歳と共に、何をするにもちょっとの頑張りが必要になって来た。庭の掃除が気がかりで「なんとかせにゃならん」と手を付けて見たが、無理に気付いた。
そこで、虫嫌いで室内の仕事を望み、電子工学を選んだ次男に応援を求めてみたら、すぐに出て来て手伝ってくれた。気になっていた溝回りの掃除が出来たが、私は暑さで気分が悪くなり、結局、最後は全部してもらうことになった。
彼はコロナ渦で実家に戻り賄い付きでテレワーク。朝夕の献立や食事作りが必要だけれど、後片付けをしてくれる。また、頼んだら小まめに働いて助けてくれる。
私は献立を考えたり作ることは好き、時間に余裕を持って休憩を取ればできる。神経質な彼は、なんとなく辺りがスッキリして来たのはありがたい事だ。
長男は、「夏休みどうする・・」と言っていたけれど、関東圏からでは一つ間違えると地域に迷惑をかけることにもなり、「今年は無理だね」と言うことなった。「もう、元に戻ることはないだろう・・」と言ったが・・。まあ、家族が元気で機嫌よく居てくれるなら、私はそれでも嬉しい。
頑張りながら一日ずつ生きて行く日々だけれど、陽気の良い季節のウォーキングや、ブログで短歌などを書くこと、また、イエスさまのみことばを書くことなどは、頑張りではなく好きでやっていること。
イエスさまのことを書く時は、大好きな方のうわさ話をするような楽しさもある。時にパズルを解くような忍耐は要っても、愛する方のことを語る時は時間を忘れ、飽きることもないものなのだ。
だから、記事をアップした後は少し寂しくなる。ホッとすることも事実だけれど、すっかり片付けられて空っぽ・・そんな気持ち。
炎天下オクラ頼もし天を指す