった。

私の髪が突然 坊主になっても「全く」気にしてなかった。

幼稚園のママ友達も、さらにその子どもたちも 全く「気」にしてなかった。

誰も 私の 坊主について あーだ!こうだ!いう人は居なかった。

ただ1回 サークルの子どもに「ねーなんで坊主なの?」と聞かれたことはあったけど 「 かっこいいでしょ!!」と答え それだけで 終わった。


テレビ取材は実名で受けた。子どもたち3人もモザイクなどせず、出演した。幼稚園の体操服をきて。

そこで「癌」と診断された時に気持ちや、今の治療について答えた、普通に・・・。


今思うと、その時だったから取材を受けることができたんだって思う。

もし 子どもが小学生になっていたら きっと、その番組をみて、いろいろと噂され、子どもにもそのことが耳に入るだろう

もしかしたら、死んじゃう病気!ということが耳に入ったかもしれない。

子どもたちの心の底は聞いてないが、多分 子どもたちは 私が 死と直結する病気ということは全く知らなかったであろうし、今も知らないであろう。


そう思うと、やはり、いい時期に「病気」をしたのだ!と思う。

若いからこそ、親や主人、まわりに心配はかけたが、ガラスのような心を持っている「子どもたち」には気付かれない時期であったことが、

一番良かったと思う。

そしてやはり時期が違えば、取材も受けることはなかったかもしれない。

テレビの前の人に「訴える」ことも出来なかったと思う。