Blue jewel

拉致の解決を願って
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(4)平野フミ子さんのお話

2005-07-17 | 藤沢市民集会


こんにちは。
今日は本当にありがとうございます。
やっぽり暑いですね。
熊本も35度くらいあるんですけども、こちらも負けずに暑いなぁと思って。
ここにお集まりの皆さん、拉致被害者を助けたいっていうその思いと、こんなに日本が駄目になったどうしたら日本を立て直すことが出来るんだろうか?
ちゃんとしたまともな国にする事が出来るんだろうか?とそういう思いの、日本が大好きな人たちが集まってくださっていると思います。
本当に感謝いたします。
ありがとうございます。

私の妹、さっき龍子さんが仰いましたけども。
修一さんと一緒に吹上浜に行って、その時に車の中にカメラがあったんですね。
その時にお互いに撮った写真です。(ホワイトボードに掲げられたるみ子さんと修一さんの写真を指差す)
ですから拉致される数時間前に撮った写真を現像しましたら、このように暑い8月の12日ですから、盆の前の日ですから。
サングラス掛けて、帽子かぶってますけども。

それを蓮池祐木子さんにですね。
帰国した翌年ですね。
「この写真はふけてるね」って仰いました。
私たちもそう思います。
これが拉致される2ヶ月前にいとこの結婚式に父と二人で出たときのスナップ写真ですね。(るみ子さんの写真を掲げる)
あの本当にふたり、これは一人で写ってますけど。
本当に父は妹を可愛がっていましたので、恥ずかしそうな顔で父と妹が一緒に写っている写真もあります。
それが1枚でしょうね。
父とるみ子が一緒に写ってる写真と言うのはですね。

本当に妹は良い子でした。
身内ですから、あの第3者として見ても親思いの良い子でした。
私が代わりに行けたら良いのになぁ、と思うくらい親孝行の子でした。(少し涙ぐみながら)
その日は私と妹は同じ鹿児島市内の会社に勤めておりましたので、(車で)私を降ろしてから妹は会社に行ってるんですね。
8月の12日、ちょうど土曜日でした。
半ドンでしたので、今日は修一君と一緒に吹上浜に夕日を見に行くんだっていうふうに、2~3日前から言ってたもんですから。

私もまだ修一君の顔は一回かニ回見たくらいででですね。
直接お話したことは無いです。
でも実直そうな感じの方でですね。
妹も今の24歳と違って昔の24歳と言うのは本当に真面目って言うか、子供ですね。
妹は暗い所が嫌いだから、ちょっとこう男性を、修一君も男性ですから、暗い所でちょっと手を握ろうとしますよね?普通ね。
嫌ってして、こんなふうにしてするんだよって。(体をよけるしぐさをしてみせる)
妹が私にこんなふうに嬉しそうに、恥ずかしそうに話をしてくれたのを思い出すんですけども。

そんな真面目な子がですね。
10時になっても電話くれない。
12時、1時、本当にその夜はまんじりともせずに夜を明かしました。
本当に私たち母と、父はちょっと船に乗ってましたので、分かりませんでしたけれども。
なんでこんなに遅いのか?
今までこんなこと無い。
携帯電話も無い時ですからね、連絡もつかないですよ。
何でるみ子こんな事、今まで一度も無いことだよね?って、事件にでも巻き込まれたんだろうかね?って言って警察に届けても警察は取り合ってくれません。
アベックで出てますから。

駆け落ちじゃないか?とか、ラブホテルにいるんじゃないか?
そんなことをする子じゃないんです!って言っても何も事件が表に出てこないもんですから、警察は取り合ってくれません。
市川さんの家族と一緒に、翌々日にですね。
吹上浜に行ったらそのような車と、スリッパと置いてあった様な状況でした。
本当に私たちは、本当に自分たちが被害者の家族になるなんて思いませんでした。
突然来るんです。
ある日突然、本当に、狙われたようにして、本当に不思議。
なんで私たちが新聞沙汰になるんだろうか?って、何でるみ子がこんな事になるんだろうかって言う、そういう思いです。

特定失踪者の方たちも私たちと同じだと思います。
私たちも本当に苦しんできました。
でも何も分からないというのが、一番の苦しみですよね。
父も妹のことを思いながら、あの世に逝きました。
本当に、どんなにか、可愛がっていた娘ですから。
一番、4人の中で一番可愛がっていた娘ですから。

私たちは父が怖くてですね。
大正生まれの頑固親父でしたから、父が怖くてあまり父と遊んだという記憶が無いんですけども。
るみ子は本当に父を慕ってですね。
もう、父ちゃんって言ってて、一番それが頑固親父にしてみれば、こんなに頑固なのに自分を慕ってくれている。
それが可愛いんでしょう。
可愛かったんでしょう。
今思えば、私も親になって初めて分かるんですけども、でもその時は子供ですから、私も。
怖い親父の所には寄り付きもしませんでしたけども。

