Run, BLOG, Run

http://d.hatena.ne.jp/bluescat/

ジャイアン度チェック

2004年04月20日 19時05分33秒 | 診・換・占
 という サイト があることを知った。 おもしろそうなので、まずはやってみる。

 う~ん。 要は 「おれさま」 度を診断ということなのかと思ったが ... 。 結果よりも、質問の内容が可笑しかった。



 ところで、ジャイアンといえば、有名なせりふ、「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」 というものがあるが、はたしてどういう状況で言われただろう? と気になったので、ちょいと検索してみたところ、下記のサイトにたどりついた。


 『ドラちゃんの本音』


 このサイト内の、コミックスからのジャイアン発言集によると、



 「スネ夫のものは俺のもの。 俺のものも俺のもの」



 というのがもともとの発言のもよう。

 なんてこった。 いったい、どこでどうやって、あのせりふへと変容していったのだろう。



 (もしかすると、漫画のほうにはなくとも、テレビアニメや映画などでは、前述のせりふが使われたことがあるのかもしれないが)



 ことばというのは、ときに、ひとり歩きしてしまうことがあるのだな。 と思った。





 BGM:
 Bob Dylan ‘It's All Over Now, Baby Blue’
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「わたし、ほんとは男なんです。」

2004年04月20日 12時27分45秒 | 戯れ言
 いぜん、日記のようなものを書いていたサイト (weblog ではない) で、性別を明かしていなかったことがあった。

 なんとなく、「女」 という武器をたくみに利用したムラムラ感をふりまくのがいやで、私は、「女臭」 を出さずに、文章のおもしろさだけで闘ってみよう ! と思ったがゆえだった。

 (しかし、そういったことを考えている時点で、「闘い」 の行く末は決まっていたのかも ... )

 そうしていくつか書いていくうち、文章が硬い (?) せいか、とある読者の方から男性だと思い込まれたのだが、まあ、訂正するのもめんどうだから、いいや、と、そのまま書きつづけた。

 そのうち、調子に乗ってしまって、男っぽいことば遣いをしてみたり、あえて女性批判をしてみたり、下ねたなんかも披露してみたりなんかして、まるでじぶんが性を超越しているかのような気がして、妙な昂揚感をおぼえるようになった。

 しかし ... 。 だめだった。 無理があった。 どんなに男っぽく書こうとしても、やはり脳は、身体は、細胞は、女であるゆえ、どうしても 「女の書く文」 になってしまうことに気がついた。 もしかしたら、ほかのだれにも気がつかれていなかったかもしれないが、じぶん自身が気持ち悪く、どうにもこうにもいやになって、 三ヶ月くらいでばからしくなって、やめた。 きれいさっぱり。

 そのサイトには終焉のあいさつもせず、真実も告げず、ただ、私は消え去っていった。

 もしかしたら、数少ないながらも幾人かいたと思われる読者の方々は、いまだに私が男だと思っているかもしれない。 だとしたら、わざわざ明かさなくてもよかろう。 闘いにやぶれたのだから、なにも言わずに去っていけば、それでいいのだ。 ... そう思った。



 この goo の blog で書きはじめたときも、性別を明かさずにいこうと思ったのだが、また同じあやまちを繰り返してしまいそうなので、やはり早めに明かしておこうと思い、途中で 「女」 を出した。

 なんだか、楽だ。 肩肘を張らなくてもよくなったような気がして。 ありのままのじぶんをさらけ出す、とまではいかないまでも、特定の人に向けたメッセージを歪曲せずに送ることができるのが、うれしい。 やはり、無理はよくない。 無理をしてまでつづけることの意義が見いだせないかぎり、常人にはとうていできっこない。 そう、どんなに背のびをしても、私は、「ただの女」 にすぎないのだから。





 ..... とかなんとか書いておいて、これも、うそだったりして?

 やはり、ほんとうは男で、逆に、ここで女のふりをしてだましているとしたら ... ?

 なあんてね。 (ほんとうに女です)



 インターネットという仮想空間は、虚構にまみれている? どれが真実で、どれがまやかしであるのか、しっかりと見定めなくてはならない?

 ... 私は、虚構は虚構として、あり、のような気もしてしまう。

 「うつくしいうそ」、「すばらしいまやかし」 であれば、ほんの一瞬でも、いい夢を見させてくれて、ありがとう、と思いたい。 よくもだましてくれたな、などと怒りはしない。 人と人は騙し合っている。 腹のさぐり合い。 けれど、そんな行路をたどって、ほんの一瞬、「真実」 を垣間見ることができたら、その真実がより貴く思えるものかもしれない。 ほんのわずかばかりでも 「真実」 に歩みよることができたなら、言い知れぬ充足感をおぼえることができるのかもしれない。 ... と私は考えるが。


 真実しかいらない、なんて言えない。 うそなんてまっぴら、虚偽なんかいらない、欺かれたくない・欺かない。 なんて、私には、言えない。

 玉石混交のなかから、「玉」 を探しだしたい、と言いたい。





 BGM:
 Jeff Beck Group “Truth”
 (‘Shapes of Things’ 収録)



 ・『男脳・女脳チェック』
 ・『騙され度診断』



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blogは直感か。文章は書き直さぬべきか。

2004年04月19日 20時07分55秒 | goo ブログ / blog
 ここ数日、weblog について、いろいろ考えさせられているのだが、

 私の知人で、blog を執筆している方が、じぶんの書く記事について、こんなことを言っていた。



 「私は、記事を書くときには、一気に書いて、ほとんど書き直さない。 自分の中から一番最初に出てきた言葉なのだから、そのままアップする。 直感で勝負したい」



 細かい言い回しは忘れてしまったのだが、大意はこんなところだったと思う。

 文章が多少乱れていても、「てにをは」 がおかしいところがあっても、あえて手を加えない、というのだが、それは、じぶんの直感そのままをのこしておきたい、という 「こだわり」 からくるものだとか。



 じぶんのなかから自然に湧き上がってきたことばをたいせつにする、というのはわかる。 それがもっともじぶんに正直な、素直な表現である、といえるのかもしれないのだから。 そして、そういった作品で人のこころを動かすことができたなら、どんなにかすばらしいだろう、と思う。



 しかし。 じぶんに関していうと、「わたしは、直感だけでものを書けるほど、すぐれた書き手なのか?」 「そして、そのままそれを、world wide web 上に公開できるほど、じぶんの書いたものに自信がもてるのか?」 という疑問に突き当たる。

 これが、じぶんだけが読む、じぶんのためだけの日記などであったら、私も、じぶんのなかからすんなりと出てきたことばをそのままのこすであろう。

 けれども、曲がりなりにも、インターネットという開けた空間に向けて発信しているものであれば、じぶんのためだけでなく、読み手のことも考えなければならないのではないか?

 果たして、私は、じぶんのなかから自然に湧き上がってきたものだけで、受け手に伝えることができるのか?

 ... と思ってしまうと、どうしても、解体/再構築、 削減/補填、 冷凍/解凍、 過熱/冷却 ... などという工程を経た、つぎはぎだらけのものになってしまうこともある、と言わなければならない。

 (むろん、ほとんど 「無傷」 のものをのせている場合もあるが。)

 そういった過程を通ることで、じぶんがほんとうに伝えたかったことが明確になったり、 ぼんやりとしていた部分が明瞭になったり、 難解な言いまわしを平易にすることができたり、 つい無意識に吐き出されている使い古された常套句を じぶんなりのことばに置き換えたりすることができる。 あえて多義性をもたせたり、 受け手の印象を変えることも可能か。

 文字の書き方ひとつ、 句読点の置き方ひとつ、 改行ひとつ ... テキストの魔術に、おどらされている気もしなくもない、が。




 非凡なるひとは、なんの迷いもなく、すらりすらりと書いて、そのままそれを公表することができるのであろうか。

 太宰 治は、『駆け込み訴え』 というユダのキリストへの愛憎を描いた独白体の短編小説を、よどみなく一気に口述したと言われている。 それは、まさに天才のなせるわざであろうが、私のような無芸無能のものにはとうてい無理だ。

 天からことばがふってきて、それをただ、キーボードにたたきつけるだけ、なんてことが起こらない限り ... ?





