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北杜夫・著「どくとるマンボウ青春記」

2023年07月23日 | 読書ノート

 北杜夫・著「どくとるマンボウ青春記」

 この作品は昭和43年3月中央公論社より刊行され、平成12年10月1日新潮社の新潮文庫として発行されました。著者の北杜夫(きたもりお)は1927(昭和2)年の東京生まれで本名は斎藤宗吉。すでに2011(平成23)年に84歳で亡くなっています。北杜夫の父はアララギ派の歌人で精神科医でもあった斎藤茂吉です。北杜夫は父に抗いながらもその影響をうけ精神科医で小説家としての道を歩み、たくさんの小説やエッセイを著しました。代表的な作品には精神病院を舞台に自分の家族をモデルにした長編小説『楡家の人々』があります。著書のタイトルにある「どくとるマンボウ」とは海の呑気者・マンボウと医師で怠け者の自分を重ねたもので、その名前を冠したエッセイがシリーズ化されています。

 この本の時代背景は先の大戦の敗戦(1945年)を挟んだ戦中、戦後です。日本人の誰もがひもじい時代、腹を空かしながら若さ故に騒がしくそれでいてナイーブな毎日を送る信州の旧制松本高校生時代と、医学部に入学後作家をひたむきに目指し躁鬱気味な東北大学生として悩む日々が、著者特有の感性で生き生きと描かれています。


 「どくとるマンボウ青春記」とは何か?その答えは人それぞれで違うだろう。ただこれだけは言える。この本を読むと自分の「青春」が呼び覚まされその時の意識や精神が蘇る。老人にとっては若返りのカンフル剤になり、若者にはバカなことでも真剣に取り組むことの面白さを教えてくれるはずだ。本書の解説で歌人・俵万智がうまいことを言っている。(引用)「…本書を読みすすめていくうちに、これこそが青春時代の、一つの正しいありかたなのだ、と思われてきた。大げさに聞こえるかもしれないが、いまの日本に一番欠けているものが、ここにはあるのではないか、と。」(引用終わり)俵万智さんが言う一番欠けているものについて知りたい方、知っているがあらためて確認しようと思った方はこの本を読んだ方がいい。北杜夫氏の躁鬱的な行動がそのままエッセイになったようなところがあり、それこそが青春期なのだと理解できるはずだ。

 自分がこの本を読んだのはちょうど青春の入口と言える高校一年生の頃だ。北杜夫のエッセイは「どくとるマンボウ航海記」をはじめユーモアにあふれた内容で同年代にもファンが多く自分のクラス内でも話題になることが多かった。同級生のT君などはいまでも会話する機会があると話の中にエッセイの一節を入れてくるほどで、それがお互いを確認し合う方法にまで昇華されているほどなのである。

 ところでジャズという音楽は現在すでにムードミュージックのようなBGMとして受け入れられるものになってしまった。かつて脳や心を揺さぶった刺激的なジャズが、いつのまにか心地よいララバイに変わってしまったのだ。同様に人々を虜にした昭和の価値ある小説はさらに危機的で、いまや忘れ去られリユースの価値を奪われ誰も目にすることなく処分され読む機会すら与えられずに葬られようとしているものがある。良書や北杜夫さんのような人の書物がこの先も人々の目にとまり、新鮮な感動を与える機会が失われることがないように祈る。



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