広島で開かれるLRT都市サミットの概要だけ見ると、知らない人にはLRTが路面電車のことを言っているように勘違いされるのではないかと心配になってしまう。しかし、路面電車はそのひとつにすぎない。
小生にとって、LRTと言えば、すぐにメトロマニラの高架鉄道が頭に浮かんでくる。
すでにフィリピンでは、24年も前の1985年にはLRT(Light Rail Transit)が走り出していたのだ。マニラ湾沿いの南北に走る幹線道路の上を高架で走っているので、道路の混雑がぐっと緩和されたという。
小生が小さい頃は首都はケソンシティと習ったが、その後マニラに戻ったと言われていた。しかし、正確に言うとマニラに戻ったのではなく、メトロマニラになったのである。
マニラとはオールドマニラとも言われるマニラ市のことで、そこから首都圏は始まったが、今はどちらかというと下町っぽく外国人観光客相手の観光スポットや歓楽街や中華街があり、寂れた感じの場所だ。
そのやや北西部に政府機関やフィリピン大学のメインキャンパスであるデリマン校などのあるケソン市がある。
また、マニラ市のやや南東部にはアラヤ財閥によって開発された超近代的な現在の経済の中心であるマカティ市があり、こちらには日本人初め、多くの海外駐在員が暮らすハイソな街がある。
つまり、それらの市を含めた14の市と3つの町がひとつのなってメトロマニラという国家首都地域に重なる首都圏を成しているのである。
メトロマニラの形を分かりやすく説明すると、それは南北が長い長方形と考えてほしい。そして左の長い辺がマニラ湾に臨み、右の長い辺はラグナ湖というフィリピン最大の湖に沿っている。つまりマトロマニラはふたつの水域に挟まれた長方形の土地である。
そして、左の長辺に沿って前述したLRTが走っていると考えてほしい。次にその長辺をアルファベットの大文字のDの第1角目の縦線とし、そこに第2角目のCの逆のアーチを描けば、それがエドサ通りという東京で言えば環八のような環状道路が走り、それに沿って上にケソン市、下にマカティ市、その間にもクバオやオルティガスという商業地区が点在し、そして、小生がいたころには、そのエドサ通りが大渋滞地域となっていたのである。朝から晩までひどい渋滞で時間が読めず、エドサが渋滞していたので遅刻しましたという言い訳が通る状態であった。
前置きが長くなったが、そこに、8年前の2001年にLRTに続きMRT(Mass Rail Transit)という高架鉄道が走り始めたのである。これは当時まさに大革命ではないが大事件であった。その後、2004年にはDの字の真ん中を横に貫くLRT2も出来て、これはその1で述べた 『市内をぐるりと環状に走らせた路面電車の路線を基軸に、その中に縦横に他の路線を走らせればいい』という状態に一致しているのである。
図がぼけているが、左側の黒い縦線がLRT。そこからD型に走る
ピンクの線がMRT、同じくピンクでDの字を貫くのがLRT2。
その他は現在建設中や予定の線。地下鉄ではない。高架鉄道電車である。
ましてやそれが路面電車と違い高架であることが、よりLRTの速達性、快適性の理想に近いということにあり、今後も放射状にどんどんLRTが作られる予定である(ただし、かなりの部分が外国からの、しかも皮肉なことにLRTで遅れをとる日本からの援助からなっているのだ)。
現在のLRT,MRTについては、以下を参考のこと。
http://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=421