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死人を生き返らせたイエスさまの噂はユダヤ全土に広まった。
さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。
すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と言わせた。(ルカ7:18~19)
イエスさまは言われた。
「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。
だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカ7:22~23)
バプテスマのヨハネは、イエスさまが「聖霊と火のバプテスマをほどこされる方」であることを紹介した。しかし、彼自身はイエスさまのバプテスマを受ける事はなかった。
聖霊と火のバプテスマは古い人の魂を火葬して、イエスさまの福音に生きる霊を持ったいのちを誕生させる。救いの確信が体に刻まれ、価値観がまったく新しくされるのだ。
あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。(ルカ7:28)
それほどに優れていたヨハネがつまづいたのは、彼自身が伝えて来た聖霊と火のバプテスマを、イエスさまから受けていなかったからで、もし受けていたら完全であったのではないか・・。
彼は人から聞いた言葉によってつまずいた。彼がイエスさまのわざを自分で見、福音を直接聴くことができていたなら、どれほど大きな喜びを得たことだろう・・、もし、その時があったのなら・・。
今キリスト者は、ただ信仰によって神の国の住人とされる。それはなんという大きな恵みであろう。
イエスさまだけにすべての必要を求め、満たされ続けることがないなら、人は何も出来ず、人の言葉に振り回され続けることになる。
すべては、主を知りたいと願う者への備えに拠ることだからである。