祖父母が共に遠方の県からやって来て 何度か市内の借家を経た後、落ち着いたのが現在の実家の始まりだ。
祖父は 里子に出されて育てられ高等師範出身の教師だった祖母の支えもあり、苦学の末に地位を得た。私の子供の頃は祖父の知人やお弟子さんと言われるような人達が母屋に出入りするようなそんな家であった。私はその家の初孫である。祖父が帰宅すると脱いだ帽子を幼い私に被せ、学会でもらって来たであろう造花やプラスチック製虫めがね付きの小さな定規のついた名札を土産にくれて上機嫌に可愛がってくれた。気難しいと言われた祖父は自分だけは可愛がっている、と言うような特別感が私を幸せな気持ちにして今まで引きずってしまっているのかと思う。
祖父は昔でいうところの家長だった。
金銭感覚に普通ではないところがあり、庭や住居にお金をかけていたことは薄々知ってはいたが
その程度が極端でそのために父が長年借金を背負わされていたことは私達世代には知らされていなかった。それもここ数日、母の雑多な大量書類を夫が整理する過程で次第に分かってきたことだ。父は祖父に反発したこともあったようだが、それでも最後まで祖父母を尊敬していたことは私にもよくわかった。
叔父の突然死、弟の病気を始め色々なことがあり、果ての私は自分でもそのような祖父母や父や母に全く相応しくない、ろくでもない人間となり年老いてしまったと自分でも思う。毎日が生きづらい。
父が亡くなり、母と弟で購入し祖父母の故郷から移した墓地は僻地で誰も通うことが出来なくなり まだ古くない墓を畳んでようやくこの度全体を本山に納めることとなった。
それを済ませたのが昨日である。
私の役目は曲がりなりにもこれで一段階を終えた、落ち着くところに落ち着いた という安心を得た。
実家に血縁のない夫と私の2人で10躰を優に越える大量で重い先祖納骨を何とか終えて 後は遅い昼食である。
円山公園、八坂神社に長楽館、と大谷さん、知恩院、それぞれの位置関係が長年分かっていず、今回の機会でようやく少しわかった。
見つけた食事処が いもぼう。有名で歴史あるお店にすんなり入ることの出来たラッキー。古風な襖や建付けを残した椅子席で個室の佇まいに満足したのも最初だけだった。店員スタッフの若さから来るのか振舞いがまず残念。出されたお茶にも幻滅。土瓶は欠け茶碗を差し出すも ご自分でどうぞと置いて出ていく。そのお茶は出がらしのような味。茶碗の洗い方が良くないのか臭いも変だ。鯛めしの食べ方を尋ねるとパウチされた説明を見てください、と返してきた。遅い時刻のためもあろうが日曜日の観光地、なのに客は私達だけだった。スタッフの数は決して足りていないはずはない、障子越しに雑談が聞こえてくる。夫の頼んだ鰻を一口もらったらカビの味。久しぶりの鰻に満足気な夫にそれはさすがに言えなかった。夫の言うように山椒がかかりすぎていたのかも知れない。
私の鯛めしは、生卵が付いていた。だしを生卵にかけて鯛の刺し身薄切りを漬けてご飯に乗せて食べる、とある。これにもいささかガッカリした。卵の黄身はなるほど大きく味濃い目、かも知れないが そもそも私は生卵が苦手なのだ。いつまでも口に残る卵の黄身味、口直しに飲むお茶が変で口直しにならない。5切れ程の鯛の刺し身も特段美味しくもなく、本当に失望した。夫の゙鰻に添えられた小さな昆布巻きを口に入れたが この味も苦手だ、と不味いお茶に手を伸ばす。
夫曰くメニューにはインバウンドさらに1000円プラスと表示されていたらしい。
あーはるばる外国から京都に来て有名店だと思って出された食事がコレだったら。しかも1000円プラス。ヒドイ。日本のイメージダウンだ。
後で調べると こっちが本店。本家と名のつく店舗も近所にある。本家の方がマシだったのか。それとも看板のいもぼうを食すべきなのか。海老芋を棒鱈で炊いた、いもぼう。味が滲みて美味しいんだそう、私はそもそも特に夏場にそんなものは食べたくない。大枚叩いてまで。
というわけで いもぼう店に文句たらたら。
最後に立ち寄ったのは これも有名和菓子
清浄歓喜団を販売するお店。
菓子の元祖、唐菓子 と呼ばれるお菓子だ。
一度は食べてみたかった。
想像していたものの、かなり硬い厚い生地を揚げた皮に包まれた餡は甘さはあれど、はっきり言えば私にすれば線香の味そのものだった。ものものしく黒に金文字で菓子名など記された2個入り箱。ええカッコしいの箱に思えるのがちょっと残念。でも一度は食べてみないと、である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます