Run, BLOG, Run

http://d.hatena.ne.jp/bluescat/

Windows 攻撃プログラムへの再警告

2004年04月26日 14時10分00秒 | 覚書
 asahi.com より

 『ウィンドウズの弱点突く「攻撃プログラム」見つかる 』


 「マイクロソフトの基本ソフト「ウィンドウズ」シリーズの弱点をついて、多様なコンピューターウイルスを生み出すことができるプログラム「エクスプロイット・コード」(攻撃プログラム)がネット上で発見されたとして、総務省など4省庁は26日、注意を広く呼びかけた。ウィンドウズ以外の他の基本ソフトにも被害が及ぶ可能性もあるとして、徹底対策を求めている。」

 「総務省によると、攻撃プログラムは、マイクロソフト社がすでに発表したウィンドウズの弱点を踏まえており、それを使って自在にウイルスを作ることができる。」



 とのことだが、「いつ」 の修正プログラムなのか、はっきりわからない。 MS Windows は修正プログラムが多いし、Windows Update で自動更新するようにしているが、もしかしたら見落とされているものがあるのだろうかと一瞬、考えてしまった。



 とりあえず、ここのことだと思うのだが ...


 マイクロソフト ヘルプとサポート - トラブルメンテナンス
 「Internet Explorer と Windows の脆弱性をねらう手口が公開されています (2004/4/26 更新)」


 気をつけたい。



 参考リンク:
 CNET Japan 『DoS攻撃より手強い?--Windows Updateサイトにアクセス殺到、一部で更新に支障』
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えさの隠し場所 / a squirrel

2004年04月26日 12時57分26秒 | 想在
 先日、井の頭公園のなかにある動物園 (「井の頭自然文化園」) へ行ってみた。 それほど動物がいるとは思っていなかったため、想像よりもたくさんの動物たちがいておどろいた。 ゾウやヤマネコ、フェネックというめずらしいきつねの一種など、いろいろと見ることができて、入園料が四百円。 これは安い。

 いちばん印象にのこったのは、「りす」 を放してある大きなケージか。 日本にふつうにいる 「りす」 は、警戒心が強く、動きが俊敏ゆえ、その生態を目にする機会はなかなかないそうであるが、はじめて、生きた 「りす」 をまぢかで見ることができた。 かわいかった :D

 ところで、「りす」 が 「ほほ袋」 にこれでもかと詰め込んだ 「えさ」 をひみつの場所に隠すというのは、よく聞く話だが、友人曰くは、その隠し場所をよくわすれるそうである ... 。 う~ん。 なんておばかさんなのだろう ... 。



 しかし。 そんな私も、「あ、これ安い ! 」 などとスーパーマーケットで安売りされていたために買いだめした食料を、うっかり食べわすれて、賞味期限を切らしてしまう、なんてことはしょっちゅうある。

 食べ物だけではない。 なんとなく買って、読んでいない雑誌、 とりあえず買ってみたが、読んでいない本、 ついいきおいで入手して、聴いていない CD, はやっているみたいだから買ったけれど、着ていない服、タダだからともらった無料お試しサンプル ... 。

 りすのことをわらえないね。 人だって、よ~く ものわすれするもんだ。

 そして、ふと思い出して、どこにいったか、どこにやったか、りすのようにちょこまかと、あちこちあちこち探しまわってしまうのか。



 BGM:
 Squirrel Nut Zippers “HOT”

 * Squirrel Nut Zippers (スクウィレル・ナット・ジッパーズ) ... 92年から活動しているという、ネオ・スウィング/アコースティック・スウィング バンド。 ジャズやカリプソの要素なども取り入れ、「古きよき」 時代の音を再構築している。 ヴォーカル/フィドルの女性は、なかなかかわいい。 写真は96年発表の二作目。

 (revised 27 April, 2004 14:29 PM)
 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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PTSD - 林檎と窓の物語

