こんにちは。武陽液化ガスです。
梅雨の晴れ間の真夏日のなか、某公民館講座で福生市にあるJR拝島駅近くの
「みずくらいど公園」散策に行ってきました
本当はこう書くようです。
名前の由来は、江戸幕府が承応2年(1653年)に江戸市民の飲料水確保を目的として、多摩川より引水し、江戸市中へ配水するために行った開削工事の跡で・・・。
と公園内の案内に書かれています。
掘っても掘っても厚い砂利層が水を吸い込んでしまい、結局はコースを替えざるをえないことになった場所だとか。
要は、現存する玉川上水の開削工事の跡で、貴重な史跡です。
この左手の土手の向こうが、現在の玉川上水です。
中央に見える橋はJR八高線の橋です(散策では間下を通ります)
下方のなんとなく見えているのが、今も流れる玉川上水。
一通り散策を終え、拝島駅近くの「日光橋」へ。
今や道路は国道16号線の武蔵野橋ですが、昭和40年ごろまでは活躍した橋です。
江戸時代には八王子千人同心が日光東照宮警護に向かうための橋だったそうです。
現在のコンクリート橋は昭和25年(1950年)になったそうですが、橋の下を覗くと、
明治24年(1891年)にレンガ積みで架け替えられた時に使用されたであろう名残が
残されています。
地元に住んでいても知らない事だらけで、反省。
それと何も考えずにTシャツで出掛けてしまい、蚊に十数か所も刺されたことは
最も反省すべきこととなりました(カユイ)
Kima
梅雨の晴れ間の真夏日のなか、某公民館講座で福生市にあるJR拝島駅近くの
「みずくらいど公園」散策に行ってきました
本当はこう書くようです。
名前の由来は、江戸幕府が承応2年(1653年)に江戸市民の飲料水確保を目的として、多摩川より引水し、江戸市中へ配水するために行った開削工事の跡で・・・。
と公園内の案内に書かれています。
掘っても掘っても厚い砂利層が水を吸い込んでしまい、結局はコースを替えざるをえないことになった場所だとか。
要は、現存する玉川上水の開削工事の跡で、貴重な史跡です。
この左手の土手の向こうが、現在の玉川上水です。
中央に見える橋はJR八高線の橋です(散策では間下を通ります)
下方のなんとなく見えているのが、今も流れる玉川上水。
一通り散策を終え、拝島駅近くの「日光橋」へ。
今や道路は国道16号線の武蔵野橋ですが、昭和40年ごろまでは活躍した橋です。
江戸時代には八王子千人同心が日光東照宮警護に向かうための橋だったそうです。
現在のコンクリート橋は昭和25年(1950年)になったそうですが、橋の下を覗くと、
明治24年(1891年)にレンガ積みで架け替えられた時に使用されたであろう名残が
残されています。
地元に住んでいても知らない事だらけで、反省。
それと何も考えずにTシャツで出掛けてしまい、蚊に十数か所も刺されたことは
最も反省すべきこととなりました(カユイ)
Kima