興味津々

日々思ったことを綴ります

母のことが嫌いです

2024年08月11日 | ひとりごと
初盆のお参りの日を機会に母に一時帰宅してもらうことにした。
施設でどうしているのかと聞くと、あまり良いことは聞かない。大概はベッドに横たわり、スタッフに依存しがちだという。出来るはずの゙ことも、やってもらおうとしがちだと。夜中にお腹が空いたと看護師さん呼び出しのベルを押したり、トイレもさせてもらったり 等。

そんなことを聞かされ、さらに時間を伝えて迎えに行っているのになかなか来ない。車椅子に乗せられて、靴下も履かず杖も持たずメガネだけぶら下げて ようようやって来た。

帰宅してきても、その言動がいちいちに腹が立つ。まず先に鍵を開けて待ってくれている私の夫によそ行き挨拶、◯◯さんすみませんねぇ、って。汗をカキカキ迎えに行った私については当たり前だと思っているのか、待たせておいて、平気な顔で そうやったん?と帰ることを初めて聞くように言っていたのに。

そこからしてデタラメだ、と感じる。

お寺さんを待つ間は 友人に電話。
電話で話したら少しでも元気になるかと思えばこそなのに。
元に元気に話していたのに。

その友人への愚痴を私に話す。
厚かましい人で亡くなった弟をこき使った、こき使っておいて何の悔みやお礼も言わない、と。何で弟が母の友人にこき使われたことになったのか?私はその経緯を知らされていなかった。引越の手伝いをしたらしい。
ということは、母が友人が引越すから一緒に行ってくれ、と言ったのだろう。友人から息子さんに手伝ってくれ、なんて急に言うはずはない、母が友人に息子をアピールするために引き合わせたのだ。そうしておいて、感謝を述べない友人、恩を売れなくなった友人を悪く言っている。寂しい時に電話かけてくれる友人なんてそれだけでもありがたいのに。表面では親しげに話しておいて私に悪口を言う。
そういう母が嫌いだ。
自分の友人関係に子どもを巻き込む。
子どもは自立出来なくなる。私も弟も。

仏間を2階の私のかつての部屋に移されたことも腹立たしい。そうしておいて、2階には上がれないと言う。良く分からない仏壇の掃除やら、弟が布団引きっぱなしにしていた仏間の片付けやら掃除やら お寺さんが来る準備やら全て私にさせておいて 前回はさらに当座になってから、お寺さんのおしぼり持って来いだの襖は閉めろ、開けろ、と色々指示して来る。そしてお寺さんにいくら包むのかと聞いてもわからない、と答えなし。

今日は2階に上がる際に階段の最後の段を上がった後、動けない、と到着したお寺さんの前で どうにもこうにもならなくなった。上がってしまっているのに、私は下から拝んでおく、とか 手を引っ張ってくれと言っておいて引っ張るとイタイッと言う。体が動かないのではなく、ヒステリーのようになっているように感じる。そんな時に、母の言うようにお尻を押したり出来ない私に怒ってくる夫にもウンザリ。ともかくも欠点のある、時に私に冷たく感じる夫ではあるがこの夫がいないと私は前に進めない。依存しているのである。母はそれを知っていて、こんな(ダメな)娘だけれどもよろしく、と夫に媚びるように挨拶する。

施設のことも文句タラタラである。
1人で怖い、誰も助けに来ない、ご飯が少なくてお腹が空く、朝の5時にカーテン開けられる、体操も何にもしてくれない、新聞なんて来ない、そんなん嘘や、
とどこまでが真実なのか分からない愚痴を言った後、そんなこと言っているなんて言わんといてや、とトドメを刺す。

ポータブルトイレに関しても、歩けるのにわざわざ使っているように思える。ポータブルトイレを使った後起き出してきて、ブツブツ自分はおかしいとか何とか言いながら 母の寝ている間に買っておいたゼリーやらジュースを冷蔵庫から出して口に入れている。私はテレビを切ってその場を離れた。スプーンを出す気も起こらない。勝手にどうぞ、もう姿も顔も見たくないです、って感じになってしまう。母が足を引き摺りながら寝に行った気配をみて、食堂を見に行くと やっぱり食べた後のゼリーの入れ物は置きっぱなし、ティッシュの丸めたのがあちこちに、電灯もつけたままである。毎回ティッシュの片付けである。私がするのが当然のように。

こういうことだから私はどこに行っても他人に使われる立場になってしまうのか。

施設でポータブルトイレの処理や掃除をしている人に何かあげたら良いかな、と言う。例えばお金を小さな袋に入れて渡すとか、500円とか…。って。私はもうそういうのに付き合いたくない、それが常識なのかどうなのかも分からない。ヘルパーさんにちょっとしたものを買ってきて、とか、そういうのも色々過去にしたけど もう疲れた、渡しそびれたとか、そういうのも もうイヤなんだ。母の思いつきのような他人との付き合い方に巻き込まれるのは、害あれどほとんど利がない。
ほとんどが不愉快な思い出である。

そんな大嫌いな母なのに、どうか幸せの方向に向きなおって欲しいと真剣に願っている自分がいたりする。本当にどうしようもない。
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