北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて
★高英起氏(RENK)
どうもこんにちは。
「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」の高英起と申します。
ちょっと座らせてお話させていただきます。
本来なら今回の集会にも、RENKの代表である関西大学の李英和代表が来なければならないんですけども、大阪に在住で多忙という事もあって、今回は私が東京事務局を代表してこの場でお話させていただきます。
それでまず、RENKといいましても中々組織としてそんなに有名な組織ではないと思いますので、若干我々が何をしているか?と言う事について説明させて頂きたいと思います。
結成したのは1993年です。
今から15年前です。
私は結成以前から関わっているんですけども、結成した時は本当に来年にでも倒れるかと思ったんですけども、残念なことにもう15年間続いてしまって、毎年毎年今年こそはと思い続けているんですけども、残念ながら北朝鮮は中々民主化が達成できずに、現状多くの北朝鮮の人民、そして拉致された方々苦しんでいるというような状況でございます。
我々は「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」という名前なんですけども、我々が訴えているのはとにかく北朝鮮の民主化です。
それが全てです。
人権と民主主義です。
今の北朝鮮を民主化して人権が保障されるような国になるように働き掛けるというのが、我々の基本的なスタンスです。
とはいっても、日本でそれを訴えようにもどうしようもないですよね?
よく我々が言うのは、リングの外から石を投げているだけかもしれない。
ただ、それでもリングの中で戦っている人にとっては、それは非常に強い力になるんじゃないかと言うところで、まず我々が始めたのはですね。
当時は北朝鮮の要人が来ていたんですよね。
結構公な形で来ていて、日本を訪れていて朝鮮総連を中心にですね。
いろんな工作を含めてなんですけども、話をしたりとか、いろいろな献金を募ったりとかそういう事をしていたわけですよね。
で、我々が考えたのは彼らに対する抗議行動。
つまり北朝鮮の幹部たちに北朝鮮の民主化を求めるような人たち、もしくはそういう声が日本にはあるんだという事を、(アピール)する事が大切なんだと思うようになりました。
そこで始めたのが、例えば彼らがJRの大阪駅に着いたらIRの大阪駅に乗り込んで、プラカードを持って北朝鮮の民主化を叫んだりとかですね。
そういう事を続けておりました。
時にはですね。
神戸港に入った、多分海は万景峰号ではなかったと思うんですけども、船に対してですね。
船をチャーターしてですね。
海上デモと言う形で、船の横に北朝鮮の民主化と言う大きな横断幕を着けてですね。
都合10分くらい北朝鮮の船に対してアピールすると、おそらくこれは史上初だと僕は思っているんですけれど、そういった事をしていました。
そこで事でですね。
駅とかホテルとかでの陸上戦ですよね。
陸上戦はこちらでの大勝利で終わったと。
海上戦も大勝利で終わったと。
という事でみんなの中からは次は空中戦やという話もあったんですけども、残念ながら空中からの抗議戦というのは実現に至っていないんですけども、最近、北朝鮮を非常に悩ませているのは風船爆弾ですよね?
