ポール・レイモンド Paul Martin Raymond
【パート】
キーボード、ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1945年11月16日~2019年4月13日(73歳没)
【出生地】
イングランド ハートフォードシャー州セントオールバンズ
【経歴】
クリス・ラム&ザ・ユニヴァーサルズ/Chris Lamb & The Universals(1965~1967)
ロード・サッチ&ザ・サヴェイジズ/Lord Sutch & The Saveges(1966)
プラスティック・ペニー/Plastic Penny(1967~1969)
チキン・シャック/Chicken Shack(1969~1970)
サヴォイ・ブラウン/Savoy Brown(1971~1974)
ハングリー・ファイター/Hungry Fighter(1974)
サヴォイ・ブラウン/Savoy Brown(1974~1976)
UFO/UFO(1976~1980)
マイケル・シェンカー・グループ/Michael Schenker Group(1980~1981)
ウェイステッド/Waysted(1982~1984)
UFO/UFO(1984~1986)
ポール・レイモンド・プロジェクト/Paul Raymond Project(1989~ )
トニー・ジャクソン・グループ/Tony Jackson Group
UFO/UFO(1993~1998)
UFO/UFO(2003~2019)
ポール・レイモンドは、UFOやマイケル・シェンカー・グループのキーボーディスト兼ギタリストである。
UFOへは1976年をはじめとして都合4度参加、1970年代半ば以降の主要メンバーのひとりとして活躍した。
レイモンドは、1964年11月にジャズ・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせた。
1965年11月にはキーボード奏者として「クリス・ラム&ザ・ユニヴァーサルズ」に加入。このバンドはスクリーミング・ロード・サッチのバック・バンド「ザ・サヴェイジズ」としても活動していたが、リーダーのクリス・ラムがバンドから離れたのを機に、1967年12月に「プラスティック・ペニー」とバンド名を改めた。当時このバンドにはミック・グラバム(guitar のちプロコル・ハルム)やナイジェル・オルソン(drums のちユーライア・ヒープ、エルトン・ジョン・バンド)が在籍していた。
プラスティック・ペニーは1967年12月にボックス・トップスのカヴァー「Everything I Am」でシングル・デビューし、この曲を全英6位に送り込んだ。
プラスティック・ペニーが1969年に解散すると、レイモンドはクリスティン・パーフェクト(keyboard のちクリスティン・マクヴィー)が脱退したあとの後任キーボード奏者として「チキン・シャック」に加入する。
チキン・シャックでは2枚のアルバムを残し、1970年いっぱいで脱退。その後、1971年初頭にキーボーディスト兼ギタリストとして「サヴォイ・ブラウン」のメンバーとなる。
ちなみに、チキン・シャック、サヴォイ・ブラウンはいずれも「イギリスの三大ブルース・バンド」のひとつであり、同じマネージメントでもあった。
サヴォイ・ブラウンではリーダーのキム・シモンズ(guitar, vocal)とともにバンドの中心的存在として活躍していたが、1974年にデイヴ・ウォーカー(vocal)とともにバンドから離れる。
レイモンドとウォーカーは、ダニー・カーワン(guitar 元フリートウッド・マック)、アンディ・シルヴェスター(bass 元サヴォイ・ブラウン)、マック・プール(drums 元ウォーホース)と合流して「ハングリー・ファイター」を結成したが、このバンドはわずか数度のライヴを行っただけですぐに解散したため、レイモンドは1974年冬にはサヴォイ・ブラウンに復帰した。
サヴォイ・ブラウンでは、1971年の加入時から1976年夏に脱退するまでに通算6年在籍し、6枚のアルバム制作に参加した。
1975年にはダニー・カーワンのソロ・アルバム『セカンド・チャプター』のレコーディングに参加している。
1976年、キーボードとギターの両方を演奏できる人材を探していたUFOにスカウトされ、ダニー・ペイロネル(keyboard)の後任として加入。レイモンドはUFOのために曲も書いたが、かつて交わした出版契約のため、近年までクレジットされていなかった。
UFOはマイケル・シェンカー(guitar)を迎えた1973年頃から上昇気流に乗っていたが、レイモンド加入後はさらに勢いを増し、1977年にリリースしたアルバム『新たなる殺意』は、ビルボード誌における最高位が前作の『ノー・ヘヴィー・ペッティング』の167位から23位(UFOの全アルバム中の最高位)に急上昇。続く1978年の『宇宙征服』もビルボード最高41位を記録した。
UFOではキーボーディストとしてはもちろん、セカンド・ギターとしても活躍。左利きだった彼はレフティ専用のギターを肩にかけてキーボードを弾き、シェンカーのソロではすぐさまリズム・ギターにスウィッチして見事にサポートする姿は、UFOのステージには欠かすことのできないものであった。レイモンドの存在は、シェンカーの、そしてバンドにとっての非常に重要な存在だったと言えるだろう。