2004年04月24日 21時05分55秒 | 想在
 ... といっても、Macintosh と Windows のお話ではなく。

 イラクで人質となった日本人三人の方々が 「PTSD」 (Post-Traumatic Stress Disorder. 「心的外傷後ストレス障害」) の状態となってしまわれた可能性が高いとのことで、気になっていた。

 PTSD について書ける時間を探していて、やや時期を逸してしまった感もあるが、書きのこしておきたい。

 なお、以下は、PTSD ということばから触発されて書いたもので、人質となってしまわれた方々について言及するものではない。





 数年前であるが。 一緒に暮らしていた人は、とてもやさしい人だった。 とてもこころのあたたかい人で、そのあたたかさに、何度助けられたかわからない。

 ふりかえってみると、あのあたたかさは、彼の孤独感、孤立感からくる「さみしさ」の裏返しだったのだろうか、と思うことがある。

 とてもやさしくて おだやかな人なのに、とつぜん電話がかかってきて、「どうしても会いたい」 「来てもらえないと、死にそうになる」 と懇願され、私はただただ困惑しながら、わけもわからず彼の元に駆けつけるのだが、ただそばに人がいるだけで気がやすらぐのか、駆けつけてみると、なんということはない、ということがあった。

 おたがいにシステム開発の仕事に携わっていたため、なかなか一緒に過ごせる時間が作れないので、では いっしょに住むことにしよう、ということで、私たちはふたりのお気に入りの地域に、ある部屋を借りた。 これからはいつも一緒にいられるのだ、と、新しい生活にむねをふくらませたのだが、その夢は、引越してきた翌日にゆらぐことになった。

 その日、引越しの作業でつかれていた私は、彼の 「もとめ」 を、ついそっけなく拒んでしまった。 すると彼は、とつぜん激情し、「なぜだめなんだ ! 」と部屋を飛び出し、追いかけようとする私を突き飛ばして、「いっしょに住まなきゃ良かった」と言い捨てて、夜の街へ消えてしまった。

 それまでにも何度かひどく怒ることはあったのだが、そこまで激怒するのは初めてだったので、とても驚いたのだが、それよりも、突き飛ばされたことに私は恐怖した。 あやうく、すぐそばにあったテーブルの角に頭をぶつけるところだったかもしれないからである。 もし数センチずれていて、打ちどころが悪かったら、どうなっていただろう、と思うと、戦慄が走る。

 結局、彼は数時間後に戻ってきたので、私は他になすすべもなく泣きながらあやまった。すると、「おれのほうこそ、ごめんね」 と、数時間前の怒りがうそであるかのように、逆にしおらしくあやまられてしまった。 そうして、とりあえず「仲直り」ということになった。

 そんなふうに出鼻をくじかれながらも、日々はおだやかに過ぎていくのだが、何ヶ月に一回か、なぜそこまで、というくらい激怒されることがあった。

 私は、それまでのじぶんの生活のスタイルそのままでいるだけなのであったが、じぶんの理解できない行動をとられることに怒りを感じるようで、その思いのたけをまともにぶつけられたのだ。

 彼が怒る原因もわからないこともなかったのだが、おのおのの考え方の違いやちょっとしたすれ違いからくるものなので、落ち着いて話し合うべきではないか? と告げても、「じぶんの考え方が正しくて、おまえが間違ってる」 「人としておかしい」 「狂ってる」 「キチガイだ」 などと罵詈雑言を浴びせられ、私は、ただ呆然となってしまうばかりだった。

 ふだんはとてもやさしい人なのに ... なぜ、激怒するとこんなふうになってしまうのだろう? と思うと、気がとおくなるような思いがした。 しかし、そのことよりも、後になって「こんなことを言われた」 「ひどい怒りようだった」と言っても、彼がそれをおぼえていないということに、ことばでは言い尽くせぬ困惑、恐怖を感じた。

 そんな日々を過ごし、こころが日に日に萎縮していくようで、一緒に暮らしていくことに疑問を感じていたとき、とあるきっかけで、私は、彼とは別々の道を歩もうと決意し、別れを告げることにした。

