昨日はフェルデンクライスATMレッスンでした。
今回はより身体の繋がりと動きと体のやり取りを感じられました
足からのレッスンであったのですが
足の細かい所の意識を向ける(意識という言葉は色々なコトや捉え方を含みますがここでは使います)、感じる、
その足の小さい細かい動きに意識や感じることを行う
そして、脚から膝、骨盤、背中や首、さらに腕までも動いていくことに意識を向ける、感じていく
または、あえて動きにくい(と感じる、思う)所でも行う。
今回、
その細かい身体の意識や感じることで身体の細部までが活動できるようになり、全体で動けたり捉えることができるようになれると、フェルデンクライスで感じられました。
そうなることで、力みはいらず全体で捉えて動け、無理の無い動きや力まずともしっかり軽く立てる姿勢でいられます
ATMレッスンで
無理せず、頑張らず力ではなく流れやその行うことに意識を向けるのは、細かい所の身体のやり取りを感じていくことを注視していくからなのではと思います。
その身体のやり取りを脳に伝わるわけであり、身体に無理無駄なく心地よくいられるために脳もその身体に合わせていくのではないかと思います。言い方を変えれば自然体と言えるのかもしれません。
なので、自分の癖や本来やりにくい方向や動きも混ざってきますが、その中でどう身体を合わせていくか!やりにくさ、難しさの中で、どのようにやりにくくないと感じる流れを探るか!難しくないと少しでも思える身体の動きを見つけていくか!自分の癖やパターンという脳の癖による力任せにならずに、身体の流れを感じ意識していけるか!
そこは出来る出来ないとか、動ける動けないというある意味勝ち負けの価値観ではないように感じます。
その中で身体全体でどうしていくか!どうぞの動きに関わり細かい意識で繋げていくか!という感じていくことが大切なのではと感じました。
それらの細かく感じること、繋がり(連動)を感じられること、動きの選択肢の幅を感じられることが
『気づき』
と言えるのかもと思いました。
そして小さい動きであればあるほど、細かく意識を向けやすくなりより身体を洗練されるように思います。
(そういう感じられることで大きな動きでも大雑把にならずにいられるように思います)
そして、この細かい身体の感覚があることで、普通に立つ、歩く、動くが無理無駄なく、不必要にどこかに頼ることもなく、頑張ることもなく、心地よくいられるのだと思います。
これらは、今年取り組ませていただいた身体原理や身体の使い方で感じ捉えたことと同じであり、なのでよりフェルデンクライス(私はATMレッスンのみですが)の深さを自分なりにですが感じられたように思えました。
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