たらこモヤシのスパゲッティもどき

2009-10-31 21:59:01 | グルメ

 モヤシを大量に買っていたので、今日はたらこスパゲッティならぬ、たらこモヤシを作った。

①モヤシはシャキッとした食感を出すために、ビニール袋の中にオリーブオ イルと一緒に入れてなじませた後、塩コショウをまぶして平皿に平らに敷き、ラップを軽くかぶせて電子レンジで2分ちんしておく。

②その間に、フライパンにオリーブオイルと鷹の爪の千切り、摩り下ろしたニンニクを入れて弱火で香りが出たところで、レモン汁とお酒を加える。

③そこに①を入れて軽く炒めながらタラコと低脂肪乳を少し加えて、塩コショウで味を調えてできあがりである。

たらこモヤシのスパゲティもどき(右)はマヨネーズを少し加えても
おいしい。今回は中に野菜入りの魚のすり身のてんぷらを加えた。
ナスも無性に食べたくなったので、ラジオで聞いたナスとタマネギの
カレー風味煮(左)も作ってみた。

①ショウガとニンニクをオリーブオイルで炒めた中に、大量のタマネギのスライスと鶏のミンチを入れて炒める。

②そこに少し電子レンジでチンしたナス、冷凍三色野菜、きのこ、カットしたモヤシ少々を入れて少し炒めたあと水を少し加える。

③砂糖、カレー粉を加えて少し炒め、最後に酢を適量入れて出来上がり。

 モヤシは1袋あれば、結構たくさん食べた気になれる。また、ナスとタマネギのカレー風味炒めは、最後に酢をいれることで味が締まって美味しい。残ったら食パンに乗せ、その上からとろけるチーズを乗せてオーブンで焼くと、まさに焼きカレーパンになる。これも美味だ。

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お詫び: フィリピンの思い出1-3 について

2009-10-31 10:52:12 | フィリピン

お詫び:

 非常に身近な人から、フィリピンの思い出シリーズは表現が下手で、くどすぎて、読むのが疲れる、と指摘された。その通りです。自分もそう感じてましたが、訂正するのが面倒だし、眠いしで、つい、そのままUPしてしましました。

 修正してみたので、暇なら、もう一度、目を通してやってください。 ↓↓↓↓

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フィリピンの思い出1-3  スローモーション③止 - 改訂版 -