 ... その直後からの数ヶ月間は、まるで地獄のような日々だった。

 彼が言ったことば、「ぶっ殺してやる ! 」 は、いまもむねに突き刺さっている。

 夜、部屋の外から物音が聞こえてくるだけで、とてもこわくなる。 むろん、彼がほんとうに「ぶっ殺す」なんてことをする人だとは思っていない。 勢いあまってつい言ってしまっただけだろうと思う。 けれども、頭ではわかっているのに、どうしても、こわくなってしまう ! まさか、彼は、私がいまだにそのひとことに恐怖をおぼえているなどとは、夢にも思っていないであろう。

 何年か経つのに、いまでも思い出す。

 彼が、目の前にあったりんごを手でぐしゃっと潰したことを。 ああ、次は私がぐしゃりと潰されるのか、と恐怖したこと。

 彼が、窓ガラスを叩き割ったこと。 そして、手を傷めたために流した血の色。 ああ、次は私が血を流すことになるのかと、ふるえおののいたこと。

 といっても、結局、彼から直接手を出されたのは、前述の、引越してきて二日目に突き飛ばされたときだけであり、彼がそんな人ではないということは充分わかっている。 わかっているのに ... 。 だって、どんなことがあっても、ぜったいに、力ではかないっこないのだ。 もし、その拳がじぶんへと向けられたら ... と、あのときに恐怖にふるえた感覚が、いまだにしこりとなって、むねにのこっているかのようだ。

 その後、私は、りんごが食べられなくなった。 部屋の窓は、ずっとカーテンを閉めたままである。

 もちろん、りんごを目前にしても平気なときもある。 同じように窓を見ても。 しかし、ふとしたきっかけで、記憶が鮮明によみがえり(フラッシュバック現象)、頭のなかで「なにか」がはじけるような衝撃がはしり、心臓のどきどきが止まらなくなり、人目もはばからずおいおい泣き出したくなることがある。

 ある日、なにげなく見ていた web で、「PTSD」ということばを知り、調べてみると、



 「外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。そのような圧倒的な衝撃は、普通の記憶とは違って、単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」を形成し、脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされています。」

 (『赤城高原ホスピタル』 内 「PTSD:心的外傷後ストレス障害」 より)



 とあり、PTSD ということばを聞くだけでも、むねがちくりとするようになった。

 むろん、「心的外傷後ストレス障害」というには、もっとふかい傷を負っている人がいるだけに はばかれてしまうが、なにもそれは、直接身体に危害を加えられることだけで負うものではない、ということをわかっていただきたかった。 ことばによる暴力をはじめ、目の前でものを破壊するという行為もりっぱな暴力となりえるのだ、ということを。

 男性にとっては、ちょっとしたたわむれであったり、つい勢いあまって、とか、ほんの少しの力しか出していないつもりであっても、その力を見せつけること、なにげない言動が、女性にとっては脅威となりえることがあるのだ、ということを。



 しかし。 彼のことは いまでも好きである。 彼がとつぜん激昂してしまう理由、また、彼も彼なりに苦しんでいたのだ、ということを後になってから知って、なぜ、彼のことをわかってあげられなかったのか? と後悔した。 じぶんが傷ついただの、じぶんが不快だ、などと、じぶんのことしか考えられず、彼の力になってあげられなかったことを思うと、いまだにむねが痛む。

 いまでも、やさしかった彼の笑顔を思い出すだけで、なみだが出てくる。 そして、その数分後には、潰されたりんごが、眼前にちらつく。 そして、また笑顔がうかぶ。 ... そうして、なつかしさと恐怖とが、無限ループのように、頭のなかを回転していくのだ ... 。