レイモンドの加入によって全盛期を迎えたUFOだったが、精神的に追い込まれたマイケル・シェンカーが1978年秋に脱退する。
看板ギタリストの脱退と言う非常事態にあたり、バンドはかつてのメンバーだったポール・チャップマン(guitar)を再度迎え入れて危機を乗り切り、1979年にライヴ・アルバム『UFOライブ』、1980年にはスタジオ・アルバム『ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス』を発表。しかしトリを務める予定だったその年のレディング・フェスティヴァルの開催前にレイモンドはUFOを脱退(後任は元ワイルド・ホーシズのニール・カーター)し、マイケル・シェンカー・グループに参加する。
ポール・レイモンド & マイケル・シェンカー(右)
1980年にマイケル・シェンカー・グループの一員となったレイモンドは、アルバム『神話』『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』の2枚に参加したのち、1983年にUFOのベーシストであるピート・ウェイのバンド「ウェイステッド」に加入。
ウェイステッドではアルバム『Vices』(1983年)を制作したのみで脱退し、1984年に再結成したUFOに参加、1986年まで在籍した。
1980年代末頃には日本に住んでいたことがあり、当時自身がリーダーの「ポール・レイモンド・プロジェクト」名義でアルバムをリリースしている。このバンドは以後も断続的に活動を続けた。
1993年、再々結成後のUFOに復帰したが、バンドは1998年に解散する。
UFOは2000年に活動を再開。レイモンドは2003年に3度目の復帰を果たした。
2019年4月13日、レイモンドは心臓発作により73歳で死去。
UFOは2019年3月から「UFO Last Orders 50th Anniversary」(ラスト・オーダーズ 50周年記念)というタイトルのツアーを行っていた。このツアーを最後にフィル・モグ(vocal)はバンドから離れることを公表しており、レイモンドもバンドの一員としてそのツアーに加わっていた。
バンドは4月5日のロンドンのO2フォーラムでの公演を最後に、最初の行程であるイギリスとアイルランドのツアーを終えた。レイモンドの死去はそのわずか8日後であった。バンドは、1980年から1983年までレイモンドの後任としてUFOに在籍していたニール・カーターを急遽起用し、ツアーを続行した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★コンピレーション・アルバム)
<プラスティック・ペニー>
1968年 Two Sides Of A Penny
1969年 Currency
★1970年 Heads I Win, Tails You Lose
<チキン・シャック>
1969年 100トン・チキン/100 Ton Chicken
1970年 アクセプト・チキン・シャック/Accept Chicken Shack
<サヴォイ・ブラウン>
1971年 Street Corner Talking US75位
1972年 Hellbound Train US34位
1972年 Lion’s Share US151位
1973年 Jack The Toad US84位
1975年 Wire Fire US153位
1976年 Skin ‘N’ Bone US206位
<UFO>
1977年 新たなる殺意/Lights Out UK51位, US23位
1978年 宇宙征服/Obsession UK26位, US41位
☆1979年 UFOライブ/Strangers In The Night UK7位, US42位
1980年 ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス/No Place To Run UK11位, US51位
1985年 ミスディミーナー/Misdemeanor UK74位, US106位
☆1992年 BBC Radio 1 Live In Concert ※録音=1974, 1980
1995年 ウォーク・オン・ウォーター/Walk on Water
2000年 聖約/Covenant
2004年 ユー・アー・ヒア/You Are Here
2006年 モンキー・パズル/The Monkey Puzzle
2009年 ザ・ヴィジター/The Visitor UK99位
2012年 セヴン・デッドリー/Seven Deadly UK63位
<マイケル・シェンカー・グループ>
1981年 神話/MSG UK14位, US81位
☆1981年 飛翔伝説 MSG武道館ライヴ/One Night At Budokan UK5位
<ウェイステッド>
1983年 Vices UK78位
<ポール・レイモンド・プロジェクト>
1989年 ライジング・サン/Under The Rising Sun
1999年 Man On A Mission
2013年 Terms & Conditions Apply
<ゲスト参加>
◆ダニー・カーワン
1975年 Second Chapter