◆開会にあたって
川島高峰氏 明治大学情報コミュニケーション学部准教授
みなさんごきげんよう。
本日はお休みの中、お越し頂きまして誠にありがとうございました。
ただ今より、【アジアの人権 拉致・収容所・脱北 収容所問題を考える】北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会を開催いたします。
私本日の会の事務局をしております明治大学の情報コミュニケーション学部の川島と申します
僭越ながら、はじめに、私のほうからですね今日こうした催しを開催するに至った経緯、そして「アジア人権人道学会」というのを作ろうではないかといういうことを--去年の今頃ですが--六団体の皆さんにお話をしまして、それから1年、今日の日を迎えることができました。
そして、一体何をを考えているのかというのを、簡単にお話をさせていただきたいと思います。基本として考えていることは、私はレジメに書ききったと私は思っております。
一つはですね、アジアと申しておりますが、私はここで、21世紀の東アジア、東南アジアを中心にしたアジアということを考えております。
人の移動ををめぐる人権人道問題、これがどんどん、どんどんアジア全域に拡大していく時代になってきました。ボーダレスということが、非常に良い響きをもって語られた時代がありましたが、実際にボーダレスがどんどんどんどん拡大していくと、人の移動に伴う、様々な人権人道問題というものが出てきております。
そうした中で、先進成熟社会に位置する日本が、人権人道について、リーダーシップをとることが必要なのではないかということを考えております。
学会というと、非常に非常大げさな響きだな、と正直思っております。
今日来ていただいている6団体のみなさんは、本当に人権人道を巡って、本当に心を裂き、身を割き、現場で支援の活動をなさっている方ばかりです。
ですから、私自身は、学会というと非常に高遠な理念を目指すように、みなさま想像するかもしれませんが、学会ということで、私が考えたいと思っているのは、学問のあり方を根底から考えなければダメだと言うことを、それを強く思っているからです。
そのきっかけを話させていただきたいと思います。
これは、今から、11年前になりますが、青山で、北朝鮮の人道支援を巡る集会がございました。私も何とかして北朝鮮の飢餓の問題に何か貢献することができないのかと、あの飢餓に苦しむ民衆に何とかして一粒でも米を届けることはできないのか、そういうことに非常に頭を悩ませていた時期がございます。それは94年ですか、その比較的大きなNGO団体による人道援助に関わる勉強会というのがございました。その時のことです。その集会の中である一人の男性が、『人道援助というのはわかるが、あの北朝鮮という国の実状を、皆さんはよくわかっていないのではないか』と言うことを非常に強く訴えました。私は、そういった大きな集会の場で訴えるのに非常に驚きました。その日にその本を手にしたわけです。それが、アンミョンチルの『北朝鮮絶望収容所』という本です。私はそれを読んで驚きました。
という本です。二つのことに驚きました。ひとつは、そこで行われている事に驚いた、ふたつめは、自分はそれを知らなかったと言うことです。知らなかったと言うことにもの凄く驚いたんですね。
そしてそれがですね、日本の社会科学のあり方とは、どうなんだろうかと。それを知らないで済んできてしまう知識情報の環境とはどういう事なんだろうかと、非常に強く考えるようになりました。その時の訴えた男性は、今日も来ていらっしゃいますが、小川晴久先生です。
そこから、様々な転機がございました。ここに来ている方は、みなさんよくご存知だと思いますが、2002年もの凄く大きな転機だったと思います。拉致を北朝鮮の側が公に認めるということがありました。あともうひとつは、これは非常に大きな出来事です。日本の領事館に脱北者が逃げ込むと。それを中国の官憲当局がブロックすると。そういう非常に衝撃的な事件がございました。
そういう2002年の出来事の中で、いよいよ持って自分は何も知らないんだなと。こういう事が起こらないと、何か事件が起こらないと知ることができないんだなと。
私自身は、アカデミズム、大学、学問という場にいて、そう言った情報を、既存のアカデミズムの中で、残念ながら、十分に知ることができないでいる。
そこに、新しく「アジアの人道と人権を考える学会」、そしてそう言った地域に蓄積されている、人権問題、人道問題、これはですね、実のところは、学実の場ではなく、現場で活動されている、非常に重要な情報が蓄積されているわけです。そうした現場に対して、私は、もっと謙虚に学んでいかなければならないと、知らないわけですから。
ですから、そういうことが、私が、こういう学会を作ってみませんかということを、昨年、六団体のみなさんによびかけたきっかけございます。
さて、そうした中で、私が自信が強く思うところはですね、私も、学者の端くれでございますから、学問の形成とか、理念、学問的真理とは何かとそう言うことを考えたいという『欲求』を持っています。しかし、実はそれが『欲求』なのだということに非常に強く気づかされたわけでございます。
どういうことかと申し上げますと、残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。
そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。
そして、それを最も痛切に感じたのは、正に冷戦後のアジアなんですね。
冷戦後のアジアでは、まだ冷戦が続いているわけです。その続いてしまっている冷戦、心の中の冷戦が、多くの人権人道問題を作り出してきている。いや、作り出しているだけではない、みえないようなベールになってしまっている。これを何とかしなければならない。これが、私がこの学会を作ろうと考えた、私の気持ち、考えでございます。
つまり、学問を形成するとかそういうことではないです。人道、人権を学問的に形成するということではなくて、まず、アジアの人権人道の現場から、学問のあり方を、根本から考え直さなければならない。そう言う時代に生きているのだということを私は考えて呼びかけをしました。
(2)に続く
――――――――――――――――――――――――――――――――
小川先生は、川島先生という後輩ができて本当に良かったですね!
