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拉致の解決を願って
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叫び 拉致被害者家族会10年 【3】

2007-07-11 | 記録
 国民信じて 妻と歩む





 縁が黄色くなった画用紙大の写真。家族会事務局長の増元照明さん(51)は、それを今も自宅に保管する。写真の中で笑顔を見せるのは24歳の時の姉、るみ子さん。拉致される直前の撮影だった。
 家族会が結成された1997年、各家族が、北朝鮮に拉致された子どもの写真を持参した際、父の正一さん(故人)が手にしていたものだ。
 「父も亡くなり、写真も色あせてきた。それが10年という長さ。こんなに長くかかるとは・・・」。増元さんは今年3月、家族会結成10年を機に開かれた記者会見で写真を掲げて沈痛な面持ちで語った。
 
 増元さんは、正一さんに誘われて家族会に加わった。当初は、家族が集まる意味が分からなかった。ただ、「姉のために何かできるかもしれない」と考えた。
 結成当日、東京都港区のホテルに行くと、姉をはじめとした拉致被害者の写真が準備されていた。聞けば、名前も公表して救出を訴えるという。
 増元さんは「名前を出せば、危害が加えられるんじゃないか」と考え、ほかの家族たちに不安を漏らした。すると、集まった面々からは、「これまでの20年間、何も進展しなかった」「実名を出し解決を訴えるべきだ」と諭されたという。
 以後、実名での活動が始まった。講演会や書名活動で、横田滋さん(74)、早紀江さん(71)夫妻らがめぐみさんの写真を掲げ、名前を呼んで救出を訴える姿は、多くの人の心を打った。「あの時に名前を出していなかったら、活動は具体性を持たず、ここまで続かなかったと思う」と増元さんは振り返る。
 
 2002年9月、小泉首相が訪朝して開かれた日朝首脳会談で、北朝鮮は「(るみ子さんは)1981年に死亡」と日本政府に伝えた。しかし、北朝鮮の説明には疑問点ばかり。北朝鮮が提出してきた生年月日が違っていたり、るみ子さんの死因は家族の誰もかかったことのない「心臓病」とされた。
 正一さんは当時、末期の肺がんで寝たきりだったが、酸素マスク越しに、「北朝鮮の説明はうそだ。わしは日本を信じる。だからお前も日本を信じろ」と力を振り絞って訴えた。正一さんは、翌10月に他界した。
 増元さんは当時、正一さんの言っていた意味が分からなかった。
 04年3月、24年間勤めた水産会社を辞め、家族会の活動に専従するようになった。全国各地の講演会で満員の会場を見て、「親父の言っている意味がようやく分かってきた」という。「『日本を信じろ』とは、国民の力を信じろという意味ではないか」と。
 
 姉を救出できず、悔しい日々を送る増元さんにも、昨年、心の支えとなる人が現れた。るみ子さんと市川修一さん(当時23歳)の拉致事件を描いた舞台をプロデュースした女優、若宮優子さんと知り合い、今年3月に結婚した。
 若宮さんは、増元さんに対して「拉致問題をまだ詳しく知らない人の視線で話しかけないと、仲間内では分かるかもしれないが、一般の人にはうまく伝わらない」と、しばしばアドバイスするという。増元さんはそれに従っている。
 これまでは、全国各地へ単身で赴いていた増元さん。最近は夫妻で行動をともにすることが多い。問題解決に向け、二人三脚が始まった。
 
(読売新聞 2007年7月5日朝刊 社会部・石間俊充)

電脳補完禄より

※写真は、6月24日 マリオン前
     7月 1日 川口駅前での増元ご夫妻

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