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その頃。(1979年4月から7月にかけて)
実家のある高崎では高校の吹奏楽部のOB会の活動が盛り上がっており旧制高崎中学校音楽部吹奏楽団創設40年を記念して夏に演奏会をやろうという計画が進んでいた。そのため毎週土日には高崎に帰り準備のため実行委員会を開いた。懐かしい顔ぶれの若手OBが集まって来ており彼らと会えることに喜びを感じていたし、同時に別の意味の期待もあった。
というのは大学での活動について考えると理論武装の必要性を感じており、高崎高校のOBに教えを乞いたいと感じていたからだ。東大の経済学部に行った同期生のSくんにお願いしたが真面目な彼にしたら学生運動の活動のための勉強会など人生で意味をなさないようですぐに断られた。別のOBに一年下のYくんがいた。Yくんは早稲田大学の政経学部で経済学を専門にしていたこともあり、吹奏楽部OB会に合わせてマルクス経済学の学習会を定期的にやりたいという申し入れに快諾してくれた。ただ条件があり彼の後輩のMさんという女子大生も仲間に入れて欲しいということだった。彼の話では中学校のブラスバンドの後輩でホルンを吹いており、彼女の中学主催の軽井沢合宿に我々がサポートで行った時に一度会っていて、Yくんは親同士も知り合いだという。断る理由もないので了解したが、Mさんの両親はある政党の党員であることを後から知った。学習会の教科書は入門書として「猿が人間になるについての労働の役割」(エンゲルス)に決まった。