 彼に関して、私は、正反対の二つの傷を保有している。

 彼を 「見捨てしまった」 という自責の念と後悔。 そして、彼からそのときに与えられた恐怖と衝撃とが、不可逆的な傷となって、いまものこっている。

 どちらかでも、いつか、風に吹かれるように、やがて癒えていけばいいのだが ― 。

 そして、同じように傷を受けたであろう彼が、その痛みを乗り越えて、しあわせに暮らしていることを、願ってやまない。




 BGM:
 Bob Dylan “The Freewheelin' Bob Dylan”
 (‘Blowin' in the Wind’ 収録)

 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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こころなくして / Squeeze Me Baby

2004年04月24日 01時16分35秒 | 想在
 今日は、知人の弾き語りシンガーのライヴを観に行った。

 その方から、

 「さいきん、忙しくて、いろいろやりたいことができない、と思っていたけれど、『忙しい』 という字は、心を亡くす、と書くんだよな」

 と言われ、ああ、そういえば、そうかもしれない、と思った。

 つい、口ぐせのように、「いそがしい、いそがしい」 と言ってしまうけれど、ほんとうにこころをなくす、ということが、はたして私にわかっているのだろうか。

 「いそがしい」 と言っているうちは、まだまだ、ほんとうには 「いそがしく」 ないのかも ... 。



 ... この weblog (のようなもの) で、書きたいことがいろいろあるのだが、仕事やら日々の雑務やらにまぎれてしまい、なかなか、しっかりと書く時間をつくれない。 しかし、それは、いいわけに過ぎないのかもしれない。 ほんとうに書きたいことがあったら、死ぬ気で時間でもなんでもつくって、書き抜くはずだ。

 そして、「ネタ」 を温存しているうちは、まだまだ本気ではないのでは、という気もする。

 出せるものを出し切り、なにかを渇仰したあとに、じぶんの意識下にある想いを、しぼりだすことができるのだろうか ..... 。




 BGM:
 Big Joe Turner “Honey Hush”
 (‘Squeeze Me Baby’ 収録)



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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稲川淳二の「CD付お菓子」 !

2004年04月23日 12時12分09秒 | 覚書
 CDJournal.com より

 『稲川淳二の「CD付お菓子」で夏を先取り!』


 「「タイムスリップグリコ」 や、ファミコンのゲーム・ミュージックCDをオマケに付けた 「ゲームサウンドミュージアム~ファミコン編」 など、「CD付お菓子」 が大ブームとなっている昨今。 TOMYよりついに出ました 「稲川淳二のこわい話」 (税込¥315)。 」

 「グッド・テイストのガムのおまけについてくる、12cmCD に収録されているのは、鳥肌モノの語り口調で綴られる恐怖の物語が1枚に付き2話ずつ。 全5種類が発売されていますので、すべて集めれば厳選された名調子が10話手に入る!」


 ... ついに出たか。

 はやりものの CD 付きお菓子だが、音楽ではなく、あえて稲川淳二さんの 「こわい話」 にしたところは、おもしろいかな。 しかも、「夏を先取り」 ... 。



 友人で、私がとてもこわがりなのをおもしろがって、よくこわい話を聞かせようとする人がいる。 わーーーーーーっと耳でもふさいでしまえばいいのだが、こわがりのくせに、「こわいもの見たさ」 でついつい聞いてしまう。 そして、夜、ひとりでお風呂に入れなくなったり、電気を煌々とつけたまま寝ることに。 そうなるとわかっているのに、聞いてしまうのよね ... 。 見栄っ張りなんだか、知りたがりの聞きたがりなんだか。



 さて。 「幽霊占い」 で検索したけれど、おもしろそうなものが見当たらなかったので、「お化け占い」 でも。 生年月日で、幽霊ではなく、モンスターにたとえた占い結果をおしえてくれる。

 今回の結果はおかしかったので、のせておこう。

 またまた、“devil” チックなおこたえ。 ..... そうさ、あたいは、“吸血女” さ。





 あなたは「ヴァンパイア」な人です。

 気高いモンスターであるあなたは、メンツやプライドにこだわる傾向があります。服装や持ち物に独自の気の使い方をしたりします。ブームや流行にも敏感ですが、それに流されず自分だけの視点で斬新なものを見つける力も持っています。

