ワンワン村の仲間達

ワン達との思い出とか

帰省する

2024-10-13 07:04:20 | 日記
昨日に車にて帰省する。久しぶりに東名ではなく中央道を利用した。中央フリーウェイのメロディが、頭の中で、流れる。古い事が昨日の様に、新しい事が無かった事に忘れるこの頃、道路工事渋滞が多く疲れ、仮眠を取り今朝に着きいた。新東名が良かったようです。
諏訪湖PA

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過ちは繰り返しませぬから

2024-08-09 10:44:17 | 日記
広島そして長崎での犠牲者への慰霊の日。

「人類の終着点」と言う書籍に、エマヌエル ドットは次の様に述べています。

軍事的安全保障をアメリカに依存することはリスクである、と。そして、日本が安全だと感じるには、核爆弾を手に入れる以外に方法は無いと言う事です。核爆弾を持つ事で、世界の紛争に参加しないという選択肢をもつことができるからです。

ドットはフランスが中立を保つことができ、無用な争いに巻き込まれることを拒否できると述べています。

アメリカは、核の傘理論で同盟国、特に日本には核爆弾を絶対に持たせないし、日本の世論も多数は核爆弾に拒絶反応を示す様に思われます。世界で紛争が増え、自然災害が多発する現代の安全保障体制を国民の多くが意識して考える時に、為政者が不正に励み、報道は、スクープ、スキャンダルの視聴率、アクセス急上昇が目的?
それで、このような書籍まででしょうか?

悲劇は繰り返しません!
慰霊の思いをこめて。


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土用の丑

2024-07-25 10:01:36 | 日記
このところの暑さからか?朝からウナギが食べたくて、かみさんと新車を観る予定で、スーパーへ向かった。ディーラーは定休日でした。よくある事で、わざわざこっちへ来て立寄ったスーパーは、土用の丑のコーナーが。今日だったのか!日本人の食文化に染みつく老人でありました。


いつも通り撮影を忘れ、食べてしまう。このスーパーのジャンボウナギとうたった売出しものは、乗りの悪い水っぽく薄味(タレの味が大変に染みている)だった。
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時間がある暮らし

2024-07-14 22:40:45 | 日記
照った後は降ってます。夏草や兵たちの夢の跡ではなく、夢見る様に草が伸び、刈ても追いつかないと嘆きが聞こえる。
家の周りも、草木深しになった。
お金は無く、ある時間を使って生産性の悪い自足で良しとした穏やかな暮らし、汗して今日も無事で明日に、体を蘇生する良い眠りが迎えてくれます。
経済活動が無く、デフレに加担した暮らしだよね。
朝の起床に今日も生かされ感謝の1日に花を添えるのは、
正法眼蔵にある梅華”雪裏の梅華は一現の曇華なり”か?それとも浄土曼荼羅でしょうか?芸人ヒロシがキャンプで、ランタンで演出する心も日本の文化的精神からかも知れませんね。

朝に時間をかけた麹黴の納豆をいただきます。



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東京での断捨離を終え つづき

2024-07-10 12:17:19 | 日記

最終日は浜離宮恩賜庭園へ

港区周囲は徳川将軍の残された物が多い

公演は日々整備されて美しいです。東京湾周辺はどぶ臭いのが興ざめになります。

のんびり、木陰で休んで過ごしました。

 

午後は、三田の慶応義塾まで行きました。福沢諭吉さんもお疲れ様でした。

渋沢栄一さんへバトンが渡されましたね。いつまで紙幣が流通するのでしょう?

何処もかしこもキャッシュレス支払いが増え、セルフレジとか田舎出の爺さんは

まごつくばかりです。

東門前から

近くのファミレスで食事をする。日曜日なのに学生が一杯でした。

 

 

次は若いころに、立ち寄っていた新橋の横丁です。

サラリーマンや職人のおじさん達が帰宅前にひっかけていた。

立ち飲みの焼き鳥屋は、ウナギの肝とかよくたべた。

当時は赤ちょうちんがぶら下がっていた。

割烹やの店はだいぶ年期が入ってきた。アルバイトしていた女学生にヤクルトだったか?

おごっていた時代です。

 

かめやの立ち食いそばも残っていたが、当時とは内装もちがった。

メニューはうどんかおそばで揚げたての玉ねぎのかき揚げが入った

小ぶりの一品だった。160円ほどだったかな?

何年前の話かと言えば40年以上前になるのか・・・

実家のほうでも、高層の建物がならび古い木造の空き家が出てきた。

人の入れ替わりも多く、当時の風情が消えてゆきます。

そろそろ時間もよろしいようで、片付け掃除してお別れにします。

東京のいなかっぺ(東京ボン太だった?)は、食べて回る、見て回るくらいしかすること

がないようでした。それていて、すごく疲れを感じていた気がしたしました。

旧知の方々とも何時、今生のお別れになってもよい頃合いで、幼馴染も旅立った者も

ありますが、それまではピンピンさせていただきましょう。

 

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