風船爆弾じゃない?(笑)
僕らは風船爆弾と呼んでますけども、あれこそ爆弾だなと思っているんですけども、爆弾ではないんですけども、あそこにビラをやって荒木さんの調査会の方からそれをやったと思うんですけど、アレがかなり効果的で北朝鮮がかなり嫌がっていると。
中には一ドル札と言うのを出渡してやっているんですけども、あのアイデアは非常に秀逸でどんどんどんどんやるべきだと思っているんですけども、そういった形で我々は北朝鮮に対してアクションを起こしてまいりました。
ただやっぱり最初に言いましたように、外からのアクションにしか過ぎないという事で、虎穴に入らずば虎児を得ずということで、何とか敵地に乗り込む事は出来ないか?と方法論を模索するようになったんですけども、残念ながら敵地に入ってする事は中々出来ないと。
いうところで目に付けたのが中国東北地方の延吉だったんです。
98年から99年、私はその前の仕事を辞めましてですね。
単身で98年から99年まで延吉ですよね。
そちらに乗り込んで延辺大学というところで1年間、表向きは留学生という形なんですけども、1年間滞在して脱北者の現状とか調査をしてきました。
でも、一番の目的は何かといえば、やはりそれは北朝鮮民主化を求める、もしくは民主化を訴える北朝鮮の人間を何とか支援したいというそういう思いがあったんですよね。
当時は今と比べて本当に脱北者の数は多かったです。
皆さんもいろいろな映像でみられていると思うんですけども、町の中央の市場に行ったら本当にボロボロの(服)を着た栄養失調の子供がお金をくださいという感じで言う子がたくさんいて、一日多いときは何十人と見て、僕自身子供も大人も含めて100人くらいは会ったんじゃないか?と思っています。
彼らに共通しているのは食べられないことによる無気力なんですよね、やっぱり。
気力が無くなっていると。
目が全然気力が無いんですよね。
最初に行ったときに実は笑われるかもしれないんですけども、私自身は北朝鮮の延吉辺りに行けばですね。
フィデル・カストロやチェ・ゲバラのように十二人で・・・に乗ってゲリラ戦を戦ってね。
革命を勝ち取ったような、そういう骨のある奴がいるんじゃないか?と思っていたんですが、残念ながらそういう奴はいなくてですね。
せいぜい酒に飲んだくれて愚痴を言っているくらいの、そういう脱北者がいなかったという悲しい現状があるんですけども、それはそれで彼らが如何に北朝鮮で食べられないことで、人間破壊を進められているかというような現状だったと思います。
そうは言いながらも地道な活動が実ってですね。
丁度10年前の今頃ですよね。
インサイド・ノースコリアといって北朝鮮の映像が公開されました。
あの映像を撮ったアンチョルと言う人間も私も北朝鮮の延吉に行って直後からずっと付き合っていて、何回も失敗を重ねたんですけども、やっと彼の努力が実って彼は北朝鮮に帰ってあの映像を撮って帰ってきて、初めて僕らに見せた時に、さすがに僕たちもここまでひどいのか?と言うのはその時に想像も出来なかったです。
それくらい頭の中では分かっているつもりだったんですけどショックだったです。
機会があったらDVDとかもあるのでみて欲しいと思うんですけども、このインサイド・ノースコリアと言う映像がですね。
僕は非常に手前味噌になっちゃうんですが、価値があると思うのは、これは北朝鮮の民主化を求める青年が撮影したい映像だという事なんですよね。
次の話につながっていくんですけども、それ以降たくさんの映像もしくは写真、情報と言うものが日本のメディアで紹介されるようになりました。
特に最初に川嶋先生の話にもあったように2002年の拉致以降は何でもあり状態で、北朝鮮に関するものは何でもありで映像から情報から話から含めていろいろ出ました。
でもその中に本当に北朝鮮の何か未来、もしくは将来、社会変革、そういったものにつながるような情報と言うのは本当に数少なかったんですよね。
やっぱり。
そういった中にインサイド・ノースコリアというのは、北朝鮮の変革・民主化を求める青年が撮影したというところで、これは非常に価値があるものじゃないか?と言うところで、今でも思っております。
最近はですね。
北朝鮮のジャーナリストとしては日本では第一人者と言えると思うんですけども、石丸次郎さんがですね。
リムジン河という雑誌にですね。