2009-10-31 01:05:13 | フィリピン

  を見ると、次の物乞いがやって来るのが見えた。老人と見間違えるほど体がしなびたその物乞いの男は、若い女に片腕を組まれながら私の車に近づいて来る。そこで、私はいつものように片腕のこぶしをウインドガラスの横に持っていき、中指の第二関節の背でガラス面をノックする準備をして待っていた。
  すると、その物乞いのうしろからひとりの少年が歩いてくるのが目に入った。小三か小四ぐらいの歳だろうか、着古して虫食いの穴も分かるようなTシャツに、これも洗濯しすぎて色あせた半ズボンにゴム草履を履いた格好の典型的な物売りの少年であった。顔には鼻と口を覆うようにタオルを巻いているのだが、それを完全に首まで落としたままにしている。片方の腕で手作りらしい長方形の木製の道具箱を抱え、区切られた枠の中には封のされたタバコのパッケージが5つほど入れてある。もう1箱、封をきれいに開けてタバコが1本ずつ取り出せるようにしたものも入れてある。どこにでもいるタバコのばら売り少年であった。
   彼はおそらく近所のスラムに住み、収入のほとんどない親の代わりに小学校の授業が終わったあとの時間をタバコ売りをして家計を支えているのだろう。フィリピンの公立小学校は半日交代制で、午前のクラスと午後のクラスに分かれているので、今日も午後から深夜過ぎまで半日以上は排気ガスにまみれて道路に立ち続けていることだろう。
   その彼は、普段ならマレー系の子供独特の愛くるしいほどの輝く瞳と笑顔を見せているのだろう。しかし、仕事中は他の物売りの子と同じように瞳はメトロマニラの街灯のもと鈍く光るだけで、顔も能面のように無表情のまま、物乞いの男の横をすり抜けようとしていた。
  少年はまっすぐに前を見て物乞いを見ようともせずにそれを追い越そうとしていた。物乞いはというと、ただ弱々しく片腕の肘を直角に曲げて手を前に差し出し、摺り足でゆっくりと歩いている。
 と、その時、まさにその出来事は起こった。突然、少年が鳥のクチバシのように自分の小さな指先で物乞いの手の甲を素早くコンコンとつついたのである。すると、すかさず物乞いは手の甲を返し手のひらを少年のほうに差し出した。少年の指先からコインがひとつ載せられる。すばやくそれを受け取った手は閉じられる。少年からも物乞いからも何ら表情の変化はないまま、まるでふたつの無機質な手のやりとりだけが一瞬行われ、一瞬のうちに離れていった。
   とたん私は脳に一瞬閃光が走ったのを憶えている。と同時に、目の前で起こったその一連の動作が、まるでスローモーションのようにゆっくりと私の頭の中に映し出されていった。私のノックしかけていた片腕もゆっくりとバックシートの上に落ちていき、体もスローモーションのようにバックシートの背もたれに引き寄せられていった。
  まわりの音が消えた。聞こえ出したのは私の心臓の音だけだった。バクッ、バクッと胸を打つ。苦しくてたまらない。心が痛くてたまらなくなった。動き出した車の振動が背中をつつく。私は何も反抗する力もなく、車の振動に深く身をまかせるだけだった。身体自体が重りになって私の心に覆いかぶさってきた。その晩の記憶はそれだけしかない。
  無宗教の私には、フィリピンのカソリックがどういうものかよく分からない。長い歴史の中で培われて来たものだから、分かるはずがないのだ。しかし、この出来事で、私はフィリピン人にとってのカソリックの存在理由というものが少し分かった気がしたのだった。
  そして、これが、いつまでも私の脳裏に焼き付いて離れない大切な記憶なのだ。

  
 
   

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○○さんが強烈でしつこいファンに参ってしまって、言いたかぁないけど言っちゃったことについて。

2009-10-30 20:21:56 | トピック フォゥ アザーズ
  ○○さんが朝のまだ目が覚めきってない時、外出先で、自分が誰か名乗りもせず、非常に度の過ぎた厚かましさで接してきたファンのおじさん(△△さん)に参ってしまったことを、言いたかぁないけどと言いながら、ブログに強い口調で愚痴っていらした。
 そして、それに対するファンの方々のコメントはおおむね有名人の○○さんへの同情とそのファンへの遠慮がちな非難ばかりだった。
 小生は、それは分かるけど、その強烈なファンがなぜそうだったのか、少し触れてくれる人はいないものかなぁと傍観していた。そうしたら、やっと□□さん(♀)が次のようにコメントしたので、安心した。

 □□さん:タイトル:悪気は無いんですよ、きっと

 男性ですが大阪のおばちゃんっぽいですね(笑)
一方的に知っている○○さんを見かけてテンションが上がり、よかれと思っていろいろとおせっかいを焼いてしまったんでしょうね。。。
 ○○さんもむげにはできないし、さぞかしお疲れになったことでしょう。お察しいたします。



それに対しての小生のコメントです。

 タイトル:□□さんの云うとおり。

 なんか怖くて、民衆の敵になりそうでコメントできなかったんですが、□□さんが書いてくれたんで、出てきました。
 その方、嬉しかったんですよ、○○さんに逢えて。で、きっと普段、心の中が孤独でいっぱいなんだと思います。
 医療関係の仕事に携わっていると、分かるんですよ。接点のある高齢者の方々は、皆さん孤独で孤独で、どんな形でも人に自分のことを聴いてもらいたいというか、気持ちがよ~く分かるんです。その△△さんは高齢者ではないのかも知れんけど、きっと孤独なんだろうなぁ。
 小生も犬の散歩の途中、よく高齢者の方に声をかけれらますが、こちらの話題には乗って来られずに自分の家族のことばかりずっと話し続けられる方が多いんですよ。でも、最近、それでその日だけでもその方が気分がよく眠れるんじゃったら、それでいいんじゃないかなぁと思うようになったし、今は道端でこちらの犬を見つめてくれる方には、こちらから話しかけるようにしています。まあ、小生もどこか孤独なんでしょうけどね。
 皆さん、ごめんなさい。気分を悪くさせたなら、お許しくださいね。


