年を取るとそれだけ濃い人間関係も多くなり、悩みも多くなる。沢山の気苦労を抱え、老いて自分たちだけではどうすることも出来なくなって、心配と悲しみに命を削るような事が起こる。
私は今日まで何も知らされなかった。お正月早々そんな話を聞かせたくなかったと言われた、私はかばわれていたのだ。でも、私は主のうながしを感じて彼女の信仰を祈っていた。私のしたことはそれだけ。
彼女は二日間泣いてイエスさまにすがっていたと言われた。「私は試されていると感じて、『イエスさま、私はあなたを信じています。』と祈っていたと言われた。
「もし、イエスさまを知らなかったら、私は生きていけなかった。私だけではなくてすべてはどうなっていたか分からないと思う。でも、不思議に良い方向に事が開けて行って、今はこうして落ち着いて話すことが出来るようになったよ。イエスさまに本当に感謝している。」と明るい顔で、重い証をしてくださった。
長い人生には、足下から崩れて行くような理不尽な悲しみに、突然襲われることがある。自分の非力を思い知り、怒りと悲しみにまんじりともせず、眠れぬ夜を過ごすことがある。
そんな悲しみの中ででもイエスさまの御名を呼べることは幸いだ。彼女はそのことに気づいていた。そんな嵐の中で、主は彼女の信仰を守り育てていてくださった。
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民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。 (詩編62:8)