今の北朝鮮の情報を余すところなく、詳細なレポートを本と言う形に書いているんですけども、彼が日本の放送局で出す映像やその本を通じて分かるのは、やはり北朝鮮の人間の意識と言うものが劇的に変化してきていると。
もちろんそれが北朝鮮の民主化や変革につながるようなそこまでは行っていないです。
ただ、一時期僕がいた98年99年は何も知らなかったんですよね。
世間の事は、世の中の事は、外の事は。
ところが最近は、例えば金正日の健康状態が悪化していると、これはかなりの人間が情報を把握しているらしいです。
金正男、正男ちゃんですよね。
正男君が北京へ行ったという話があればそういう話も流れるというような。
基本的に北朝鮮と言うのは口コミ社会なんですよね。
メディアと言うものが無いんです。
ただ、口コミの影響と言うのは絶大で、一つ伝わるとどんどんどんどん伝わっていくと。
以前ほど言論に対する統制もなくなっていく中で、我々もこれをどんどん利用すべきじゃないかと思うんですけど、そういう意味でも先ほど言った風船ビラ作戦と言うのは非常に効果的なんじゃないかというふうに、私は思っております。
北朝鮮の人間が劇的に意識が変わっているかと言うのを我々が伝えたいか?と言うのはですね。
残念ながら我々の中でもそうですけども、一般の中でも、まだ北朝鮮の人間と言うものが洗脳されていて何も出来ない人間なんじゃないか?と言うことを考えている方がまだたくさんおられると思います。
それは仕方が無いです。
実際彼らの意識というのは、中々伝わってこないんですけど、でも先ほど言いましたように確実に彼らの意識と言うものは変わってきて、必ずそれが北朝鮮の社会変革・民主化につながるようなものであると、私は思っておりますし、そういうふうにアクションを起こす事が必要なんじゃないかと思います。
あと一方ですね。
北朝鮮の人間は思想を洗脳されていて何も知らない。
それと同時に北朝鮮の人間はけしからんと、そういう事を言うような方も中にはおられるようです。
これは我々の人権運動をやっている中でもそういう事を公に語る方も含まれますけども、あくまでも我々の敵と言うのは、北朝鮮当局金正日政権であり、北朝鮮当局であるというのを間違えないと、実はこうやって北朝鮮の人間はけしからんと。
それだけではなくて在日コリアンや在日朝鮮人や、朝鮮総連はしょうがないとしても、韓国も含めてけしからんと言う方も中にいるですけども、そういうのを聞いて一番喜ぶのは実は北朝鮮なんですよね。
ああいう独裁国家と言うのは、外から攻撃される事が一番喜ぶことなんですよね。
中を引き締めるために。
私自身3年間大阪の朝鮮総連系の学校に通っていた経験から言わせてもらうと、あそこの思想統制のやり方は一貫してそうです。
外部から我々は攻められているんだと。
そのために我々は一致団結して外部の敵と戦わなければダメなんだと。
今の北朝鮮がそうです。
北朝鮮に対してそれをいう事は、本当に北朝鮮が喜ぶことでほら見たことかと。
そうやって日本の差別的な人間が我々に対して言っているんだと。
非常に喜んでいます。
本当に手を叩いて喜んでいると思います。
そういう意味でもそういうところを乗り越えて、今後運動をしていくことが大事だと思っております。
今回ですね、一応北朝鮮の人権と言う題材なんですけども、川嶋先生の賢明な判断というか主催者の判断により、北朝鮮という事だけではなくてですね。
チベットの問題や様々な問題に対して取り組みました。
こういったいろんな人権問題に限らず、社会問題に幅を広げるとですね。
得てして自分たちの問題が埋没してしまうんじゃないかと言うような、僕は運動エゴと呼んでいるんですけど、そういう事を言う方とか、そういう考えを持つ方がおられるみたいなんですけど、やはりそうじゃなくて広い観点で自分たちの問題を捉えることによって、それで進めていくことが他者に対する思いやりだし。
他者に対する思いやりが僕は人権だと思っています。
もしそれで埋没するようでしたら、それはその程度の問題だったんです。
もしくはその運動を進めている方々の努力不足です。
はっきり言って。
そんなこと恐れていて運動なんか出来ません。
はっきり言って。
私のRENKというのは李英和さんが非常に頑張ってメディアに出ることによって名前だけは知られているようになったんですが、残念ながら体力的な不足で、ゲリラ的な活動しか出来ないんですけど、今後もですね。
