(Sometimes I'm Happy.)

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1979年(1)

2023年06月23日 | 記録・観察ノート

四月。

新しい時。受験からの解放感と春の心地よい明るさに包まれた安堵感を腹の底まで満たしながら西武池袋線江古田駅にある武蔵大学の正門前に立ち、経済学部経営学科の学生として生活を始める喜びを噛み締めていた。立て看板の並ぶ大学の正門から入学式会場の講堂へ向かうキャンパスには、新入生歓迎と入部・入会を誘う学生サークルの模擬店が密集し若く生き生きとした呼びかけや歓声で賑わっていた。講堂は建築家・佐藤功一が設計した落ち着きのある建物で、自由に着席することが認められていた。大学学歌の斉唱に続き学園長の祝辞、学長の式辞があり事務連絡などを受けた後、学生団体からの案内に移った。学友会、体連、ゼミ連、自治会、そして文連。文連の説明に入る時、赤ヘルメットを被った数名の男女が「三闘委」(三里塚闘争実行委員会)と書かれたガリ版刷りのビラを配布したが、特にその三闘委からのアピールはなかった。文連(文化団体連合会)の説明を委員長がしたのは覚えているが内容は忘れてしまった。たぶん公認された36サークルに加わり有意義な学生生活を送ろうなどというありふれた内容だったのではないかと思う。それでも学内に学生運動をする学生がいることを知り、こうした環境に身を置くことがいかにも大学生らしいと改めて思った。ただし、立て看板に書かれていた“文連本部”、“三闘委”、“L学同”(レーニン主義学生同盟)、“狭実委”(狭山闘争実行委員会)、“全学自治会”、そして“中国研”がそれぞれどこのセクトなのかわからず、民青(日本共産党・民主青年同盟)の活動もないようなので状況を理解するにはまだ早いと心の中で思い拙速な行動は避けようと用心することにした。また、立て看板はなかったがビラ配りをしているサークルや団体がいくつかあった。“社研(社会科学研究部)”、“社思研(社会思想史研究会)”、“地歴研(地域歴史研究会)”、“学対連(学館対策連絡会議)”、“新聞会”などである。学生の活動事情をしっかり把握しないうちは、無闇に動くべきではないと考えることにした。

帰り道。Tくんが勤める池袋のジャズ喫茶「ジャンゴ」に寄った。キース・ジャレットの『My Back Page』を聴きながら大学の雰囲気についてコーヒーを飲みながら話した。ジャズ研究会にはまだ行っていなかったので、明日にでも顔を出してみようと思った。

翌日。授業のオリエンテーションを受けた後、ジャズ研究会の新歓の出店に行きサークルBOXを訪ねた。BOXは軽音楽研究会などと一緒に長屋になったプレハブの建物で体育館の裏にあった。BOXには、ベース、ドラム、ピアノ、テナーサックスの先輩達がおり歓迎してくれた。トランペットを吹いたことがあるというと一緒に音を出そうということになり、四年生の楽器を借りてFのブルースを演ることにした。下手なのは当たり前なので気楽に『Now’s the time』を吹いた。バンドで吹ける幸せを噛み締めつつ1コーラスはスウィングし2コーラスの途中からフリーにしてメチャクチャに乗ったところドラムが着いてきてくれて盛り上がった。満足だった。猛烈な幸せを感じた。希望大学に入ることはできなかったが自分の居場所を見つけた気がした。目標をクリアできなかった劣等感も薄らいでいった。



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