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LRTって知ってますか。 その2

2009-10-29 21:25:34 | フィリピン

  広島で開かれるLRT都市サミットの概要だけ見ると、知らない人にはLRTが路面電車のことを言っているように勘違いされるのではないかと心配になってしまう。しかし、路面電車はそのひとつにすぎない。

 小生にとって、LRTと言えば、すぐにメトロマニラの高架鉄道が頭に浮かんでくる。

 すでにフィリピンでは、24年も前の1985年にはLRT(Light Rail Transit)が走り出していたのだ。マニラ湾沿いの南北に走る幹線道路の上を高架で走っているので、道路の混雑がぐっと緩和されたという。

 小生が小さい頃は首都はケソンシティと習ったが、その後マニラに戻ったと言われていた。しかし、正確に言うとマニラに戻ったのではなく、メトロマニラになったのである。

 マニラとはオールドマニラとも言われるマニラ市のことで、そこから首都圏は始まったが、今はどちらかというと下町っぽく外国人観光客相手の観光スポットや歓楽街や中華街があり、寂れた感じの場所だ。
  そのやや北西部に政府機関やフィリピン大学のメインキャンパスであるデリマン校などのあるケソン市がある。
  また、マニラ市のやや南東部にはアラヤ財閥によって開発された超近代的な現在の経済の中心であるマカティ市があり、こちらには日本人初め、多くの海外駐在員が暮らすハイソな街がある。

 つまり、それらの市を含めた14の市と3つの町がひとつのなってメトロマニラという国家首都地域に重なる首都圏を成しているのである。

 メトロマニラの形を分かりやすく説明すると、それは南北が長い長方形と考えてほしい。そして左の長い辺がマニラ湾に臨み、右の長い辺はラグナ湖というフィリピン最大の湖に沿っている。つまりマトロマニラはふたつの水域に挟まれた長方形の土地である。
 そして、左の長辺に沿って前述したLRTが走っていると考えてほしい。次にその長辺をアルファベットの大文字のDの第1角目の縦線とし、そこに第2角目のCの逆のアーチを描けば、それがエドサ通りという東京で言えば環八のような環状道路が走り、それに沿って上にケソン市、下にマカティ市、その間にもクバオやオルティガスという商業地区が点在し、そして、小生がいたころには、そのエドサ通りが大渋滞地域となっていたのである。朝から晩までひどい渋滞で時間が読めず、エドサが渋滞していたので遅刻しましたという言い訳が通る状態であった。

 前置きが長くなったが、そこに、8年前の2001年にLRTに続きMRT(Mass Rail Transit)という高架鉄道が走り始めたのである。これは当時まさに大革命ではないが大事件であった。その後、2004年にはDの字の真ん中を横に貫くLRT2も出来て、これはその1で述べた 『市内をぐるりと環状に走らせた路面電車の路線を基軸に、その中に縦横に他の路線を走らせればいい』という状態に一致しているのである。

図がぼけているが、左側の黒い縦線がLRT。そこからD型に走る
ピンクの線がMRT、同じくピンクでDの字を貫くのがLRT2。
その他は現在建設中や予定の線。地下鉄ではない。高架鉄道電車である。

 ましてやそれが路面電車と違い高架であることが、よりLRTの速達性、快適性の理想に近いということにあり、今後も放射状にどんどんLRTが作られる予定である(ただし、かなりの部分が外国からの、しかも皮肉なことにLRTで遅れをとる日本からの援助からなっているのだ)。

  