 またプライドが築きあげた自分と、本来の自分のギャップに悩むことが多いタイプです。素直な自分をさらけだせる友人が仲間にいれば、どんどん躍進していける運勢を持っています。

 恋愛に関しては、夜型。夜が勝負です。あなたの魅力は夜になると俄然輝きます。また、考えが表情に出やすいので、いろいろ相手に悟られぬよう注意。どんな時でもクールに行きましょう。




 ヴァンパイアさんのラッキー
 ラッキーアイテム : 棺桶、トマトジュース、アイマスク
 ラッキースポット : 暗い所、狭い所
 ラッキー天気 : くもり&雨
 ラッキー善行 : 献血



 ---
 PM13:57 追記

 さっそく買ってきた。 『稲川淳二のこわ~い話』 (写真)。

 ちなみに、中の CD は、「世界初の抗菌加工」 (ITmedia より) だそうである。
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詩人は他の作家より早死? / 動詞の過去形のチャンピオン

2004年04月23日 02時08分54秒 | 想在
 News を見ていたら、

 『詩人は他の作家より早死=米研究者』

 というものが目に入ったので、読んでみた。


 「米研究者の調査によると、詩人は小説家や劇作家、その他の作家に比べて早死するとの結果が明らかになった。
 米カリフォルニア州立大学の研究者ジェームス・カウフマン氏が発表したもので、同氏は、その理由について、詩人は自虐的になったり、自己崩壊しやすい場合があることや、若くして著名になるため早世が注目されることなどを挙げている。」


 とのこと。

 わかるような、わからないような ... 。



 この記事を読んで、ぱっと思い浮かんだのが、私の好きな作家 ― 小説家でもあり、詩人でもある Richard Brautigan (リチャード・ブローティガン) さん。

 ちょうど、二十年前、四十九歳で亡くなった。

 四十九歳。 もしかすると、けっして若死にとはいえないのかもしれないが、なぜか、まっさきに浮かんだ。 銃を使って、みずから、ひっそりと命を絶った、ということが、あたまのかたすみにあるからかもしれない。



 もうひとり、好きな詩人で、新川和江さんという方がいるのだが、この方の書いた詩で、こういうものがある。



  「骨の隠し場所が…」

  人が一生のあいだに
  どうしても 言わなければならない言葉というのは
  二言か 三言なのであろう
  はやばやと言ってしまうと
  生き続ける理由が無くなるので
  人はその言葉を
  どうでもいいどっさりの言葉の中にまぎれこませて
  自分でも気づかぬふりをしているのだろう

  どうでもいいどっさりの言葉で
  お喋りをすればするほど心はみすぼらしく飢え
  するうちに四つん這いになり
  くんくんないたりもするのであろう
  どこへ埋めたか 骨の隠し場所が
  ついにわからなくなった ひもじい小犬のように

  ... 『わたしを束ねないで』 (童話屋)



 また、ライナー・マリア・リルケは、小説 『マルテの手記』 において、こう書いている。


 「人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。 そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。」

 ... 『マルテの手記』 (新潮文庫 / 大山定一 訳)


 もしかすると、Brautigan さんは、「どうしても 言わなければならない言葉」 を探しあててしまったのだろうか? 「蜜の言葉」 を集めてしまったのだろうか? と、考えることがある。

 ことばの探求者 ― 詩人というものは、「言わなければならない言葉」 を探しあててしまった時点で、じぶんの役目のおわりを感じてしまうのだろうか ..... 。

 そういったところに、芸術というものの 「こわさ」 や 「微妙さ」 があるのだろうか ... 。

 だとしたら、このわたしの、凡才ゆえの 「もどかしさ」 は、逆に感謝すべきなのだろうか ..... 。

 そんなふうに考えてしまうのだが。



 さて。 このまま、書き終えるのは、じぶんがすこし切ないので、Brautigan さんの詩でいちばん好きなものを引用しよう。




  「動詞の過去形のチャンピオン」

  わたしは動詞の過去形のチャンピオンである
  いやそれは
  あらゆることをしたということだよ
  しなかったことはなにもないな
  えへん
  でもいまからなにをするかはぜんぜんわからない

