ミュージシャンとて普通の人間。
なので、普通に年齢は重ねるわけで。
認めたくはなくても、若い頃には出来てたことが出来なくなるものもあると思う。
まあ、それはミュージシャンに限った話ではないとは思う。例えばスポーツなどは顕著な例であろう。
それは音楽にも言えるわけで、例えば若い頃に歌ってたキーで歌えなくなったり、若い頃に歌ってた頃のテンポではしんどくなる場合もあるのだと思う。キーやテンポをたとえ変えなくても、ハイトーンの部分のメロディを今の自分で歌いやすく多少崩したり。
もちろん、普段のトレーニングである程度はカバーできるにしても。そこには意地もあると思うし。
ただ、長尺のライブで歌う曲数が多いと、若い頃と全く同じキーやテンポで長尺のライブを通すのはきつくなったりすることはあるのだと思う。
数曲くらいならいけても、長尺のライブになると、終盤がきつくなることもあるかもしれないし、ましてやそのライブがツアーだったりしたら、その日の後にもまだライブは続くだろうし。最終日ならともかく。
実際、プロのベテランミュージシャンの長尺のライブを見てると、曲によっては実は少しキーを落としてる時もあるし、テンポを昔より少しゆったりめにしたりしているのはよく見かける。メロディの一番高い部分を負担のない旋律に程度に崩していたりもする。
ファンとしてこれに気付くと、少し寂しく思うこともあれば、そうすることでたっぷりライブを楽しませてくれるなら、それはそれで全然かまわないかなとも思う。頑張ってくれてると思って。
なによりそのミュージシャンの、年齢相応の一番素敵なキーで歌って魅了してくれれば、それが一番いい・・・と私は思っている。オリジナルキーへのこだわりは、あまり私にはないかな。
客である自分自身に加齢がきているように、ステージのミュージシャンにも加齢はきているのだから。
今までベテランミュージシャンのライブを見てて脅威に感じたのはポール・マッカートニー。
かなりハイトーンだったビートルズ時代の激しい曲でも、キーやテンポを落とさずに長尺のライブをこなしていた。途中で水を飲むこともなく。
例えば、「ヘルタースケルター」のようなハードでハイトーンの曲をライブの終盤に持ってきたりもしていた。
見てるこっちが「おいおい、ポール、大丈夫か」などと余計な心配をしたことがあったが、そこは天下のポール。涼しい顔で乗りきってたのは凄いとしか思えなかった。ポールマッカートニーとしてのプライドも感じた。
ただ、昔に比べると、声はさすがにかすれ気味な部分もあった。
そのへんはおそらくポール本人もじれったく思ってるのではないか。
でも、あの年齢でそこまでやっているのはさすがとしか思えなかった。
そんなポールでも、近年さすがにハイトーンの部分のメロディを多少くずして歌ってる曲はあった。
例えば「アイブガッタフィーリング」とか。若い頃のジョンレノンの映像とポールがデュエットする曲だ。20代のレノンと、高齢になったポールがデュエットするのは、きつさもあったのではないかなあ・・。
加齢による衰えという問題は、様々なミュージシャン・・・特にボーカリストは避けて通れないわけで、皆それぞれの方法でライブはこなしている。
元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントは、ツェッペリン時代のハイトーンレパートリー「ブラック・ドッグ」という曲の最初の方のメロディがはね上がる部分を若い頃のようには上げずに、崩して歌っていた。
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンは、基本は自身で歌う曲でも、曲の中の1部が空を飛ぶように跳ね上がる部分は、その1節だけバックコーラスの人に歌わせていた。若い頃はブライアン自身が天使のようなファルセットで出してた高音部分パートを。
その点ウマい(?)のはディラン。ディランは若い頃からライブのたびにメロディを変えて歌っていたし、時には新たなメロディをつけなおしたようなアレンジにすることもあった。、もともと原曲を大幅に変えてしまう人だったのだ。
そうすることで、自身の表現として、持ち曲に新鮮味を保っていたかったのだろう。
老齢になってからはディランはライブでは、少なくても自身のオリジナル曲はライブではあまりメロディに抑揚をつけず、語るような感じで歌っている。
それを口の悪い人は、最近のディランのライブは念仏を聴かされてるようだ・・などと言ったりすることある。
だがディランの場合、若い頃からそういう手法を使っていたことがあるので、聴くと「出なくなったから、メロディを変えて歌ってる」という印象は私の中では比較的薄い。
もしかして彼は、自身が高齢になっても歌えるようなスタイルを想定していたのだろうか。
いや、彼のスタイルは、たまたま「老齢になっても通用する歌い方だった」ということかもしれない。
もっとも、彼も若い頃は、ライブでオリジナルメロディを変えて歌う時には、オリジナルバージョンよりもさらに派手にメロディに高低差の抑揚をつけてたこともあったっけ。
最近はその手法は見かけなくなった・・・。さすがにそれはキツイのかな。
そんなことを考えると、ディランみたいなスタイルは一番得なのかもしれない。そんな風に思ってみる。
老齢になって、ファンに「あ、キーを下げてる」とか「テンポを落としてるなんて、年齢のせいかなあ」などと思われないためにも。
とはいえ、どんな人にもピークというものはある。
ピークがあるということは、ピークを過ぎるということもあるということ。
高齢になって、若い頃のようには歌えなくなっても、それはその人がピークの時に、多くのファンを魅了するパフォーマンスを見せていたからこそ、ファンもついたわけで。
そして、それを覚えてる熱心なファンは、ちゃんとついてきてくれたりする。
仮に昔ほどは熱中してなかったとしても、「好き」ではあり続けてくれる人も多いということ。
そしてやがては・・・そのミュージシャンが高齢になっても、やり続けてくれてることに嬉しさを感じたりもするようになる場合は多いのだと思う。
仮にそれで離れていったファンがいたとしても、逆についてきてくれる人もいるわけだから。
とはいえ・・・そのミュージシャンが、ある一定のレベルを保つ自信がなくなったら・・・あるいは気力が続かなかったり、体調不良だったり、一定のレベルを保つことを難しくなったと自身で判断したら・・卒業することになるのかもしれない。自分のプライドのためにも。
そうなったら、ファンはその人を語り継いでいってあげることが大事なのだろうな。
かつて私の心をとらえた詩があった。誰の詩だったかは覚えていない。
その詩には、「一番不幸なのは、死ぬことより、人に忘れ去られることだ」という内容の一節があった。「一番悲しいのは、死んだ女より、忘れ去られた女だ」という歌詞だったかもしれない。
その一節は深く私の心に刻まれている。
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