おばあさんの訃報が入ったのは、デボーションが終わって聖書を閉じた直後だった。
それからの三日間は、セレモニーホールを行き来しながら親族と過ごした。そこでは誰とも血縁関係にないことに、私は出掛ける前いくらかのしんどさを思ったけれど、ドアを開けるなりその心配は消え去った。そこでの関係において、主人は生きていたから・・。
一緒に病院に行き来して、先のことを相談してきたお嫁さんは「ありがとう」を繰り返してくれ、「ひとりでもし、何かあったら私に電話してね。」ということで携帯の番号を交換した。しかし、携帯は放り出したままで電池切れになったり、滅多に持っていないと話したことでみんなで笑ってしまった。
先日我が家の近くにおばあさんが転院することを了承したばかりだった。「そこならバイクで行くこともできるし、保証人もするよ。」って簡単に引き受けたのだった。
今までの経験から、主はできないことをさせなさらないことを知って居る。どんなときでも必要を準備して助けてくださったから、いつも頼まれたことは断らなかったのだ。しかし、今回は引き受けただけで重荷は取り去られた。
それでも、親戚間での私のクリスチャンとしての出発は問題だらけだった。葬式では焼香はせず子供にもさせなかった。あの時はとても白けさせてしまった。もう少し前もってうまくやる方があったのだけれど、ひとつのことしか考えられなかったのだ・・。
私は親戚や地域の人に告白したかったのだ。「私たち家族は、これからはイエス・キリストだけに頼ります。これから主がされるいことを見ていてください。」と・・、とても不器用にだったけれど・・。
今、その親族の中に居て誰とでもよくしゃべり、いっしょに笑い、いっしょに泪ぐんでいた。
「おばあさんは今頃、『○○、どうしてお前此処におるね』ってびっくりしているよ。」って誰かが言ったのでみな爆笑した。
そう、主人が亡くなったことはおばあさんには知らせてなかったから・・、私も屈託無く笑えたのは、以前おばあさんの手術の夜に付き添ったとき、苦しさの中で「祈って」と頼まれて、癒しに加えて救いをも祈ったことがあり、おばあさんがパラダイスで主人と会うことの可能性があったからだった。
皆、おばあさんの表情まで思い浮かべることができて、その可笑しさに吹き出したのだった。おばあさんのお葬式は涙も笑いもどこかほのぼのとして温かかった。
初日だけはタクシーで行ったけれど、後はずっと主人の姪っ子の婿がアッシー君を勤めてくれた。彼の男っぽい育メンぶりがほほえましく、姪の幸せそうな様子がとても嬉しかった。
雨の中濡れながら、ドアを開けて下ろしてくれた親切は三日間変わらず、『こんな事くらいしかできないから」って言葉は優しかった。
「ああ、イエス様がずっと関係を取りなしてくださっている・・」と・・、彼らの祝福と、どうか主を知る日がまいりますように心から祈った。
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ムベ
電気屋
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