石ころ

キリストの花嫁(Ⅱコリント11章)

 

私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。(Ⅱコリント11:2)


福音を伝える者の勤めは神と人の仲人のよう。王の王、主の主である方の愛のことばを、一人一人に運び「教会」というひとりの花嫁としてキリストに嫁がせること。
すべての人をキリストの花嫁、清純な処女とするのはみことばであり、信仰によることである。


花嫁はイエス・キリストの十字架の血によってきよめられ、神の御子の命という破格の花嫁料が支払われた者。父なる神、子なるイエス・キリスト、うちに居られる聖霊の神に、それほどまでに愛されて迎えられる者である。


福音が、どれほど完璧な救いであるかを教えてくださるのは聖霊であり、このようなことを人間の知性で悟る事は不可能である。聖霊の働きによってのみ与えられる確信による。


イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)


新しく生まれるには、ニコデモのようにひとりイエスさまに聴くことからはじまる。彼は人目を避けてイエスさまに来たが、イエスさまを葬る働きの時はもう人を恐れなくなった。彼が新しくされて、どれほど愛されているかを悟ったからである。


清純な乙女とされたキリストの花嫁の確信が、生涯揺るがないのは聖霊によって示されるみことばの約束に留まっているからである。
それ以外に付け加えられるものは何も無い。


あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。(ヨハネ15:3)


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