Blue jewel

拉致の解決を願って
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一本のラケット

2005-09-02 | フレーズ
一本のラケット
ドキュメンタリー漫画:めぐみ(後編)より
取材・文 小山 惟史

午後6時25分頃。めぐみはバトミントンの練習を終えて、寄居中学の正門をでた。部活の仲間と3人で。1977年11月15日、火曜日。いつものようにラケットを入れた赤いスポーツバックと学生カバンを手に。

帰宅の道は、日本海へと向かう直線の道路だ。途中で一人が右に折れた。次の交差点で、2人めがバイバイと言って左に曲がる。6時35分頃だった。家までは、あと3~4分。

だが、めぐみは遂に帰ってはこなかった。

中学になっためぐみは、クラブ活動として選んだバトミントン部で一生懸命、練習に取り組んでいた。当時、寄居中学は強豪として知られていた。失踪2日前の11月13日、めぐみは新潟市内の中学校新人戦に出場。ダブルスで5位に終わったが、市の強化選手に選ばれた。

身長はクラスで高い方から3番目。153センチの母・早紀江を既に1センチ上回っていた。その体格が見込まれたのか、思いがけず強化選手に選ばれて、めぐみはそのことを少し重荷に感じていた。勉強の成績は上位だったが、部活に時間を割く中で、二学期の中間テストは順位をやや下げていた。

行方不明となったとき、早紀江の頭に真っ先に浮かんだのは、ここ2~3日の、めぐみのそんな“迷い”だった。家出か?それとも思い詰めた果てに・・・。北朝鮮による拉致だなんて、想像もつかない時代だ。

前ページの写真(下部に表示)は、失踪後に顧問の先生がくれたもの。滋も早紀江も初めて見る写真だった。ピンクのラケットを手にしためぐみ(後列右から4番目)は、体をやや横に向けている。

その姿を目にしたとき、早紀江はとっさに思った。「ああ、めぐみちゃんは、私の言葉を覚えていたんだ」と。成長期で少し太り始めたことを気にしていためぐみに、早紀江はこうおしえたことがあったからだ。「写真を撮るときにはね、ちょっと体を斜めにするといいのよ。そうすれば少しスマートにみえるでしょ」今はいない娘とのやりとりが、まざまざと甦ってきた。

めぐみが中学を卒業するはずの時期、早紀江は一人でよく浜辺に立った。波間に浮かぶ遠いブイ。その赤い色を、いつまでも見つめ続けた日もある。あの日、めぐみが持って登校した、赤いスポーツバックに思えてしかたなかったからだ。

やがて寄居中学に入学した弟の拓也は、姉と同じバトミントン部を選び、それを大学まで続けた。

その頃、北朝鮮では楽器を習うように言われためぐみが、バイオリンを選んでいた。蓮池夫妻の証言によれば、その理由をめぐみは、こうかたったという。
「弟(小学生の拓也)が習っていたから」と。

---そして、あの、2002年9月7日。日本中に衝撃を与えた、小泉初訪朝の当日。

一本のラケットが、25年の時を隔て、海を越え、突然現れた。平壌のホテル。梅本和義公使と面会したキム・ヘギョンさんが持参したのだ。「母の思い出の品」として。

我々は、必ず取り戻さなければならない。そのラケットの真の持ち主を。海のこちら側に。




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