ヨシュア達イスラエルの子らが打ち占領した地の王は31人であった。12章ではその王の名が列挙されている。
カナンの地は創造主の支配に置かれて、主に聴き従って仕えるイスラエルに任されたのである。
ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。(13:1)
神のすべてのご計画は人の力に依存するものではないので、主に頼らずに何でもできる若さが必要ではなく、歳を取って自分が弱くなった時を待って用いられることが多くある。
それゆえ主の御用に用いられている者には定年退職はないだろう。神の子とされた者が主に近しく聴き従っている場の外に、安息があるとは思えないからである。主に油を注がれ続けないと働けない高齢者は、神には働き盛りなのだから・・。
アブラハムも、モーセも、ヨシュアも、ヨハネもペテロも死の間際までいよいよ神との濃密な関係の中で用いられた。
彼らは命を完全燃焼して全焼のいけにえとなって、天に凱旋したのである。彼らには、余生を自分のために取って置くことなど思いもよらないことであったろう。
ユダ族の人々がギルガルのヨシュアのところにやって来た。その一人ケナズ人エフンネの子カレブがヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて神の人モーセに話されたことを、あなたはよくご存じのはずです。(14:6)
主に命じられたモーセによって、カナンに偵察隊として十二部族から一人ずつ選ばれた時、カレブとヨシュアだけが入って行くべきだと報告した。
他の10人はカナンの豊かさに怯え、先住民を過大に評価して民の心を挫いて、民は荒野を40年彷徨ってその代は、ヨシュアとカレブを残して荒野で死んだ。
その日、モーセは誓いました。「あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが私の神、主に従い通したからである。」
ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、主がこのことばをモーセに語って以来四十五年、主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。(14:9~10)
ヨシュアもカレブも高齢者であったが、主の御用のため備えられた老いは何の障害にもならず、いよいよ主に依存してみこころを成し祝福を証した。それは彼らが、主の働きを離れることなど考えもしなかったからである。
モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。
今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」(14:11~12)
主のみこころを行うとき主がすべての必要を満たしてくださる。カレブには壮健な心身が備えられていた。
しかし、カレブはそのような自分を信じているのではなく、共にいて下さる主の御約束によって、敵に勝利することを信じて願ったのである。
世は「自分を信じて」計画を行うが、キリスト者は主を見上げてみこころを行い、勝利には主をほめたたえて、主を賛美するのである。自分を信じなくても良いので、誰でも主に信頼してみこころを行うことが出来るのである。
ヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。
このようにして、ヘブロンはケナズ人エフンネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。
ヘブロンの名は、かつてはキルヤテ・アルバであった。これは、アルバがアナク人の中の最も偉大な人物であったことによる。こうして、その地に戦争はやんだ。(14:13~15)
カレブは終始一貫して主に信頼し、見るもの成すことのすべてを通して主と共に生きた。主は彼の命を祝福し、老いてなを神と共に働く喜びの中に置かれた。