  ... 『ロンメル進軍』 (思潮社 / 高橋源一郎 訳)




 Brautigan さんにひとこと言えるなら、

  『「動詞の過去形のチャンピオン」 が、さいごにピストル自殺しちゃうなんて ... !!!』

 だろうか?
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チューしてやれよ ! 、他。

2004年04月22日 19時49分05秒 | 戯れ言
 『化石化する女 / Heart of Stone』


 このあいだ、おひるを食べに行こうと、外へ出たとき、

 よそ見をしいしい歩いていたら、

 すれちがいざまに、おじさんとぶつかった。

 そのおじさんは、「ちゃんと前見て歩けよ ! 」 と吐き捨てた。

 いまどきそんなせりふが出てくるなんて、まるで化石のようなオヤジだ、と思った。

 「あなたこそ、ちゃんと前見て歩いてるんなら、よけなさいよ ! 」 こんな反論くらいしか思い浮かばない、わたしもわたしか。

 石のようにだまって、わたしは、その場を通り過ぎた。







 『電車で寝過ごさない方法 / I'm Only Sleeping』


 電車のなかで。

 どんなに眠たくても、寝過ごしたらいけないから、がんばってずうっと起きているのに、じぶんの降りるべき駅のひとつ前までくると、つい安心して、こっくりと眠ってしまうことがある。

 そうして、そのまま寝過ごしてしまい、「おっと、いけない」 とあわてて電車を降り、反対側の電車に乗り込む。

 今度こそは、寝過ごさないようにと、がんばって起きているのだが、じぶんの降りるべき駅のひとつ前までくると、やはり、つい安心して、またもこっくりと眠ってしまう。

 そうして、ふたたび寝過ごしてしまい、「おっと、いけない」 とあわてて電車を降り、またまた反対側の電車に乗り込む。

 ... こんなふうにして行ったり来たりしながら、四回、じぶんの降りるべき駅を寝過ごしたとき、さすがに、私はあほなんだろうか、と心配になった。



 (でも。 どんなに疲れていて、意識が朦朧としていても、四回も同じことを繰り返せば、頭も身体もいうことをきいてくれるものなのだ、ということがわかった。)



 ところで。 例によって、「電車で寝過ごさない方法」 で web 検索したけれど、一件も検出されなかった。

 私みたいな阿呆は、世にそれほど多くない、ということだろうか ... 。





 Google 検索結果より:
 『小田急線裏技講座 電車で寝過ごさない術』







 『チューしてやれよ ! / Looking for a Kiss』


 きのう、あのひととひさしぶりに会えた。

 いっしょに晩ごはんを食べて、おさんぽ。

 ひさしぶりに会えて、うれしかったので、

 暗がりにさしかかったところで 「おそっちゃえ♪」 と思い、

 んーーーーーーっとクチビルを突き出したら、

 「人が来るからやめなよ」 といわんばかりに のけぞられた。

 それでもめげずに、んーーーーーーっとやっていたら、

 通りすがりのおじさんが、

 「チューしてやれよ ! 」 ... ひとことそう言って、去っていった。






 BGM:
 Rolling Stones ‘Heart of Stone’
 The Beatles ‘I'm Only Sleeping’
 New York Dolls ‘Looking for a Kiss’


 BGM:
 New York Dolls “New York Dolls”



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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TODAI

2004年04月22日 16時09分26秒 | 戯れ言
 昼休みを利用し、根津神社に行ってきた。

 昨日見た MSN の ニュースで、根津神社のつつじがちょうど見ごろらしいとのことだったので、気になっていた。

 根津神社の web の地図によると、東京大学のすぐ近くのようだったので、私の会社から歩いていけそうだ、と目算を立て (私の会社 - 東京大学間は、徒歩十二,三分)、いざ、根津神社をめざして、てくてくてくてくと歩いていった。

