私は確かに痛みに弱いと思う。痛いことは大嫌い。そんなことをしてまで長生きなんかしたくないと、イエスさまのところにさっさと逃げ込もうと企んでしまう。
だからあれ以来放りっぱなしだったけれど、ちょくちょく腸のトラブルが起こり、そんな時は、できるだけわからないようにと誤魔化しているけれど、どうしても顔色の悪さなどで主人に知られてしまって放って置くなと責められていた。
ある時、インターネットで名医の記事を見つけて、そこに無痛の大腸内視鏡検査ができる病院があることを知った。しかも、そこは息子の住まいの近くでだったので、軽い気持ちで息子にそのことを話した。
息子から、夫婦で働いているので都合のつく良い日を知らせてきた。その日は一つの例として挙げてあったのだけれど、病院に連絡を取ってみると、その計画ですんなりと予約がとれた。なんだか事がとんとんと進んでしまって、躊躇する暇もなかった。
何よりも孫に会えるという強力な餌が目の前にあり、痛くもないとも知ればもう絶対に止められないことになった。
しかし昨夜その病院のホームページをみるようにと心に促され、なんとなく眺めているとき、初診を受ける日が休診になったとの文字を見つけた。
どうしても、この日でないとこの計画は成らないことはわかっているので、「これはいったいどういうことだろう」と、そもそも名医なんて私には似合わないよねとも思い、もう一度この計画が主の御手を通して精査されるのだと思った。
主から始まったことなら、どのようになっても最善なのだからお任せしようとそのまま眠ってしまった。
今朝、病院に連絡を取ってみると「急に医師会の会合が入ってしまい申し訳ありません、」とのことで、必要なものを郵送してくださることになり、つまり計画はそのまま実行となったわけ。
計画が決まった時、息子は「平日だから何処も空いているよ、行きたい所はあるか?」と聞いてくれたけれど、下剤に弱いのでとてもそんな気にはなれないと答え、嫁さんが「なんかして欲しいことがある?準備しておいて欲しいものはなに?」と聞いてくれた。私の注文は「布団とトイレ」、「じゃ四日間みんなで付いていてあげるよ。」と言ってくれた。わーい孫といっぱい遊べるぞ!!
恵みを受けるべき何の価値もない者が、無条件に顧みられて、その上あやされているように感じるときがある。主のお憐れみを受けたことを心にしっかり刻んでおこう忘れないように。
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わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 (詩編103:2)