現在のLRT,MRTについては、以下を参考のこと。
   
http://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=421

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フィリピンの思い出1-2  スローモーション②

2009-10-29 19:30:42 | フィリピン

  見ると、三車線に並んで発車を待っている車の間を、いつもの物売りの男達やタバコ売りの少年らに交じって、片手に空き缶を持った物乞いらしき姿があるのが薄暗がりの中でなんとか分かった。五、六組はいるだろうか。
 「サー、あれはこの近くの目の不自由な者たちが共同生活している 国の施設から出て来ている者達なんですよ。付き添っているのはその家族です。クリスマス前のこの時期だけ、公に物乞いが許されているんですよ。」
と、ピーショーさんは吐き捨てるような口調で言った。
 クリスマスシーズンに限らず、物乞いが車に寄って来るのには既に慣れてしまっていた。外からコンコンとノックするのが合図だが、それに対してコンコンと合図を返すと、それは小銭を与える気はないという意味になり、物乞いも速やかに離れていくのだ。初めの頃はどうしようか迷うこともあった。しかしそんな時、ピーショーさんが、物乞いはあれで私達庶民よりけっこう儲けており、彼が仕事を終えて帰る途中、雑貨屋でたくさんのコインを紙幣に両替してもらっている物乞いの姿を見てショックを受けたことがあったこと、だから、私ひとりが与えようが与えまいが何ら関係ないこと、与えるのは普段あくどく儲けている金持ち連中がすれば
いいんだというようなことを言ったことがあった。私はその言葉を助け舟のように受け取り、それ以後、コンコンと来ればすかさずコンコンと返すようになり、いつしかそれが条件反射で出来るようにもなっていたのだった。

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LRTって知ってますか。 その1

2009-10-29 19:10:07 | フィリピン

 明日30日(土)と31日(日)に、広島で『LRT都市サミット広島2009』が開催される。

 ということで、LRTってご存知だろうか。LRTとは『Light Rail Transit の略で、定時性・速達性・快適性などに優れ、人にも環境にもやさしい路面電車』のことである。そして、そのサミットには、『地球環境にやさしい都市づくりを目指し、公共交通振興のための都市連携強化『を目的に、路面電車のLRT化に取り組んでいる国内の11の都市の首長が集まり、話が持たれるのだ。

 路面電車はバスや自家用車に較べて遥かに排出される二酸化炭素が少なく環境にやさしい。快適性や人へのやさしさについては、独特の揺れや軋むような音や誰にも乗りやすいバリアフリー化は、少なくとも広島では新型車両では進んでいるし、電停まわりの環境改善なども行われて来ている。

 しかし、速達性については、道路を車と共有していろことが大きなネックとなっていると思う。実際、広島市内では結構信号待ちが多くて、しかも待ち時間が長いので出勤時などはイライラすることが多いし、各駅に必ず止まるものであるからなおさらだ。小生はいくら路面電車が安いといっても、バスと同時に来ると必ずバスを利用してしまう。

 いっそのこと、業務用の車を除いてバスも自家用車も市内中心部から排除してしまい路面電車だけにすればいいと思う。そして、市内をぐるりと環状に走らせた路面電車の路線を基軸に、その中に縦横に他の路線を走らせればいい。そして、いくつかの環状線の駅の外側に定期バス(電気バスが理想であるが)の発着センターを設けて、そこから郊外へのバスを走らせればいいと思うのだ。

 しかし、本来のLRTとは、いわゆる路面電車に特定されたものではない。このことは次回、なんとフィリピンと絡めて話したいと思うので乞ご期待?!

 

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秋祭り

2009-10-28 21:33:49 | 日記

 うちのアパートの入り口に縄に半紙の飾りをつけたものが吊るされていた。地区の掲示板を見ると、白神社(しらがみしゃ)の秋季例大祭があるというので、夜、行ってみることにした。

 白神社は平和大通り沿いにある神社で、広島の人は「しらかみさん」と呼ぶそうだ。すぐ横にはANAホテルがあるし道路を挟んでNHKのビルもある。 このあたりは16世紀頃まで海だったそうで、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突したので岩の上に白旗を立て危険をさける目印にしたのが、その後、小祠が建てられ白神(しらがみ)と称され、毛利・福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていたという。爆心地から五百メートル弱しか離れていなかったので、現在でも熱線によって紅く変色した岩礁と、鼻の欠けた駒犬、熱線の影を残す灯ろうや手水鉢があるそうだ。

 神社では神楽が奉納されているようであったが、その周りの夜店に興味を魅かれた。

 

食べ物系が多い中、見つけたダーツ(右)と球投げ(左)の
夜店。おとうさんが子供のために頑張っていた。

 

