そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。(11~13)
律法を持たない異邦人に、律法に関する裁きを求めることが、主を冒とくすることだと気づかないのはなぜだろう・・。
神の選びの民という誇りにおいて、すべての裁きは神からの知恵に拠って、選びの民の間で完了できると考えないのはなぜだろう。
すべての命は神の御手のうちにあり、他国民に願って打ってもらう必要などないことを知らないのはなぜだろう。
イエスをもそのようにして十字架に付けた。
しかし、十字架は神のご計画のうちにあった。それは彼らの不信仰さえも用いて救いとし、祝福としてくださるのは神の奇しい御愛に依ることであるが・・、彼らの罪科は末永く残ってしまった。
パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、
あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
こうして、彼らを法廷から追い出した。(14~16)
彼らは大恥をかいたのである。彼らは、信頼出来るさばき主を持っていないと証したのだ。処刑することが許されないなら生かせばよい。「殺すな」と命じられて戦えないなら殺されれば良い。命じた方、それを許された主に信頼しているのなら・・。
そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。(17)
腹いせに手近な者を打ち叩くのは、まるでごろつきのようである。それらの行いが、彼らには律法も神の義も初めから興味がないことを証している。
パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。
人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。(18~21)
キリスト者には、すべては「神のみこころなら」である。ただひとり正しく裁かれる方にいのちをお委ねして、悉く従順する私たちに神の栄光が現わされる。
何が良いことであるかを悟るためには、聖霊の御導きに服従しなければならないのである。