先日は
フェルデンクライスATMレッスンでした。
今回は背骨から肩甲骨や胸郭やら、さらに足まで繋がる感覚で行ったようでした。
その前に逆立ちをしていて右に倒れていく感じがあり、初めに立位と仰臥位での姿勢を内観してみたところ、右の胸郭が詰り(つぶれている感じ)、右肩内に入り、右腰がやや反り詰る感じをキャッチしました。
腹臥位で肘で身体を立てて反る姿勢の中で、肩甲骨の動きを行ったり、座って背骨を回したりして背骨から骨盤や脚との連動の動きを感じたり、腹臥位で肩甲骨と手の関りでの動きなどを行いました。
終わった後はとても軽い!しかし抜けるというより楽に安定している(力感は抜けています)。
歩きも、軽く楽だけどしっかりとした安定感があるのでフニャフニャしていない。
身体という構造的存在感が薄くなり空間に馴染んできているようでした。
講師のTherapyRoomのWakiko Saitoさんとも話をしていて、同様な感覚の話しが出てきました。
これは何なのか?
自分の推測ですが、身体を大きくパーツや筋肉などで捉えているというより、身体がもっと細かく体全体を小さい無数の点で感じ捉えているからなのではという感じでした。
無数の小さな点がもっと小さく、さらに小さくなれば、身体の関りより空間との関りに近くなり、自分と空間との境目が無くなってくるからなのかなと感じました。
なので、より身体に向き合い細かく関っていくことが必要なのだと感じました
さらに、フェルデンクライスのレッスンでは、少ない言葉がけで動くので、受け手が漠然とこなしていたり、動きができたできない(勝ち負け)で行っていたら、ただ小さくゆっくり動いているだけとなり、自分の身体と!繋がりと!機能と関わろうとしていないので、何をしているのかが解らないように思います。
しかし、小さくゆっくりはかなり身体へ細かく感じ、感覚として捉えていけます、また行いずらいと思う方向や態勢でも行うこともするので、「キツイ」「難しい」「できね~!」「無理!」という感情や想いも出てきます(^^ゞ要は自分のパターンでないことをやらせることによる拒否がでてきます(^^)
それでも行うことで(関わることで)、それ自体出来なかったり、スムーズにいかなかったとしても、感度は高まり、感覚としても捉えやすくなるように思います。
なので、普通に立ったり、動いたりでも感度があるのでそこも使えるか、もしくは使おうとして、姿勢や動きの変化ができてきます。
今回自分も、右の胸郭が詰り(つぶれている感じ)、右肩内に入り、右腰がやや反り詰る感じはなくなり、それらの滞りが抜けて、抜けた状態、楽な状態、負担を強いる状態が薄れ、逆に動ける感じが出てきたので、逆立ちもやりやすくなりました。
少ない情報の言葉がけによるキツイい状態を、いかにキツくなく(無理なく)、楽に、心地良い状態で行るよう、身体の細かい所と関わり、やり取りをしていくということなのかもしれないなぁと感じました。
合っているどうか解りませんが、それがフェルデンクライスでいう「教育」ということなのかな?とも思いましたし、wakiko
さんとの会話からも解釈しました。
今回、和身塾や身体の使い方練習会、先日のワークショップで関わりのことやキツい状態の方がより関わりやすくなるということなど感じ知れたので、ATMレッスンを受けてよりそこのところが浮き上がってきました。
空間との調和や一体感というところも、より感じ知れたように思います。
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