外が 明るいうちに 散歩に行こうと言ったばかりなのに、
きのうは 午後9時前になってしまいました。
めずらしく つうが レンズを見てくれていますが、、
実は、つうを 撮っていたのでは ありません。
背景に映っているバラの木でした。
広島・長崎 平和のバラが、今、真っ盛りに咲いていたからでした。
今年は 特に たくさんの花が咲いていました。
これは 長崎市で 自らも被曝しながら、救護活動に尽力した
島根県出身の 永井隆博士が 住んだ 如己堂という掘っ建て小屋の
庭に咲いていたバラを持って来たものです。
つう父は 長崎時代は 如己堂のすぐそばに住んでいましたし、
「長崎の鐘」という随筆を出していますが、その出版の際、
GHQから「マニラの悲劇」という 日本人による
マニラ大虐殺の記録集との合本で 許可されたということが、
メトロマニラに住み、多くのフィリピンの人たちのお世話になった
つう父にとっては、印象に残っているのです。
そして、それ以上に、長崎市の特にカソリックの方々は
博士を非常に誇りに思っており、
つう父の〇〇が 博士と同じなので、〇〇を聞かれて答えると
まあ、ご親戚の方ですか?! と言われたり、クリーニング屋さんなどは
2度目に行った時には、あ、〇〇さんでしたね、とすぐに覚えてもらえるので
嬉しかったものです。
とうさん、今度こそ あたしを映してくれとるん?
いや、残念じゃったのお、つう。
交差点の丸い花壇を写したかったのです。
花壇に たくさん咲いていた花々が、連休が終わって、
一気に 抜かれていたからでした。
これが、以前の状態です。 悲
でも、これは 花の街 広島では、常に 花々の最盛期を見せ、
花が枯れる前に 次の花に植え替えるということを 行っており、
抜いた花々は 施設や教育機関に 寄付されているわけです。
今日は あたしは ぼぉっとしか 映ってなかったワンね。
いやいや、それなら これから 思いっきり 写しちゃろうかあ!
散歩後の お風呂での脚洗いの時の つうです。
もう 十何年も 洗われているのに、慣れることなく、
早く出せと 途中から いつも パニクって来る つう。呆
ピョンピョン跳ねながら、クゥ〜ン 、クゥ〜ン と泣きわめきます。
まるで、わしが いじめとるみたいじゃなぁかあ?! 困
まいった子じゃのお。
わかったけん、あとは抱っこして 足を拭くだけじゃけん。。
終わったあとは すぐ、父の元に 着いて来て、おやつを所望する つうでした。汗
なに、甘えたような顔 しとるんじゃあ。
あれ?
今回の トピックはなんじゃったかのお?
あ、そうじゃった、永井博士と長崎じゃったあ。
永井博士の住まいのそばにある浦上天主堂の前の橋は、
その金属の欄干を傘などを当てたまま歩くと
歌謡曲『長崎の鐘』のメロディーが鳴るんです。
今、朝ドラ エールの主人公の作曲のこの曲、
前半は 悲壮感漂う短調のメロディーですが、
後半からは 日が射すように 希望を感じる
長調のメロディーに変わります。
今の コロナ渦の中、希望を共有して 皆さん、頑張りましょう。
それでは、また。
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