とにかく我々が訴えたいのは、北朝鮮の民主化と北朝鮮の人権です。
そのためにはその事に賛同されている方なら、どんな方でも手を組むし、どんな方でも手を組んで一緒にやろうという意識はございます。
そこで我々みたいな小さな組織が埋没しようが、そんな事は別にどうでもいいことです。
そうじゃなくて、それによって運動が問題が一歩でも二歩でも前に進むなら、それはそれで喜んで埋没しようじゃないかと言う、そういう思いでやっております。
今後こういう機会がまたございましたらですね。
本当にもう、本当に本当にこれは謙遜ではなくて、我々微力なんですけども何らかの形で関わって行きたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
有難うございます。
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第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて
★高英起氏(RENK)
どうもこんにちは。
「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」の高英起と申します。
ちょっと座らせてお話させていただきます。
本来なら今回の集会にも、RENKの代表である関西大学の李英和代表が来なければならないんですけども、大阪に在住で多忙という事もあって、今回は私が東京事務局を代表してこの場でお話させていただきます。
それでまず、RENKといいましても中々組織としてそんなに有名な組織ではないと思いますので、若干我々が何をしているか?と言う事について説明させて頂きたいと思います。
結成したのは1993年です。
今から15年前です。
私は結成以前から関わっているんですけども、結成した時は本当に来年にでも倒れるかと思ったんですけども、残念なことにもう15年間続いてしまって、毎年毎年今年こそはと思い続けているんですけども、残念ながら北朝鮮は中々民主化が達成できずに、現状多くの北朝鮮の人民、そして拉致された方々苦しんでいるというような状況でございます。
我々は「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」という名前なんですけども、我々が訴えているのはとにかく北朝鮮の民主化です。
それが全てです。
人権と民主主義です。
今の北朝鮮を民主化して人権が保障されるような国になるように働き掛けるというのが、我々の基本的なスタンスです。
とはいっても、日本でそれを訴えようにもどうしようもないですよね?
よく我々が言うのは、リングの外から石を投げているだけかもしれない。
ただ、それでもリングの中で戦っている人にとっては、それは非常に強い力になるんじゃないかと言うところで、まず我々が始めたのはですね。
当時は北朝鮮の要人が来ていたんですよね。
結構公な形で来ていて、日本を訪れていて朝鮮総連を中心にですね。
いろんな工作を含めてなんですけども、話をしたりとか、いろいろな献金を募ったりとかそういう事をしていたわけですよね。
で、我々が考えたのは彼らに対する抗議行動。
つまり北朝鮮の幹部たちに北朝鮮の民主化を求めるような人たち、もしくはそういう声が日本にはあるんだという事を、(アピール)する事が大切なんだと思うようになりました。
そこで始めたのが、例えば彼らがJRの大阪駅に着いたらIRの大阪駅に乗り込んで、プラカードを持って北朝鮮の民主化を叫んだりとかですね。
そういう事を続けておりました。
時にはですね。
神戸港に入った、多分海は万景峰号ではなかったと思うんですけども、船に対してですね。
船をチャーターしてですね。
海上デモと言う形で、船の横に北朝鮮の民主化と言う大きな横断幕を着けてですね。
都合10分くらい北朝鮮の船に対してアピールすると、おそらくこれは史上初だと僕は思っているんですけれど、そういった事をしていました。
そこで事でですね。
駅とかホテルとかでの陸上戦ですよね。
陸上戦はこちらでの大勝利で終わったと。
海上戦も大勝利で終わったと。
という事でみんなの中からは次は空中戦やという話もあったんですけども、残念ながら空中からの抗議戦というのは実現に至っていないんですけども、最近、北朝鮮を非常に悩ませているのは風船爆弾ですよね?
