調査会ニュースより
平沼拉致議連会長へ、特定失踪者家族からの手紙(2)古川了子さんのお姉さん
前号に引き続き9月11日、特定失踪者家族と平沼赳夫拉致議連会長・西村真悟幹事長との面会
の折平沼会長に託された手紙・要請文書を掲載します。
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北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
会 長 平沼 赳夫 様
請 願 書
私たちの大切な家族古川了子は昭和48年7月7日、かかりつけの美容師に電話をして、当日の予約をキャンセルし「いま千葉駅にいます」「また近いうちに行きます」という電話を最後に突然失踪しました。当時18歳、人生に夢と希望をもって働き始めて新社会人でした。
その姿は18年後に、北朝鮮の915病院に患者として入院している姿を元北朝鮮工作員の安明進さんが目撃、会話を交わしました。会話と云っても安さんが一方的に嘆願したことを、彼女は「うんうん」と笑顔でうなずいたということでした。
それ以外の情報は、日本の警察が調べても何一つ出てきませんが、特定失踪者問題調査会での調査によれば、当時の多く人々の失踪者状況や、千葉県の戦前からの地理的特徴と在日の人々の居住状況など、安明進さんの目撃情報から、古川了子は北朝鮮による拉致被害者であると確信し、本人の拉致認定と特定失踪者全体への対応改善を求めて平成17年4月から日本政府を相手に行政訴訟を起こしました。その後平成19年4月に内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室河内隆室長の「表明書」を受け、日本政府の誠意を期待して提訴を取り下げる結果となりました。
それから一年以上経ちますが、古川了子と特定失踪者家族を取り巻く状況は何一つ変わっていません。そこで皆様のお力で政府と関係機関を強く動かし、今こそ国の威信をかけて、拉致被害者を全員取り戻してくださるようここに請願いたします。
1.日本政府は、政府が把握している「拉致の可能性を排除できない人々」の名簿を北朝鮮に突きつけ、日本の国民を取り戻すことに主導権を握って北朝鮮と交渉してください。政府は現在、特定失踪者を「拉致の可能性を排除できない人々」と呼称し、その存在は認識しているが誰それと言えない、つまり「すべての拉致被害者を取り戻す」と北朝鮮と交渉していながら、日本政府が具体的に「すべての拉致被害者とは誰々」と明言できないところに交渉の弱さがあります。
2.総理大臣に誰がなろうと「日本国民にとっての緊急最大課題は、北朝鮮による拉致問題の解決」すなわち「拉致されたすべての日本人の早期救出」であることを強く認識し、政府はもとより、外交その他関係者が一丸となって、被害者国民の人権を復権してください。
3.今回の総理大臣辞任による北朝鮮側の「様子見」の態度は全く遺憾であり、日本の総理が誰であろうと2002年の日朝平壌宣言に則り、実務者交渉の約束を順守するよう強く北朝鮮に求めて、被害者本人と待ちわびる家族の命がある間に一日も早く取り戻し、全容解明していただきたくお願いします。そのためには経済制裁の安易な解除は絶対に避けてください。
平成20年 9月11日
特定失踪者 古川了子
母 古川 朗子
姉 竹下 珠路
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氏 名 : 古川 了子
失踪年 月日:昭和48(1973)年7月7日
ふり がな : ふるかわ のりこ
生年 月日 : 昭和30(1955)年1月1日
性 別 :女
当時の年齢 :18
身 長 :157センチ位 体重--
公 開 :第1次公開
当時の身分 :三井造船社員
特 徴 :中学時代水泳部、高校では卓球部部長。書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。文字を書くのは左右同じに使える。
失踪 場所 :千葉県
失踪 状況 :午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。元北朝鮮工作員安明進氏が、「'91年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
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平沼拉致議連会長へ、特定失踪者家族からの手紙(2)古川了子さんのお姉さん
前号に引き続き9月11日、特定失踪者家族と平沼赳夫拉致議連会長・西村真悟幹事長との面会
の折平沼会長に託された手紙・要請文書を掲載します。
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北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
会 長 平沼 赳夫 様
請 願 書
私たちの大切な家族古川了子は昭和48年7月7日、かかりつけの美容師に電話をして、当日の予約をキャンセルし「いま千葉駅にいます」「また近いうちに行きます」という電話を最後に突然失踪しました。当時18歳、人生に夢と希望をもって働き始めて新社会人でした。
その姿は18年後に、北朝鮮の915病院に患者として入院している姿を元北朝鮮工作員の安明進さんが目撃、会話を交わしました。会話と云っても安さんが一方的に嘆願したことを、彼女は「うんうん」と笑顔でうなずいたということでした。
それ以外の情報は、日本の警察が調べても何一つ出てきませんが、特定失踪者問題調査会での調査によれば、当時の多く人々の失踪者状況や、千葉県の戦前からの地理的特徴と在日の人々の居住状況など、安明進さんの目撃情報から、古川了子は北朝鮮による拉致被害者であると確信し、本人の拉致認定と特定失踪者全体への対応改善を求めて平成17年4月から日本政府を相手に行政訴訟を起こしました。その後平成19年4月に内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室河内隆室長の「表明書」を受け、日本政府の誠意を期待して提訴を取り下げる結果となりました。
それから一年以上経ちますが、古川了子と特定失踪者家族を取り巻く状況は何一つ変わっていません。そこで皆様のお力で政府と関係機関を強く動かし、今こそ国の威信をかけて、拉致被害者を全員取り戻してくださるようここに請願いたします。
1.日本政府は、政府が把握している「拉致の可能性を排除できない人々」の名簿を北朝鮮に突きつけ、日本の国民を取り戻すことに主導権を握って北朝鮮と交渉してください。政府は現在、特定失踪者を「拉致の可能性を排除できない人々」と呼称し、その存在は認識しているが誰それと言えない、つまり「すべての拉致被害者を取り戻す」と北朝鮮と交渉していながら、日本政府が具体的に「すべての拉致被害者とは誰々」と明言できないところに交渉の弱さがあります。
2.総理大臣に誰がなろうと「日本国民にとっての緊急最大課題は、北朝鮮による拉致問題の解決」すなわち「拉致されたすべての日本人の早期救出」であることを強く認識し、政府はもとより、外交その他関係者が一丸となって、被害者国民の人権を復権してください。
3.今回の総理大臣辞任による北朝鮮側の「様子見」の態度は全く遺憾であり、日本の総理が誰であろうと2002年の日朝平壌宣言に則り、実務者交渉の約束を順守するよう強く北朝鮮に求めて、被害者本人と待ちわびる家族の命がある間に一日も早く取り戻し、全容解明していただきたくお願いします。そのためには経済制裁の安易な解除は絶対に避けてください。
平成20年 9月11日
特定失踪者 古川了子
母 古川 朗子
姉 竹下 珠路
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氏 名 : 古川 了子
失踪年 月日:昭和48(1973)年7月7日
ふり がな : ふるかわ のりこ
生年 月日 : 昭和30(1955)年1月1日
性 別 :女
当時の年齢 :18
身 長 :157センチ位 体重--
公 開 :第1次公開
当時の身分 :三井造船社員
特 徴 :中学時代水泳部、高校では卓球部部長。書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。文字を書くのは左右同じに使える。
失踪 場所 :千葉県
失踪 状況 :午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。元北朝鮮工作員安明進氏が、「'91年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
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