これからの世の中は二極化が進むと言われている。私は漠然とこのことを捉えていました。
だかしかし自分の中にこの二極化が進んでいるのを最近感じてきました。
この二極化とは両極端なグル―プへ分かれて行くことで、分離と融合・利己主義と利他主義・不調和と調和等です。
自分は瞑想を指導するようになってから平和を模索してきました。自分自身平和になってきていると思います。
自分の趣味に映画鑑賞がありますが、観ている傾向はアクション物が多い、その中でも戦争を扱った物が多い。
戦争映画のどこを観ているかと言うと、生死を掛けて真剣に戦っている姿です。それに感動するからです。
しかし観ている物が戦争映画となると平和を模索し、平和な心意気になってきていると言うのは怪しいと思われて当然です。
いくら戦っいる真剣な姿だけを観ていると言っても、平和と戦争は相対する概念ですから、私は平和主義者だと胸を張って言い切るのは難しいですよね。
私は戦争がなくなり平和な社会を目指す人間になっていくまたそういう社会に自分は入って行く人間にだけなるんだと思っていたが違うようです。
それは未だ戦争というものを卒業していないためと思えます。次の状態に完全になるには、前の状態と同居する時期を経てからだし、単純にまだプロセスかも知れません。
あと思いつくことがあります。個人個人の意識は実は1つではありません、複数存在し人生を意識は経験しています。
平和を経験する意識も戦好きの意識も同居していっこうに構わない。両方を同時に味わいたいだけのことです。
ひとつひとつ順番に経験していると学びが遅くなりますので、両極に在るようなことも同時に経験していきます。
そんなわけで私はもっと平和な心が自分の中に育っていっても、戦争映画を観るもう一人自分も当分存在し続けそうです。
だかしかし自分の中にこの二極化が進んでいるのを最近感じてきました。
この二極化とは両極端なグル―プへ分かれて行くことで、分離と融合・利己主義と利他主義・不調和と調和等です。
自分は瞑想を指導するようになってから平和を模索してきました。自分自身平和になってきていると思います。
自分の趣味に映画鑑賞がありますが、観ている傾向はアクション物が多い、その中でも戦争を扱った物が多い。
戦争映画のどこを観ているかと言うと、生死を掛けて真剣に戦っている姿です。それに感動するからです。
しかし観ている物が戦争映画となると平和を模索し、平和な心意気になってきていると言うのは怪しいと思われて当然です。
いくら戦っいる真剣な姿だけを観ていると言っても、平和と戦争は相対する概念ですから、私は平和主義者だと胸を張って言い切るのは難しいですよね。
私は戦争がなくなり平和な社会を目指す人間になっていくまたそういう社会に自分は入って行く人間にだけなるんだと思っていたが違うようです。
それは未だ戦争というものを卒業していないためと思えます。次の状態に完全になるには、前の状態と同居する時期を経てからだし、単純にまだプロセスかも知れません。
あと思いつくことがあります。個人個人の意識は実は1つではありません、複数存在し人生を意識は経験しています。
平和を経験する意識も戦好きの意識も同居していっこうに構わない。両方を同時に味わいたいだけのことです。
ひとつひとつ順番に経験していると学びが遅くなりますので、両極に在るようなことも同時に経験していきます。
そんなわけで私はもっと平和な心が自分の中に育っていっても、戦争映画を観るもう一人自分も当分存在し続けそうです。