文中の 『残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。
そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。』
この部分は、私たちもしっかり受け止めなければならないと思います。
川島高峰氏 明治大学情報コミュニケーション学部准教授
みなさんごきげんよう。
本日はお休みの中、お越し頂きまして誠にありがとうございました。
ただ今より、【アジアの人権 拉致・収容所・脱北 収容所問題を考える】北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会を開催いたします。
私本日の会の事務局をしております明治大学の情報コミュニケーション学部の川島と申します
僭越ながら、はじめに、私のほうからですね今日こうした催しを開催するに至った経緯、そして「アジア人権人道学会」というのを作ろうではないかといういうことを--去年の今頃ですが--六団体の皆さんにお話をしまして、それから1年、今日の日を迎えることができました。
そして、一体何をを考えているのかというのを、簡単にお話をさせていただきたいと思います。基本として考えていることは、私はレジメに書ききったと私は思っております。
一つはですね、アジアと申しておりますが、私はここで、21世紀の東アジア、東南アジアを中心にしたアジアということを考えております。
人の移動ををめぐる人権人道問題、これがどんどん、どんどんアジア全域に拡大していく時代になってきました。ボーダレスということが、非常に良い響きをもって語られた時代がありましたが、実際にボーダレスがどんどんどんどん拡大していくと、人の移動に伴う、様々な人権人道問題というものが出てきております。
そうした中で、先進成熟社会に位置する日本が、人権人道について、リーダーシップをとることが必要なのではないかということを考えております。
学会というと、非常に非常大げさな響きだな、と正直思っております。
今日来ていただいている6団体のみなさんは、本当に人権人道を巡って、本当に心を裂き、身を割き、現場で支援の活動をなさっている方ばかりです。
ですから、私自身は、学会というと非常に高遠な理念を目指すように、みなさま想像するかもしれませんが、学会ということで、私が考えたいと思っているのは、学問のあり方を根底から考えなければダメだと言うことを、それを強く思っているからです。
そのきっかけを話させていただきたいと思います。
これは、今から、11年前になりますが、青山で、北朝鮮の人道支援を巡る集会がございました。私も何とかして北朝鮮の飢餓の問題に何か貢献することができないのかと、あの飢餓に苦しむ民衆に何とかして一粒でも米を届けることはできないのか、そういうことに非常に頭を悩ませていた時期がございます。それは94年ですか、その比較的大きなNGO団体による人道援助に関わる勉強会というのがございました。その時のことです。その集会の中である一人の男性が、『人道援助というのはわかるが、あの北朝鮮という国の実状を、皆さんはよくわかっていないのではないか』と言うことを非常に強く訴えました。私は、そういった大きな集会の場で訴えるのに非常に驚きました。その日にその本を手にしたわけです。それが、アンミョンチルの『北朝鮮絶望収容所』という本です。私はそれを読んで驚きました。
という本です。二つのことに驚きました。ひとつは、そこで行われている事に驚いた、ふたつめは、自分はそれを知らなかったと言うことです。知らなかったと言うことにもの凄く驚いたんですね。
そしてそれがですね、日本の社会科学のあり方とは、どうなんだろうかと。それを知らないで済んできてしまう知識情報の環境とはどういう事なんだろうかと、非常に強く考えるようになりました。その時の訴えた男性は、今日も来ていらっしゃいますが、小川晴久先生です。
そこから、様々な転機がございました。ここに来ている方は、みなさんよくご存知だと思いますが、2002年もの凄く大きな転機だったと思います。拉致を北朝鮮の側が公に認めるということがありました。あともうひとつは、これは非常に大きな出来事です。日本の領事館に脱北者が逃げ込むと。それを中国の官憲当局がブロックすると。そういう非常に衝撃的な事件がございました。
そういう2002年の出来事の中で、いよいよ持って自分は何も知らないんだなと。こういう事が起こらないと、何か事件が起こらないと知ることができないんだなと。
私自身は、アカデミズム、大学、学問という場にいて、そう言った情報を、既存のアカデミズムの中で、残念ながら、十分に知ることができないでいる。
そこに、新しく「アジアの人道と人権を考える学会」、そしてそう言った地域に蓄積されている、人権問題、人道問題、これはですね、実のところは、学実の場ではなく、現場で活動されている、非常に重要な情報が蓄積されているわけです。そうした現場に対して、私は、もっと謙虚に学んでいかなければならないと、知らないわけですから。
ですから、そういうことが、私が、こういう学会を作ってみませんかということを、昨年、六団体のみなさんによびかけたきっかけございます。
さて、そうした中で、私が自信が強く思うところはですね、私も、学者の端くれでございますから、学問の形成とか、理念、学問的真理とは何かとそう言うことを考えたいという『欲求』を持っています。しかし、実はそれが『欲求』なのだということに非常に強く気づかされたわけでございます。
どういうことかと申し上げますと、残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。
そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。
そして、それを最も痛切に感じたのは、正に冷戦後のアジアなんですね。
冷戦後のアジアでは、まだ冷戦が続いているわけです。その続いてしまっている冷戦、心の中の冷戦が、多くの人権人道問題を作り出してきている。いや、作り出しているだけではない、みえないようなベールになってしまっている。これを何とかしなければならない。これが、私がこの学会を作ろうと考えた、私の気持ち、考えでございます。
つまり、学問を形成するとかそういうことではないです。人道、人権を学問的に形成するということではなくて、まず、アジアの人権人道の現場から、学問のあり方を、根本から考え直さなければならない。そう言う時代に生きているのだということを私は考えて呼びかけをしました。
(2)に続く
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小川先生は、川島先生という後輩ができて本当に良かったですね!
文中の 『残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。
そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。』
この部分は、私たちもしっかり受け止めなければならないと思います。