 「東大赤門」 までは何度も来たことがあるので、らくに到着。 この東大の敷地を越えれば、すぐに根津神社なのよね、と、さらに てくてくてくてく歩いていった。

 しかし ... 。 いくら歩いても、歩いても、歩いても、歩いても、東京大学の敷地は延々とつづいてゆく ... 。

 やっと 「東大正門」 に着く。 そこから、さらに てくてくてくてく歩いて、やっと 「東大農学部」 のところまで来て、ようやく広大な敷地の果てを目の当たりにすることできた。 バス停三つ分である。 (「東大赤門前」、「東大正門前」、「東大農学部前」)

 そこまでやってくるのに三十分ちかくかかったため、いざ、根津神社に到着しても、つつじ鑑賞はほとんどざっと見る程度になってしまった。 ちょうど見ごろなのに ... 。 後ろ髪をひかれる思いで、神社をあとにした。

 帰りは、「東大農学部前」 からバスに乗り、会社に戻った。 それでも約十五分オーバー ... 。

 なんてこった、さすがは、日本の最高学府 ! やられた !

 いやしかし、いったい、どれくらいの面積があるのだろう? と調べてみたら、




  402,682 平方メートル ?!

  東京ドーム、約8.6個分 ?!




   (東京大学 web site より)



 ... おそれいりました。

 なにも知らない、おばかな私をおゆるしください。





 ちなみに、敷地面積を調べていたら、東京大学の生協には、東京大学饅頭東京大学ゴーフル東京大学スカーフ東京大学タオル などなどが売られていることもわかった。

 ほ、ほしい ... かも?!

 今度、田舎に帰るときのお土産には、ぜひとも 「東大グッズ」 を持って帰ってみたいものだ。

 へたなものより、よっぽどよろこばれそうだ。
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さまざまな結論 / Through and Through

2004年04月21日 23時29分32秒 | 覚書
 【一】 近所の 「ユニクロ」 のまえを通ったら、でっかい YAZAWA のポスターに遭遇した。


 【結論】 ユニクロを着ていても、永チャンはかっこいい。







 【二】 さいきん、お菓子っ子と化している。

 つい、ものめずらしさから、「バナナの小枝」、「パイの実 ブルーベリー & クリームチーズ味」、などなど、期間限定のものを買ってしまう。 それなりにおいしいものもあるが。


 【結論】 やっぱり、期間限定のものより、オリジナルのほうがおいしい。

 (でも、「つぶ苺 Pocky」 はイイ)







 【三】 この goo BLOG は、記事の見出しが一覧表示されないので、見出しをつくろう、と思った。

 しかし、手書きで作成するには、記事数がだいぶ増えてしまったので、ソースから見出しを拾い上げるプログラムをじぶんで書いてみた。
 (こんなことをしているひまがあったら、仕事をせい、ワタシ)

 このプログラムを使って、投稿日時、記事名 (リンクを含む)、カテゴリを一気に抽出し、目次を作成。
 (現在、[目次] カテゴリとして保存してある)
 「ブックマーク」 にも追加したので、そちらからも参照いただける。

 活用していただけたら、うれしいのだが。


 【結論】 かなしいかな、所詮は DIY. 付け焼刃的 即席 手工業ゆえ、記事名やカテゴリを変えた場合、目次には自動的に反映されないので、手動で直さなければならない。 ― 結局、めんどう ... 。





 【総括】 わたしたちは、日々、さまざまな結論を導き出している ..... ?
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70年代洋楽 二枚組CD 発売

2004年04月21日 13時15分11秒 | 音楽
 SANSPO.com より

 『70年代洋楽42曲!CD2枚組「セブンティーズ」-21日発売』

 「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、クイーン、ABBA、エルトン・ジョン、シカゴ…。70年代の洋楽ヒット曲を集めた2枚組コンピレーションCD「ザ・セブンティーズ」(ユニバーサル、税込3400円)が21日に発売される。」