風船爆弾じゃない?(笑)
僕らは風船爆弾と呼んでますけども、あれこそ爆弾だなと思っているんですけども、爆弾ではないんですけども、あそこにビラをやって荒木さんの調査会の方からそれをやったと思うんですけど、アレがかなり効果的で北朝鮮がかなり嫌がっていると。
中には一ドル札と言うのを出渡してやっているんですけども、あのアイデアは非常に秀逸でどんどんどんどんやるべきだと思っているんですけども、そういった形で我々は北朝鮮に対してアクションを起こしてまいりました。
ただやっぱり最初に言いましたように、外からのアクションにしか過ぎないという事で、虎穴に入らずば虎児を得ずということで、何とか敵地に乗り込む事は出来ないか?と方法論を模索するようになったんですけども、残念ながら敵地に入ってする事は中々出来ないと。
いうところで目に付けたのが中国東北地方の延吉だったんです。
98年から99年、私はその前の仕事を辞めましてですね。
単身で98年から99年まで延吉ですよね。
そちらに乗り込んで延辺大学というところで1年間、表向きは留学生という形なんですけども、1年間滞在して脱北者の現状とか調査をしてきました。
でも、一番の目的は何かといえば、やはりそれは北朝鮮民主化を求める、もしくは民主化を訴える北朝鮮の人間を何とか支援したいというそういう思いがあったんですよね。
当時は今と比べて本当に脱北者の数は多かったです。
皆さんもいろいろな映像でみられていると思うんですけども、町の中央の市場に行ったら本当にボロボロの(服)を着た栄養失調の子供がお金をくださいという感じで言う子がたくさんいて、一日多いときは何十人と見て、僕自身子供も大人も含めて100人くらいは会ったんじゃないか?と思っています。
彼らに共通しているのは食べられないことによる無気力なんですよね、やっぱり。
気力が無くなっていると。
目が全然気力が無いんですよね。
最初に行ったときに実は笑われるかもしれないんですけども、私自身は北朝鮮の延吉辺りに行けばですね。
フィデル・カストロやチェ・ゲバラのように十二人で・・・に乗ってゲリラ戦を戦ってね。
革命を勝ち取ったような、そういう骨のある奴がいるんじゃないか?と思っていたんですが、残念ながらそういう奴はいなくてですね。
せいぜい酒に飲んだくれて愚痴を言っているくらいの、そういう脱北者がいなかったという悲しい現状があるんですけども、それはそれで彼らが如何に北朝鮮で食べられないことで、人間破壊を進められているかというような現状だったと思います。
そうは言いながらも地道な活動が実ってですね。
丁度10年前の今頃ですよね。
インサイド・ノースコリアといって北朝鮮の映像が公開されました。
あの映像を撮ったアンチョルと言う人間も私も北朝鮮の延吉に行って直後からずっと付き合っていて、何回も失敗を重ねたんですけども、やっと彼の努力が実って彼は北朝鮮に帰ってあの映像を撮って帰ってきて、初めて僕らに見せた時に、さすがに僕たちもここまでひどいのか?と言うのはその時に想像も出来なかったです。
それくらい頭の中では分かっているつもりだったんですけどショックだったです。
機会があったらDVDとかもあるのでみて欲しいと思うんですけども、このインサイド・ノースコリアと言う映像がですね。
僕は非常に手前味噌になっちゃうんですが、価値があると思うのは、これは北朝鮮の民主化を求める青年が撮影したい映像だという事なんですよね。
次の話につながっていくんですけども、それ以降たくさんの映像もしくは写真、情報と言うものが日本のメディアで紹介されるようになりました。
特に最初に川嶋先生の話にもあったように2002年の拉致以降は何でもあり状態で、北朝鮮に関するものは何でもありで映像から情報から話から含めていろいろ出ました。
でもその中に本当に北朝鮮の何か未来、もしくは将来、社会変革、そういったものにつながるような情報と言うのは本当に数少なかったんですよね。
やっぱり。
そういった中にインサイド・ノースコリアというのは、北朝鮮の変革・民主化を求める青年が撮影したというところで、これは非常に価値があるものじゃないか?と言うところで、今でも思っております。
最近はですね。
北朝鮮のジャーナリストとしては日本では第一人者と言えると思うんですけども、石丸次郎さんがですね。
リムジン河という雑誌にですね。
今の北朝鮮の情報を余すところなく、詳細なレポートを本と言う形に書いているんですけども、彼が日本の放送局で出す映像やその本を通じて分かるのは、やはり北朝鮮の人間の意識と言うものが劇的に変化してきていると。
もちろんそれが北朝鮮の民主化や変革につながるようなそこまでは行っていないです。
ただ、一時期僕がいた98年99年は何も知らなかったんですよね。
世間の事は、世の中の事は、外の事は。