屋台の中に、いが餅(稲花餅)屋を見つけ、懐かしくて思わず
買ってしまった。昔は広島・呉地方ではいつでもどこでも売っていた
ように憶えているのだが、最近はほとんどお祭りの屋台でしか
見かけなくなったという。一個120円。大きさは直径5cmほどだ。
昔はもっと大きかったような気がする。でも、厚みが3cmほど
あったのでよしとしよう。味は極めてシンプルだった。

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鼓舞組 from New York Japan Tour 2009

2009-10-28 20:26:10 | 日記

 テレビ局の懸賞チケットが当たり、ニューヨークから来た鼓舞組(COBU)のJapan Tourを観に行って来た。

 全員日本人からなる6人の女性なのであるが、もちろんプロだから当たり前なのかもしれないが、本当に観る価値のある素晴らしいパーフォーマンスだった。

 さすが、ニューヨークで鍛えられ、辛口のニューヨークタイムズ紙等アメリカの各メディアから絶賛されただけある。初めから終わりまで息つく暇もないほど打つ(太鼓)踊る(タタップ、ダンス)の連続!それぞれが素晴らしい身体能力と才能を見せつけてくれた。

 始まった直後のまだ動きかけのころは、どこにでもいる少しファンキーな女の子たちというイメージだったが、どんどんプロとしての素晴らしさが発揮される。太鼓とダンスのパートに分かれているのではなく、全員が太鼓を打ちダンスを踊るのである。しかも、2時間近く、ほぼ全員が出ずっぱりで、一糸乱れず最後までパワーを落とさずである。まさに、爆弾娘(古い表現か)達であった。

 各パーフォーマンスの間の太鼓の移動もひとつのパーフォーマンスのように行われるので、流れが途切れることない。休むこともない。日本の祭り、高校の応援団、ラッパー、童謡、民謡などを素材として取り入れた各パーフォーマンス。小生はとりわけ、ダウンタウンにいそうなラッパー少女風のものがキュートでよかったよ~。

 

 

 とにかく、小生、舞台が終わり、言葉では表現できない感動を抱えてうちに帰り着いたのだった。そして、パンフレットの中で創設者の宮本やこ氏がうまく言い表しているのを見つけ、納得した。

 『最近、かっこ悪いほど一生懸命に何かをしたことありますか? かっこ悪いほどまっしぐらなCOBUの完全燃焼系の公演を見て、自分の中にある「元気」と「夢」、ぽっかり忘れていた「何か」をもう一度、是非湧き立たせてください。』

 若者よ、ありがとう。
 
おじさんも、がんばるよっ! 負けんけんのぅ~!!!

 

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フィリピンの思い出1-1  スローモーション①

2009-10-28 07:12:07 | フィリピン

 誰しもが、長く生きていれば脳裏に焼き付いて忘れられない映像が、ひとつやふたつはあると思う。
 太陽も少し前に沈み、疲れ果てた体を車の後部座席にもたれかけたまま、ケソンシティーの職場から6㎞ほど離れたオルティガスアベニューの自宅に帰る途中のことだった。私は信号待ちで止まった車の窓ガラスを通して、夕闇に包まれたカティプーナン通りの家々の黒い陰とチラチラとそれに対抗するように瞬くイリュミネーションをぼぉっと見ていた。と、窓の外に突然、トントンとガラス叩く音とともに人影が覆いかぶさってきた。私は驚くこともなく、反射的にトントンと窓の内から叩き返す。すると、人影はさっと横に移動していき、私のうしろの車の横でしばらく止まる。
 「サー、もうすぐクリスマスですね。物乞いが増えてきましたよ。」
と、ドライバーのピーショーさんがフロントガラスの前方をアゴで示しながらしゃがれた声で言った。
 

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山田牧場

2009-10-27 07:23:56 | グルメ

  先週の24日(土)のひろしまフードフェスティバルでもらったパンフレットを見ていたら、山田牧場というブースが目にとまった。思わず、まさか!?と思ってPCで検索してみた。