 とのこと。

 へえ~、という感じ。 なんでも CD にしちゃうのね。 めざとい というか、なんというか。

 むろん、70年代に青春時代を送ってこられた方々にはなつかしく、大切な思い出の曲ばかりであろうと思う。

 若かりしころ、とくに、いわゆる 「ティーン」 といわれる時期 (十三歳 ~ 十九歳) にすり込まれた音楽には、ことばでは言い尽くせぬ 「なにか」 が宿っているような気がする。 イントロを一小節聴いただけで、身体が無条件に反応してしまうような、頭を鈍器でがーんと殴られるような、知らず知らずになみだがじわりと浮かんでくるような ... そんな不思議な力が。

 だから、それらの音楽をなつかしむ、ということに関しては、なんの疑問もいだかないのだが、じぶんにとっての大切な 「思い出」 が、こんなふうにお手軽にパッケージ化されてしまうことに、そして、それを嬉々として買うことに、違和感をおぼえないのだろうか? と思ってしまうのだが ... 。

 これは、じぶんが音楽好きだから感じること?



 また、引用元の記事には、



 「ここ数年、70~80年代もののブームが続いている。「白い巨塔」 (フジテレビ系) や 「エースをねらえ!」 (テレビ朝日系)、「キューティーハニー」 「花と蛇」 といったリメークドラマや映画がヒット。 (中略) このブームに乗って企画されたのが 「ザ・セブンティーズ」 だ。」



 ともあった。

 過去の偉大な作品を再認識しよう、若い世代にも伝えよう、というのは、すばらしいことだと思う。 過去の積み重ねがあるから今がある、とも思う。 それらを回顧することで、あらたな発見もあるかもしれない。 かくいう私だって、聴いている音楽は、じぶんがまだ生まれてもいない50年代 ~ 70年代の blues, rock などが多いし、本だって ゆうに百年以上前のものを読むこともある。 ふるい映画も観る。 古きよきものを探索することで、それらと現在をつなぐ 「線」 を見出したい、と思っている。

 しかし、こういったブームに便乗した 「商売根性」 には、なんともいえぬ嫌悪感がわき上がる。

 安易に過去の遺産に頼りすぎること、そしてそれがブームとなることは、あたらしい作品を創造していこう、あたらしい才能を発掘していこうという意欲をはばむことにならないだろうか? 手当たり次第に過去をほじくり返し、小ギレイに上っ面をととのえて市場に並べ立てることで、なにかを失うことにならないだろうか? ... そんな危機感をおぼえるのだが。





 でも。 こんなえらそうなことを言っていても、十年後、二十年後、『90年代洋楽コンピ “ザ・ナインティーズ”』 とか 「90年代洋楽カバー集」 なんてのが出てきたら ... なつかしくて、ついつい買ってしまうのかな ..... 。 どんなに字面では強がっていても、けっこう、弱いにんげんなのよね ... ワタシ。



 さて。 このまま終わると、CD の宣伝をしているのか、いちゃもんをつけているのか、なんなのか、まったくわけがわからないので、今日の BGM でも??




  The Police ‘Born in the Fifties’




 じぶんの生まれた年代、じぶんの世代を誇るのは、たいせつなことだ。 けれども、それを根とし、あらゆる養分を取り込んで、じぶんらしい、うつくしい花を咲かせられるかどうか、が、よりたいせつなのではないか。 なんてね。





 BGM:
 The Police “Outlandos d'Amour”
 (‘Born in the Fifties’ 収録)


 * The Police ... 1978年にデビューした三つ巴 (Sting, Stewart Copeland, Andy Summers) バンド。 写真はそのデビューアルバム。 パンクとレゲエを融合させたロックンロール、とでもいうのか。 ライヴ盤で、その魅力を再認識した。



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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