アントニオ猪木さんが逝去された。闘魂プロレスを旗印に闘い切った79年でした。沖縄との縁では北部にアントン牧場を興してブランド牛を育てる構想があったが実現ならず。この流れは現在、もとぶ牧場が継いでいるみたい。さて、プロレス大好きオジサン。新日本プロレスの沖縄興行を何度か観戦した。ところが、本人の出場試合は殆ど観ていない。怪我だとか事前に言われていたが、他の選手の試合で充分 満喫した。客席にいた奥武山体育館ではブッチャー出場に突然、ハルク・ホーガン現れて、ビール瓶をリングの鉄柱に打ち付けてブッチャーの額にグサリ!バキンパキンと瓶の割れる音が体育館中に響いてギャーとか叫ぶブッチャーの声が印象深い。あれは何だった?東京住まいの頃に国際プロレスの存続をかけたラッシャー木村との一戦を蔵前国技館で観戦。満席の場内、猪木の腕折りが効果を成して木村は惨敗。そういえば、飛行機の座席に倍賞美津子さんを見かけたときは一瞬、猪木を連想した。テレビの中継画面でリングアナが倍賞何とかと言われたときは、美津子さんの弟だと即分かった。異種格闘技戦では柔道ルスカを皮切りにボクシング モハメド・アリとの対戦、世紀の凡戦と揶揄されたが、プロレスを広く認知させる動きに繋がったね。