ところが最近は、例えば金正日の健康状態が悪化していると、これはかなりの人間が情報を把握しているらしいです。
金正男、正男ちゃんですよね。
正男君が北京へ行ったという話があればそういう話も流れるというような。
基本的に北朝鮮と言うのは口コミ社会なんですよね。
メディアと言うものが無いんです。
ただ、口コミの影響と言うのは絶大で、一つ伝わるとどんどんどんどん伝わっていくと。
以前ほど言論に対する統制もなくなっていく中で、我々もこれをどんどん利用すべきじゃないかと思うんですけど、そういう意味でも先ほど言った風船ビラ作戦と言うのは非常に効果的なんじゃないかというふうに、私は思っております。
北朝鮮の人間が劇的に意識が変わっているかと言うのを我々が伝えたいか?と言うのはですね。
残念ながら我々の中でもそうですけども、一般の中でも、まだ北朝鮮の人間と言うものが洗脳されていて何も出来ない人間なんじゃないか?と言うことを考えている方がまだたくさんおられると思います。
それは仕方が無いです。
実際彼らの意識というのは、中々伝わってこないんですけど、でも先ほど言いましたように確実に彼らの意識と言うものは変わってきて、必ずそれが北朝鮮の社会変革・民主化につながるようなものであると、私は思っておりますし、そういうふうにアクションを起こす事が必要なんじゃないかと思います。
あと一方ですね。
北朝鮮の人間は思想を洗脳されていて何も知らない。
それと同時に北朝鮮の人間はけしからんと、そういう事を言うような方も中にはおられるようです。
これは我々の人権運動をやっている中でもそういう事を公に語る方も含まれますけども、あくまでも我々の敵と言うのは、北朝鮮当局金正日政権であり、北朝鮮当局であるというのを間違えないと、実はこうやって北朝鮮の人間はけしからんと。
それだけではなくて在日コリアンや在日朝鮮人や、朝鮮総連はしょうがないとしても、韓国も含めてけしからんと言う方も中にいるですけども、そういうのを聞いて一番喜ぶのは実は北朝鮮なんですよね。
ああいう独裁国家と言うのは、外から攻撃される事が一番喜ぶことなんですよね。
中を引き締めるために。
私自身3年間大阪の朝鮮総連系の学校に通っていた経験から言わせてもらうと、あそこの思想統制のやり方は一貫してそうです。
外部から我々は攻められているんだと。
そのために我々は一致団結して外部の敵と戦わなければダメなんだと。
今の北朝鮮がそうです。
北朝鮮に対してそれをいう事は、本当に北朝鮮が喜ぶことでほら見たことかと。
そうやって日本の差別的な人間が我々に対して言っているんだと。
非常に喜んでいます。
本当に手を叩いて喜んでいると思います。
そういう意味でもそういうところを乗り越えて、今後運動をしていくことが大事だと思っております。
今回ですね、一応北朝鮮の人権と言う題材なんですけども、川嶋先生の賢明な判断というか主催者の判断により、北朝鮮という事だけではなくてですね。
チベットの問題や様々な問題に対して取り組みました。
こういったいろんな人権問題に限らず、社会問題に幅を広げるとですね。
得てして自分たちの問題が埋没してしまうんじゃないかと言うような、僕は運動エゴと呼んでいるんですけど、そういう事を言う方とか、そういう考えを持つ方がおられるみたいなんですけど、やはりそうじゃなくて広い観点で自分たちの問題を捉えることによって、それで進めていくことが他者に対する思いやりだし。
他者に対する思いやりが僕は人権だと思っています。
もしそれで埋没するようでしたら、それはその程度の問題だったんです。
もしくはその運動を進めている方々の努力不足です。
はっきり言って。
そんなこと恐れていて運動なんか出来ません。
はっきり言って。
私のRENKというのは李英和さんが非常に頑張ってメディアに出ることによって名前だけは知られているようになったんですが、残念ながら体力的な不足で、ゲリラ的な活動しか出来ないんですけど、今後もですね。
とにかく我々が訴えたいのは、北朝鮮の民主化と北朝鮮の人権です。
そのためにはその事に賛同されている方なら、どんな方でも手を組むし、どんな方でも手を組んで一緒にやろうという意識はございます。
そこで我々みたいな小さな組織が埋没しようが、そんな事は別にどうでもいいことです。
そうじゃなくて、それによって運動が問題が一歩でも二歩でも前に進むなら、それはそれで喜んで埋没しようじゃないかと言う、そういう思いでやっております。
今後こういう機会がまたございましたらですね。
本当にもう、本当に本当にこれは謙遜ではなくて、我々微力なんですけども何らかの形で関わって行きたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
有難うございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・