バランスのある空間

体のこと、心のこと、環境・空間のことの体験談!ワークショップ案内!自分が見たり、感じて想った事を書いてます

解放すると深める

2017-08-12 13:00:58 | その時の想(思)い、感じた、考えたこと

昨日 ダンサーのクライアント様とのやりとりで

立つとき「脚の緊張を抜きながら立つ」
ということを自分で感じ知ることをしていました。

普通に立った時、何も感じずアキレ腱周囲やふくらはぎ(場合により太もも)に緊張があります。
(ほとんどの方は少なくともそうかもしれません)

この時に、緊張している部分を抜くポジションを探してくださいと立ったまま行ってもらいます。
そうすることで、今までしてこなかったことをするので、どうしていいかわからず、とても戸惑い、モヤモヤ、イライラもするかもしれません。

もちろんすぐに出来なかったり、全くうまくいかない場合もあります。
しかし、そこに深く意識を向けたり感じ関わることで、身体の方はどんどん抜く方向と身体を合わせようとしていきます。

一方、頭はパターンでないことをさせられるので余計な労力使わされると感じ、モヤモヤ、イライラと、無理!できない!辞めたい!となる感じがします。

あえて優位性を付けるなら、頭優位でなく、身体優位にしてあげると身体の能力はどんどん反応して扱えるようになれるのではともいます。

その時に頭もこのモヤモヤ感気持ちい~とか、イライラすることは自分には使える可能性がまだあるんだぁとか、まだ能力が隠されてるんだぁとか思えて取り組めたらいいのかもしれませんね。

さて、そのように深めてより自分と向き合いながら、身体(考えや精神的状態もかな)の扱い方を感じ知り身に着けていく

一方、ダンサーのクライアント様は集中していくこと(もしかしたら重苦しく感じていたのかも)で、結果が見えない、解らないため、

脚などブラブラして緊張を解放してからまた立ちました。

最初よりアキレ腱周囲やふくらはぎの緊張は抜け立てていて結果は最初よりは良い状態ではあります。

どちらが良いか悪いかではないのですが、

解放ばかりで身体(心や精神にも言えるかもしれませんが)を楽にしていたら、自分が今どのような状態か、どのように関係性を構築し、変えていくのかが解らないままで、解放できない状態のときに、いかに自分を良い状態や落ち着いた状態、無理のない状態にいられたり、動けるようにすることが解らないままということになります。
要は自分を知らないというであり、自分を取り扱えない、自分を知らないので空間と調和ができないということになるのかもしれません。

解放はとても楽ですし、心地よく気持ちいい、身体も心も精神的にもとても必要であることでもあります。
しかし深めていくということも必要であり、そこがあるからこそより解放の効果を感じられたり、心地よさ気持ちよさも感じられるのではと思います。

常にいつでも自分の状態を感じ知れ、どうしたらいいのかを感じ取り、自分で合わせて調整できたらいいですね~。

その様なことが自分の深さや奥行きなど人間的な重厚感が出てくるのかもしれませんね~(^^)

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フワフワ脚

2017-08-11 15:36:35 | 心と体

うーん、午前中脚がフワフワしていた(>_<)
和身塾で感じさせていただいている軽い脚に近いけど、脚の感覚がなく地に着かない!
そのため脚に実感や手応えが欲しいのか、脚を踏もうとして脚の力に頼ろうとしている。
結果、脚が明確になくフワフワしているけど、脚を頑張らさせて重い脚ということになっている。
身体のバランスも悪く、走っていて上半身だけが前に突んのめる。

うーん、何でだろうと考えていたら、クーラーを付けたまま、居間でそのまま寝落ちしてしまったからだと思い浮かびました😅
途中気づき消しましたが、やはり体に不都合が起こりますね。
体だけでなく色々と不都合だと思います。

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速さと遅さ

2017-08-09 12:50:08 | その時の想(思)い、感じた、考えたこと

森の中の公園をランニングをしていて、途中歩く

ランニング中は走ること(動きやゴールなど)に意識がいき、周りも景色が通り過ぎていくので見るゆとりもなくなる。

速ければ速い程走ることへの意識が向くように思う。

ランニングから、歩きはじめた時は速さが遅くなり、景色もすぐには通り過ぎず見るゆとりができる。

そうすると、自分の歩くことより外の景色のことに意識がいき、見るたびに色々想ったり考えたりする。

そこから想ったのが

速いということは、何かの物事に意識や集中を向けやすくなる。なので余計な所に意識を向けずにそのことを突き進める。

しかし、周りが見れてないので、自分勝手に進めて周りに迷惑をかけたり、自分ばかりで進めようとする可能性もある。

逆に、遅いということは、周りが見れ、物事のバランスが取れやすかったり協調ができやすくなる。なので全体に合わせて進める。

しかし、周りを見すぎるので、自分より周りや誰かに合わて自分で進めていけなかったり(いかなかったり)、周りにばかりに頼り過ぎるか、振り回される可能性もある。

速いけども精神的な時間感覚は遅いというゆとりがあるということで、

速いことで自分で進めていける力もありつつ(行動力)、精神的にはゆっくりで周りも見れるゆとりから、間やバランスもとれ臨機応変の対応が選択できる。そこからまた速いに移せば対応力が上がると言えるのかもしれませんね。

そのような感じが、走ったり歩いたりしたときに浮かんできました。(あくまで今回私が浮かんできたことです)

こういうのも場を踏むことで、身に着けられるということもあるのでしょうね~。

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ネットが繋がらなくても

2017-08-02 15:42:27 | その時の想(思)い、感じた、考えたこと
1週間ぶりに職場にネット回線が繋がった!!
それにしても、色々不都合がありつつも、そこに合わせて生きられます😅
何とかなるものです😊
また、今日から手に入れるとことで無駄なこと、無駄に情報入れたら、そちらに追われたりしてしまうかもしれません。

もしかしたら、いちいちこういうことを載せることも・・・。

受け入れること(インプットと言い換えることもできる)も発信すること(アウトプット)も自分や周りに必要な分はあるといいのかもしれませんが、どちらも過剰になれば情報過多や情報に振り回さられたり、相手の判断決断を待たずに自分が自分がという前のめりのアピールや過剰な情報発信になったりするように思える。

情報受け入れ過多・情報に振り回されるや自分アピール・情報発信過多など、そういう事で、何かやった感や手ごたえ、実感していたり、それにより忙しい!という頑張り感が充実した感じや自分はしっかっるやっている!と思い、逆にそれらがないと感覚が物足りない、手ごたえがない、実感が薄いと感じ、それを埋めようとまた情報過多や情報を発信して、その隙間や手ごたえの薄さを埋めしようとしてしまうような気がする。

どちらが良いのか解りませんし、それぞれの考え捉え方だと思いますが、それにより心身が疲弊したり、壊すようなら、その方向や行い方は違うのかなと感じます。

自分にも言い聞かせることです
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