 それは岡山の吉備高原にある豚専門の牧場・山田牧場で、そこの「特製肉の串焼き」は美味で非常に人気があるらしかった。

 しかし、小生が期待していたのは、熊本県は阿蘇郡西原村にある山田牧場のことであり、そこのソフトクリームが非常に旨いのである。

 なぜか、いい歳をしてソフトクリームに目がない。というか、行く先々で売られているソフトクリームの味を比較検討しなければならない習慣がついてしまっているのだ。まあ、たくさん食べてもお腹に貯まらないので、いっしょに他の食べ物も食べられるという卑しい根性が根底にあるだけなのだが。また、ソフトクリームの評価もごく大雑把で、食べてみて最後まで飽きずに食べられ、かつ、もうひとつ食べたいと思うソフトクリームが最高のソフトクリームなのである。

 そういうわけなので、少なくとも牧場のミルクが売りの北海道や熊本各地のソフトクリームに比べても、山田牧場のそれは小生にとってはトップに値するほどの名品なのである。

 だから、熊本に車で旅行に行き、熊本市内から一番好きな南阿蘇に向う際には、必ず山田牧場のミルクの里に寄る俵山を超える高原コースばかりを選ぶことになる。

 山田牧場のソフトクリームは本当に美味しいのである。脳髄がとろけるようで、体もまったりしてくるのだ。なるべくゆっくり永く食べていたいのだが、すぐに解けてくるので慌てさせられてしまうにくいソフトクリームなのだ。ソフトを味わいながら眺める牧場風景もソフトに合わせて存在しているような気がしてくるのだ。

 蛇足だが、熊本の山田牧場に優るとも劣らないと思うのが、北海道ならぬ沖縄の北谷(ちゃたん)の、観覧車のあるカーニバルパーク・ミハマというビルの2Fにあるファーマーズアイスのソフトクリームだ。初めて沖縄本島に行った時、初日に思わず2つ続けて食べ、翌日も連れあいに呆れられながらどうしてもともう1回食べに行ったという店だ。その上、2週間後には、ひとりでまた沖縄に出かけて食べてきた。有名なブルーシーズアイスクリームなど足元にも及ばない。山田牧場に負けない美味しさなのだ。沖縄は夜が遅いので、23時まで営業されているのも嬉しい。

 

◎山田牧場・ミルクの里: http://www.yamada-milk.com/index.html

◎ファーマーズアイス:098-936-8962

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○○さんが紹介してくれた韓国料理の焼肉(チゲに近い)について

2009-10-26 23:21:43 | トピック フォゥ アザーズ

 浅い鍋の中に、ぶた肉、ホルモン、キャベツ、もやし、豆腐入れて炒め、それにその韓国料理屋秘伝のみそダレをかけて仕上げるそうです。また、その残り汁にインスタント麺を入れ、玉子も絡めて焼くと非常においしいとのこと。

 自炊の参考になった。ただし、最後のインスタント麺は、残念ながらパスっ!

 

タイトル:無題

  ムム、秘伝のみそダレ、甘口ですか、辛口ですか。豆腐ともやしのダイエット中でメニューに行き詰ってたんで、参考にした~いです。

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トマトもやしスパゲティ with むすめ

2009-10-26 00:15:45 | グルメ

 日曜日の遅い昼ごはんはスパゲティだった。もちろんスパゲティのかわりに使うのはもやしだ。

 作り方はスパゲティよりも簡単。ゆでる必要がない。しかも、もやしのほうが遥かに栄養価が高く健康的だ。

 要はソースが肝心であるが、イタリア産のトマトとバジルの瓶詰ソースを使う。まず、オリーブオイルでニンニクとショウガを炒め、たっぷりのタマネギと熏製ウィンナのカットしたものを加え塩コショウしてよく炒める。炒まったらトマトとバジルのソースを入れ、それに少々のほたてダシ、ケチャップ、お好みソース、つけてみそかけてみそを加えて味を調える。最後にいっぱいのモヤシを入れ、強火でさっと混ぜるように炒め、最後に真ん中にくぼみを作って生玉子を乗せて火を止め余熱で蒸らし、皿に移して粉チーズをいっぱいかければ出来上がり。むすめを無視して、いただきま~す!!