その父がですね。
癌に倒れて、小泉さんが訪朝する。
本当に今まで1978年8月の12日拉致されてから、ず~っと、私たちは北朝鮮しかない。
産経新聞さんの方で拉致を取り上げていただいてアベックは北朝鮮に連れ去られた可能性が高い。
北朝鮮とは言ってなかった、私は第3国とちょっと覚えてるんですけども。
あ、それしかないと思ったんですね。
国交がある所じゃないですしね。
私たち個人レベルではどうすることも出来ない。

日本国政府が何かしてくれるだろう、救い出してくれるだろう。
私たちにしてみれば、放ってた状態、でした。
ですから私は妹の為に何もして上げられなかったという、すごい後悔の念がありましてですね。
こんなふうにして皆さんに訴えているんです。
後でしまった、るみ子の為に何もしてやれなかったをいうふうにですね。
顔向け、目を向けられないということが無いようにですね。
絶対にるみ子を救い出してやるっていう、あんな良い子をなんで?っていう思いがあるものですから。
皆さんにこうして訴えさせていただいております。

9月の17日に・・・あの衝撃な・・・私たちにとっては、死亡とされました。
父はもうですね。
今まで何もしなかったのに、急に小泉さんが行かれました。
その時は肺がんっていう末期っていう診断を下されていましたので、それで父はすごい期待してるわけですね。
期待すれば今度は心臓の方に負担が行くんでしょうね?
心臓も云々と言うことは何も無かったんですけども、心筋梗塞を起こしまして、絶対安静と言う状態になりまして。
そして10月になってその死亡というのを聞いたときにでも
「絶対に信じちゃおらん、北朝鮮は嘘ばっかりじゃ!」
って前から言っておりましたので。
何度も何度も北朝鮮には騙されておりましたので。
父も本当に、それは本当に断末魔の叫びでしてね。
「おれは信じちゃおらん!」
って言うことを母に9月17日にもそれは言っておりました。

10月になってから心筋梗塞もずいぶん酷くなりまして、10月15日に生存者の5人の被害者の方が帰られた翌々日にですね。
弟・増元照明にですね。
「日本を信じろ、俺は信じる」
と言うことを遺言を残しておりまして。
私はその場にいなかったんですけども、そのような事を言って旅立ちました。
私はその事を聞いて「え~?嘘だろう?」って思いました。
これほど日本の政府にですね。
拉致問題、それまで疑惑と言う形でしたので、ここまで無視され続けてきたのに。
父は本当に日本が好きだったんだな、と言う思いを新たにしたんですけども。

本当にどんなにか、妹・るみ子に会いたかったか?
常々集会って言うか、鹿児島の方でですね。
署名運動させてもらってるときに天文館、鹿児島の繁華街なんですけども、
「自分が死んで帰って来ても何もならんのだ」と。
「生きているうちに帰ってきて欲しい」っていつでも言ってました。
それはそうですよね。
死んでから会えるわけ無いんですから。
でも75、体に鞭打ちながらですね。
署名しておりましたけども。
それも叶わぬ、とうとうあの世に逝ってしまいましたけど。
あの10月の15日、生存者が帰ってきて、10月の17日にですね。
「るみ子たちのことを忘れないでくれ!」って言う。
そこまで、ギリギリまで、危篤、10月に入ってから何度ももういつ死んでもおかしくないってお医者様に言われてたんですね。
血圧はどんどん下がっていくし、それでも10月の17日、生存者が帰ってきた翌々日まで持ってくれました。

ですから皆さんに、あの、歓迎ムードの中、もちろん私たちも嬉しいです。
5人が帰ってきたことに対しては。
成果があったんだと、一人でも帰ってくればと、私たちは本当に皆で喜びましたので。
その影にはこんなして、24年間、政府は何も動いてくれなかった。
私たちはその犠牲者です。
国と国とのトラブルに私たち家族は巻き込まれているわけですね。
それをどうして国は何もしてくれなかったのか?

そっちの方の怒りもあるんですけど、とりあえずそれは置いておいて。
やっぱり私たちは家族なんだと思いました。
あと一人残された母にだけはですね。
妹を会わせてやりたい。
その思いで、るみ子を母に会わせて、とにかく体力的にも精神的にも今落ち込んでおります。
でも会えるんだと言う希望を持って生活しておりますけども。
るみ子にだけ一目会わせて、父の元にいつかは逝きますよね?
あの世に逝きます
その時の冥土の土産に私は持たせたいんです。
るみ子に会いたいよって・・・元気出して・・・あまりにも・・・可哀想ですよね。(涙で声にならず)

