このたびの東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、東北関東大震災)で犠牲になられました方々には心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ご遺族となられました方々にも謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
巨大な津波を始め、数々の想定外の規模の被害をもたらした地震発生から早10日が過ぎた。
当方はこのたびは被災とは無縁であったが、仕事の方が影響を受ける事態に陥っていた。
私も昔、別のある大災害で被災し、周囲で多くの方が亡くなったが、その時、自然の驚異の恐ろしさを思い知ったつもりでいた
が、このたびの地震や津波の被害に比べれば…という思いだ。(その時亡くなった方には申し訳ない言い方になってしまうが)
このたびの地震そして津波、さらに原発事故に際して、自らの命の危険を顧みず、職を全うした人も少なくないことが連日報じら
れている。警官だけでも殉職された方は少なくないし、放射能を浴びながら原発の最悪の事態を防ごうとする方々もいる。
その中で、私が特に印象に残った方について書きたいと思う。
もっとも大きな被害を被った町の1つ、宮城県南三陸町職員・遠藤未希さん(25)である。
地震について検索していたところ、毎日新聞で取り上げられていたのを見つけた。(産経にこそ書いてほしかったが)まずは引用元である。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110314k0000m040103000c.html
東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸
「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど
壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。
「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も
役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。
難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その
中に未希さんはいなかった。
遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。
地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の
身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクション
が鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】
遠藤未希さんのこの勇気ある行動に対するネット上の反響は非常に大きく、Googleで「遠藤未希 南三陸町」で検索すると、ヒットするサイトが日に日に増えている。
http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&lr=&as_qdr=all&q=%E9%81%A0%E8%97%A4%E6%9C%AA%E5%B8%8C%E3%80%80%22%E5%8D%97%E4%B8%89%E9%99%B8%E7%94%BA%22&aq=f&aqi=&aql=&oq=
(「美希」と誤記されているサイトもあるので、そちらでも検索いただきたい。)
迫りくる津波に自らがのみこまれるまで、全く逃げようとせず、避難を呼びかけ続けた遠藤さんの働きは、自衛隊や米軍にも勝るとも劣らない働きではないか!
悲しいことだが、文中にあるように、遠藤未希さんが流されるのが目撃されている。
このような名もなき素晴らしい日本人がまだまだいたことを嬉しく思うだけに、このような素晴らしい方の命が失われるようなことはあってはならないと思う。
いささか感情移入を承知で書かせていただくが、遠藤さんは、いずれは家庭を築かれ、幸せをつかまれることだろう。それも失われてしまうのかと思うと涙ぐまずにはいられない。
遠藤さんは、南三陸町のみならず、宮城県の、いや日本人の誇りである。(反日左翼毎日新聞はそういう書き方が嫌なのだろうが。)
その一方で、日本を代表する立場にありながら、日本と日本人をないがしろにする者たちがいるのが腹立たしい。
“死を賭しても反日”を信念としながら「私たち日本人が」と平然と国民向けメッセージを発し、地震のどさくさにまぎれて極左辻元清美さらには仙石由人まで起用してくるのどこぞの総理大臣。
そして、日本人も日本も、皇室も両陛下のご健康も省みず、自らの静養と称する遊興や海外にしか興味を示さないどこぞの皇太子妃。
そして、それを許し、「自分はこの地位にあるから偉いのだ」のマイホーム皇太子。
そんな連中よりも遠藤未希さんの方がはるかに日本人らしいではないか!
防災無線の「早く逃げて」という言葉は、言いかえれば「生きて」を意味する。単に南三陸町の住民だけでなく、被災者全員、そして日本人全員に対する言葉と受け止めるべきであろう。
私は遠藤さんの話を読んだ時、中田厚仁さんのことを思い出した。1993年4月8日、カンボジアにてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のボランティアメンバーとして、総選挙実施の支援活動をしていた最中、銃撃されて25歳で亡くなられた方だ。国際ボランティアとして平和のために尽力されたこの中田さんを偲んで、中田厚仁記念基金が設立されている。
この当時、産経新聞正論欄で、「中田厚仁君に国民栄誉賞を!」と題する論文が掲載されていた。それを思い出して「遠藤未希さんに国民栄誉賞を」と思ったものである。
このような方の行動は、県民栄誉賞のような形で、公にたたえるべきではないのか。制度に無理解で申し訳ないが、国民栄誉賞や叙勲などもある。
もちろん、公務員とは言え、特殊訓練など受けていない身でありながら、遠藤さんのような勇気ある行動をされた方は他にもいるかもしれない。南三陸町役場の同僚の方でも津波にのまれた方が残念ながらおられるようだ。冒頭に述べたように自らの命を省みずに亡くなった方や、今なお原発の惨事を防ごうと命を賭しておられる方々も大勢いる。
我々日本人は、遠藤未希さんをはじめとする、職のために自らの犠牲をもいとわぬ素晴らしい日本人のことを、同じ日本人の誇りとして、絶対に忘れてはならない。
一度情報発信したら永久に回収できないインターネットを通して永久に語り継いでいきたい。
最後になりますが、僅かな望みに賭けたい!
遠藤未希さん、生きていてください!!
南三陸町ホームページ
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/
【追伸1】
紀子さまの実弟・川嶋氏が被災地支援陣頭指揮
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110321-OHT1T00001.htm
【追伸2】
3月19日、ブルーフォックスはTwitterに加入いたしました。
http://twitter.com/#!/bluefoxhispeed
(このリンクでアクセスできるかどうか、まだシステムをよく理解していないのでお許しを)
【追伸3】
Webサイトを画像化するソフトです。Web魚拓の補助用に。
http://dip.picolix.jp/disp5.html
【補足】
世界の地震発生状況
http://www.iris.edu/seismon/bigmap/index.phtml
気象庁 地震情報
http://www.jma.go.jp/jp/quake/
Yahoo!地震情報
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
本サイトの全エントリ(イザ!本局;タイトルのみ)
http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/list/