 

むすめは肉より野菜が好きで、とりわけもやしが好物だ。
台所でもやしを足元に落とすものなら、下で構えていてサッと
かすめ獲っていく。食事中もそうだ。騒がれるよりもいいが、
おとなしくこっそり下で待ち構えているから不気味だ。



 

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2.5kmジョギング

2009-10-25 09:53:03 | RUN

 せっかくの日曜日だというのに、またまた曇り空だ。
 昨日のフードフェスティバルで久々たらふく炭水化物を摂ったので、今朝起きたらお腹が張ってたまらなかった。
 そこで、正式に2.5kmのジョギングをやって時間をはかろうと、いまだぼぉ~としている娘をほったらかして、朝の川まで出かけた。
 ヤンボーのご主人のアドバイス通り、できるだけ歩幅は狭く気持ちも楽にしてスタートした。呼吸は苦しくない。途中止まりたい気持ちも出てこない。でも、食べすぎで体が重い。
 ペースを守って走り終えた。タイムは13分49秒48。5kmにすると27分以上もかかることになる。まあ、今日はこんなものだろう。2.5kmを10分で走るようになるのをとりあえずの目標としようか。いや、まずは12分台が妥当だろう。
 

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2009年 ひろしまフードフェスティバル

2009-10-24 20:00:32 | 日記

 今日は朝から曇り空だったが、楽しみにしていた2009ひろしまフードフェスティバルに初めて出かけた。
 午前中うちでぐずぐずしていたら、午後1時過ぎに到着した。中央公園、広島城の本丸内と外堀をぐるっと囲むように、県内外からの食関係のブースが400近く立ち並び、その横を人の波がゾロゾロと続く、それはそれは賑やかな光景だった。 

北堀広場からブースを臨む。ブースの前は人だかりでブースが
写らず、目の前の空間が出来るのを待ってやっと撮影できた。


 小生は北堀広場で、「大★横山雄二ショー」を聴きながら、東広島市の山陽自動車道小谷SAの「黄金のコロッケ」と「タコのげそのてんぷら」を買って熱々をほおばり、川中醤油の「しょうゆ屋さんの作ったアイスクリーム」を 買って食べた。黄金のコロッケは外はカリカリ、中はほくほくで、さすが全国SA大会で金賞を取っただけあった。タコのげそのてんぷらは肉がプリプリで甘くて買って得した気分になった。アイスクリームは醤油の味とかおりがほのかな上に非常にクリーミーで最後まで飽きの来ない逸品だった。

 

 外堀の周りを大崎上島町と竹原市からの櫂伝馬という船が
客を乗せ、掛け声逞しく行ったり来たりしていた。

会場では牛のももの丸焼きを実演販売しているコーナーもあった。
とても煙たかった。実際に売られていたのは下の網に敷かれた
カット肉で、1枚500円ほどしていた。

 

  小生の目的は、なぜか広島の特産物ではなくて、長崎の五島うどんと熊本のいきなり団子を食べることだった。懐かしい九州の味をたまらなく味わいたかったのだ。

待ちに待った五島うどん。麺は細く、そうめんの麺のように乾麺である。それをお湯でもどす。とてもこしがある。
つゆはもちろんアゴだしというトビウオからとったもの。具はてんぷら(魚のすり身の揚げ物。)、わかめ、天かす、刻みネギだった。
意外とボリュームもあり、美味しかった。
実は五島うどんはスパゲッティの麺として使って料理してもいけるのだ。

 

本日の戦勝品の一部。手前は熊本のいきなり団子(だご)。左のように
中にあんことさつまいもが入っている。右がふつう、中が紫いも入りのもの。
奥の4つのダルマは焼酎のびんのふた。隣のブースの熊本のイモ焼酎か
麦焼酎をコップ1杯買うと掴み取りでもらえた。いずれも1杯が100円だった
ので買ってやってみたら、4つしか取れなかった。酒にはからきし弱いので、
すぐに酔ってしまい、途中から持ってきたペットボトルの中に注ぎ入れて持ち帰った。
イモ焼酎の水割りで薄めてあったはずなのだが、ペットボトルの中の水(これまた
九州は日田の天領水)でより薄まったばずだったの焼酎はまだ濃かった。

 

 割合ゆったりと随分楽しめたが、気づくとまだ2時間ほどしか経っていなかった。人が多い割には苦もなくいろいろと楽しめた。超ビッグなお祭りの屋台めぐり。一年に一回の楽しみになった。ばり、よかとよ~
  

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