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拉致の解決を願って
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特定失踪者家族からの手紙 古都瑞子さん

2009-12-31 | 時流
■古都資朗さん(古都瑞子さん弟)からの手紙

 古都瑞子(ふるいちみずこ)さんの弟さん、古都資朗さんから平野官房長官宛の手紙です。調査会に託され、過日対策本部に届けました。

拝啓 平野官房長官さま

 私は、特定失踪者会(特定失踪者問題調査会)の仲間に加わっている 鳥取県の古都と申します。

 本日、11月14日あの日から32年が経過しました。

 私の姉(瑞子・当日46才)は、当日地元皆生(かいけ)の旅館で仕事を終え、夜9時頃帰宅したことだけは、色々な状況から推察できます。その後、間もなく誰かからの電話で呼び出されて、普段着で、外出、それ以降の行動が判明しないという状況です。

 その当時近辺で色々な事件があり、地元米子警察でも、その関連かもしれないと云うことで、長期にわたり懸命な捜査を続けていただきましたが、手がかりもなく、自然に操作も続かず、長い年月が経過しました。

 当時は『拉致』云う言葉も知らず、何かの事件に巻き込まれ迷宮入りとなったものとあきらめていました。

 1990年代中頃から、横田めぐみさんを始め数人の行方不明が問題化し北朝鮮による『拉致』ではないかと動きが浮上するようになりました。

 もしかして、私の姉もそうではないかと思うようになりました。特に横田めぐみさんの不明となられたのが、1977年11月15日、私の姉の場合11月14日と接近しており、その思いを強くしました。

 しかし、このことをどこへどのように申し出ればいいのかと重いながら月日を流しました。

 2002年でしたか、時の総理大臣小泉さんが、訪朝され、北の代表との交渉の結果、5人の不明者が飛行機のタラップから手を振って降りてこられた姿がテレビで放映され、感涙したことは、今でも忘れません。

 それ以来、拉致問題の関心が高まり、鳥取県でも、時の片山知事が人権課にそのような窓口を設置されましたので、勇気を出して申し出たのが私の今回の始まりでした。

 当然推測ですが、もし私の姉が北朝鮮に連行されているとすれば、年齢も80才に近づき、食糧不足の北朝鮮では、生存が不可能な年齢とも思えます。

 私の母も先日101才の節目を迎えましたが、もう何時までも待てません。

 助けられるものなら、一日も早くと思いますが、私個人の力では、どうすることもできません。

 幸い、特定失踪者問題調査会、救う会の皆様方に励まされ地域の皆さんと共にいろりお支援活動をしていただいています。

 とにかく、これは、政治の力で解決していただくしかないと思います。我が国の代表が、ころころと交代し、今度こそ今度こそと期待してもう7年経過しました。幸い今回、政権が交代し、本当に今度こそと大きく期待しています。

 どうか、本当に今度こそ一刻も早く不明者全員の皆さんが救出され元気で日本の地に足を着けていただけるよう伏してお願いいたします。

2009年11月14日
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