私も娘が一人おります。
17になります。
私もいろんなことがあって、妹がそういう状態でいなくなったもんですから、親を残していけないという思いもあったもんですから。
縁が無かったのもあるんですけども、37で結婚して38で子供産みましたので、今17歳です。
その子が13歳のときにですね。
横田めぐみちゃんはこんなときにいなくなったんだと思うとですね。
今でも私の娘はお母さん、お母さんと甘えてきます。
その事を考えるとどんなにめぐみちゃん、早紀江さん滋さんに会いたかったんだろうかと思うと、本当にいたたまれません。(このあたりまで、時折涙で声を詰まらせながらのお話)

どこまで、いつまで、被害者家族がこんなして老体に鞭打って東奔西走、日本各地。
本当に国会議員よりも忙しい生活をしてらっしゃいます。
早紀江さんは皇后陛下と同じく、頚椎ヘルニアなんです。
で、本当はこうして首を、なんて言うんですかね?
しなければいけないのに、皆さんの前では外してらっしゃるそうです。
そうしてまで皆さんの前で一生懸命訴えていただいてます。
家族の声を皆さんに聞いていただくのが一番の訴えになると、私たち時間のある限りこうして皆さんに訴えています。
でも数に限りがあります。

先日も某テレビ見てましたら、キャスターの人がですね。
「これは私の意見ですけども、経済制裁するよりも対話ですよね?」って言ったんです。
それを聞いてですね。
コメンテーターの人も「そうですよね」って仰ってたんです。
その人たちの個人的意見だといっても全国放送ですからね。
私たちがこうして皆さんと対話しているのが水の泡になっていくのが、本当に哀しくてですね。

有本恵子さんのお父さんの明弘さんも仰ってました。
月に2回講演があるけれど、だいたい500人くらいですって。
だから月1000人ですね。
年間12000人、ですね。
5年したら、5万人しか訴えられないって。
俺はもう5年しか生きられんって、ご自分で仰ってるんですけども。
5万人しか訴えられんって。
ああいう放送のキャスターの人に申し上げたいんです。
個人的意見でも私たちのこういう生の声を聞いて欲しいんです。
それでああいう発言をしていただきたいんです。

私たちの事を聞きに来てくださったのは、日テレの有田さんですね。
この間の座り込みにも3日間来て頂きました。
私たちの生の声を聞いていただきました。
そこまでしてしていただきたいんです。
ただ上っ面をですね、見ないで欲しいんです。
私たちの5月22日のバッシングも、家族だからあそこまで怒るんです。
小泉さんもあのように私たちと同じくですね、孝太郎さんが拉致されたら誘拐されたら、あのような態度を取れるんでしょうか?
私たちと同じような叫びになると思います。

そういうことにもっとですね。
日本の国家の長としてですね。
もっと国民の命を大事にしていただきたいんです。
拉致問題は小泉さんの中には無いに等しいですね。
私の感じるところでは、もう家族には3度会ったから、だからもう会う必要は無いと仰ってるそうで。
それでも私たちはそういう冷たい人だけれども、政府に訴えていくしかない。
小泉さんに頼るしかないんです。
その為には皆さんの、この怒りをですね。
小泉さんにぶつけて頂きたいんです。
小泉さんがもう一回、ちゃんとまともな気持ちにならなきゃいけないんだという、そういう気持ちにですね。
ちょっとでもなって頂けないと、そのまま北の地に。

絶対生きてるんです。
めぐみちゃんも生きてるし、修一君も生きてるし、薫さんも生きてるんです。
恵子さんも生きてます。
私のるみ子も頑張っていると思います。
絶対にあちらで頑張っている人を見捨てないで下さい。
そして特定失踪者の方々も名前すら分かってない人たちもたくさんいるはずです。
どうぞその人たちの為にもう一回、あの9月17日の怒りを私たちに貸して下さい。
本当に私たちに残された時間は無いんです。
父みたいに第二第三の犠牲者が出る前にですね。
父のような哀しい叫びは聞きたくありません。
お願いします。

私たちと同じく気持ちを同じにして、この経済制裁。
まず万景峰号を止めることなんです。
悪の温床です。
日本に覚せい剤が入って来たり、密輸をしたりですね。
偽札を多分あの船で持って来て、過去にはあったかも知れません。
無いかもしれませんけど、でもまた日本がね。
黙ってしまえば、いつ悪いことをしようと虎視眈々と構えていますので、どうぞ皆さん。
経済制裁しろという、声を発して欲しいんです。
声を発しないでは、北の思う壺です。

どうぞ怒りを、皆さんの怒りをですね。
政府に訴えてください。
私たちは皆さんに頼るしか、なす術が無い状態です。
政府の人たちにいくら訴えても暖簾に腕押し、豆腐に釘って言うんですかね。
パフォーマンス好きな小泉さんと同じく、皆さんもパフォーマンス大好きで。
二枚舌、三枚舌を使うように、私たちには感じられます。
それが哀しいかな、現実なんです。
どうぞ皆さん、もっと威厳のある、尊厳のある、プライドのある日本にして欲しい。
この拉致問題はそれを投げ掛けていると思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
本当に見苦しくて、ありがとうございます。(拍手)

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