■平沼拉致議連会長へ、特定失踪者家族からの手紙(4)山本美保さんの妹さん
山本美保さんの事件については失踪のみならず警察の対応についても疑問が提起されています。
詳しくは「山本美保さんの家族を支援する会」のホームページをご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
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嘆 願 書
姉が家族の前からいなくなって24年が過ぎました。2002年、拉致された5人の方々がやっと解放され、日本の国土を踏むことができました。その方々と同じ歳月が流れてしまいました。
拉致問題を忘れないというアメリカ大統領のコメントが紹介されましたが、嬉しいというよりとてもむなしい響きに聞こえました。アメリカ大統領がこの問題を重視しているというよりは、過去のことだと言っているように聞こえたからです。拉致問題はノスタルジーと同じレベルで語られては困るのです。今、救いを待っている人たちが大勢いることを強く心に刻んでください。何の理由もなく家族から引き離され、自由を奪われている人々が現にいるということを、強く思ってください。
私達家族は、姉の戸籍に何も記せずにきました。交通事故で失った兄の戸籍に×がつけられているのを見るのは、辛くてたまりませんでした。亡骸に接し、諦めるしかなく、辛い中それを受け入れてきました。しかし、姉は生きています。生きて、苦しい中でも耐えて救いを待っています。それを思うと、×をつけることはできませんでした。確固たる証拠がない現在、姉は亡くなってなどいません。生きて北朝鮮でひたすら救いを待っているのです。
再調査を約束した北の金政権は、またもや約束を反故にしました。責任という言葉を持たない人物に思えます。その相手に、支援の約束を簡単に告げるのは、拉致という大罪に荷担しているように思えます。どうか、金政権に対し、罪を犯しているということを強く認識させてください。
大罪を犯し続けるのであれば、国際社会から孤立し、何の見返りどころか罰を受けることになるということを認識させてください。そして、その罰を科さなくてはいけないということを国際社会に訴えてほしいのです。
奪われた人を奪い返すのに、こんなにも時間と労力がいるのかと思い知らされています。横田めぐみさんのご両親は、1000回を超える集会に出席し、救出を訴えてきました。1000回達成というその時のニュースにも違和感を覚えました。記録を打ち立てたようなアナウンスに、怒りさえ覚えました。決して体が健康ではないご両親に、これほどの負担をかけているという現実をどう受け止めているのかと思いました。私自身、仕事と家庭、姉救出の活動との狭間で、身動きのとれない状況や、新たな障害とも向き合わなくてはならない現実を味わってきました。こ
れまで生きてこられましたのも、姉のことを親身に心配し、具体的な行動として支援してくださった多くの方々のお力添えによるものです。その方々への感謝の気持ちは忘れたことがありません。
支援してくださった多くの方々の思いに応える意味でも、必ず姉を救い出し、姉に紹介したいと思っています。
北朝鮮にいる拉致被害者の置かれている状況を是非理解し、一刻も早い救出をお願い致します。
残された家族がこの世に生きている間に、是非再会させてくださいますよう、切にお願い致します。
2008年9月11日
山梨県甲府市 山本美保の妹
森本美沙
◆―――――――――――――――――――――――――◆
氏 名 :山本 美保
失踪年月日 :昭和59(1984)年6月4日
ふりがな :やまもと みほ
生年月日 : 昭和39(1964)年3月3日
性 別 :女
当時の年齢 :20
身 長 体重:160センチ 51キロ
公 開 :第1次公開
当時の身分 :大学受験生
特 徴 :左目の下に3針縫った跡。左手にしもやけの軽いケロイド。靴のサイズ23.5センチ。
失踪 場所 :山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明
失踪 状況 :
図書館に行くと言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6カ月後の2回の電話は10~15分ほど続き、相手はじっと聞いている様子だった。3年6カ月後の電話はすすり泣くような声が聞かれた。平成16年1月29日、山梨県警に告発状提出。
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山本美保さんの事件については失踪のみならず警察の対応についても疑問が提起されています。
詳しくは「山本美保さんの家族を支援する会」のホームページをご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
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嘆 願 書
姉が家族の前からいなくなって24年が過ぎました。2002年、拉致された5人の方々がやっと解放され、日本の国土を踏むことができました。その方々と同じ歳月が流れてしまいました。
拉致問題を忘れないというアメリカ大統領のコメントが紹介されましたが、嬉しいというよりとてもむなしい響きに聞こえました。アメリカ大統領がこの問題を重視しているというよりは、過去のことだと言っているように聞こえたからです。拉致問題はノスタルジーと同じレベルで語られては困るのです。今、救いを待っている人たちが大勢いることを強く心に刻んでください。何の理由もなく家族から引き離され、自由を奪われている人々が現にいるということを、強く思ってください。
私達家族は、姉の戸籍に何も記せずにきました。交通事故で失った兄の戸籍に×がつけられているのを見るのは、辛くてたまりませんでした。亡骸に接し、諦めるしかなく、辛い中それを受け入れてきました。しかし、姉は生きています。生きて、苦しい中でも耐えて救いを待っています。それを思うと、×をつけることはできませんでした。確固たる証拠がない現在、姉は亡くなってなどいません。生きて北朝鮮でひたすら救いを待っているのです。
再調査を約束した北の金政権は、またもや約束を反故にしました。責任という言葉を持たない人物に思えます。その相手に、支援の約束を簡単に告げるのは、拉致という大罪に荷担しているように思えます。どうか、金政権に対し、罪を犯しているということを強く認識させてください。
大罪を犯し続けるのであれば、国際社会から孤立し、何の見返りどころか罰を受けることになるということを認識させてください。そして、その罰を科さなくてはいけないということを国際社会に訴えてほしいのです。
奪われた人を奪い返すのに、こんなにも時間と労力がいるのかと思い知らされています。横田めぐみさんのご両親は、1000回を超える集会に出席し、救出を訴えてきました。1000回達成というその時のニュースにも違和感を覚えました。記録を打ち立てたようなアナウンスに、怒りさえ覚えました。決して体が健康ではないご両親に、これほどの負担をかけているという現実をどう受け止めているのかと思いました。私自身、仕事と家庭、姉救出の活動との狭間で、身動きのとれない状況や、新たな障害とも向き合わなくてはならない現実を味わってきました。こ
れまで生きてこられましたのも、姉のことを親身に心配し、具体的な行動として支援してくださった多くの方々のお力添えによるものです。その方々への感謝の気持ちは忘れたことがありません。
支援してくださった多くの方々の思いに応える意味でも、必ず姉を救い出し、姉に紹介したいと思っています。
北朝鮮にいる拉致被害者の置かれている状況を是非理解し、一刻も早い救出をお願い致します。
残された家族がこの世に生きている間に、是非再会させてくださいますよう、切にお願い致します。
2008年9月11日
山梨県甲府市 山本美保の妹
森本美沙
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氏 名 :山本 美保
失踪年月日 :昭和59(1984)年6月4日
ふりがな :やまもと みほ
生年月日 : 昭和39(1964)年3月3日
性 別 :女
当時の年齢 :20
身 長 体重:160センチ 51キロ
公 開 :第1次公開
当時の身分 :大学受験生
特 徴 :左目の下に3針縫った跡。左手にしもやけの軽いケロイド。靴のサイズ23.5センチ。
失踪 場所 :山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明
失踪 状況 :
図書館に行くと言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6カ月後の2回の電話は10~15分ほど続き、相手はじっと聞いている様子だった。3年6カ月後の電話はすすり泣くような声が聞かれた。平成16年1月29日、山梨県警に告発状提出。
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