 今後も、私は、前述の知人とは対極の考えをもって、つぎはぎだらけで、ぼろぼろの記事を書きながら、明日をも知れず走りつづけていくのだろうか ... ?






 BGM:
 Bruce Springsteen “明日なき暴走 / Born to Run”



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Blog に関する調査(前編・後編) goo リサーチ

2004年04月19日 11時16分21秒 | goo ブログ / blog
 Japan.internet.com より、

 『Blog から役立つ情報が「得られる」――61.5%【第1回 Blog に関する調査(前編)】』

  goo リサーチ と japan.internet.com が共同で行ったアンケートの結果により、



 「過去1か月、他の人が作成した Blog を見たかを聞いたところ、「ある」 人が26.6%、「ない」 人が32.6%、「Blog についてよく分からない」 人が40.8%だった。 Blog を見たことが 「ある」 と答えた人に、過去1か月以内に訪れた Blog サービスサイトについて尋ねたところ、トップは 「はてなダイアリー」 で36.0%。次いで2位は 「goo ブログ」 25.2%、3位が 「ココログ」 21.6%だった」



 とのこと。 二位が goo BLOG なのは、goo の調査だからだろうか??

 私的には、かなり市民権を得ている感があったのだが、まだまだ blog の認知度は思ったよりも低い、のだろうか?





 同じく、Japan.internet.com より、

 『Blog 作りで重視する機能「作成が簡単」――72.8%【第1回 Blog に関する調査(後編)】 』

 では、さらに興味深い調査結果が。 blog を作成 (・公開) する理由について。



 「なぜ Blog を作成しているのか、その理由について質問した (複数選択可)。 すると 「自分の備忘録として書き残したい」 が最も多く69.6%、次いで 「自分の得た情報を他人と共有したい」 32.1%、「自分の意見を他人に理解してもらいたい」 25.0%となった。自分が感じたことや忘れたくない体験、自分が得た情報などを、他の人に知ってもらう手段として Blog を始めた人が圧倒的に多いようだ。」



 やはり、多くの人が、いくつかの同じ方向を見つめて blog 開始するのだろうか。 そして、それらのなんらかの目的をもってはじめた人は、いざ、立ち向かってみて、一週間、二週間、一ヶ月 ... と時を経たあとに、どのように変化していくのだろう?

 わたしは、まだ、こたえが見えていない。

 潮の満ち干のように、なにかにのまれて息ができないくらい くるしくなるような、なにかがさっと引いていって 心根がからからに乾いていくような、不思議なこころもちがする。 足場を固めて、じぶんの立ち位置をしっかりを見極めなくてはならないのだろうか。




 話を調査結果に戻そう。 track back 機能について。



 「実際、自分の Blog でトラックバックを受け付けているか聞いたことろ、「受け付けている」 人が53.6%、「受け付けていない」人は46.4%と、半数の人がトラックバックを受け付けていた。これに対し、他人の Blog にトラックバックをつけたことがあるか尋ねると 「ある」 人が16.1%、「ない」 人が83.9%となり、他人の Blog にトラックバックを付ける行為にまだ慣れていないようだ。」



 やはり、まだ track back に慣れていない人が多いもよう。 (ちょっとほっとする)

 track back というものを、つい最近までよくわかっていなかったのだが、個人的な見解としては、せっかくの blog ならではの機能なので、必要な場合には、大いに利用すべきであると思うし、ひとつの指標としては注目すべきもの、と考えている。 が、数値のとりことなってしまい、track back 数をかせごうと、受け手におもねるようなことしか書かなくなってしまうのは、いやだな ... とも思っている。

 track back を制するものは、blog を制する、なのかなあ ... と、ちょっと考え込んでしまうこともある、というのも事実だが。





 とりあえず、あせっても仕方がないので、ゆっくりじっくり、じぶんの速度でやっていこう。

 さいしょの、「無邪気な興味」 をわすれずに。 そして、「あらたな発見」 も見逃さずに、ね。





 BGM:
 Iggy & The Stooges “Raw Power”
 (‘Search and Destroy’ 収録)


 track back to;
 「A pebble and a ripple ... 」 (『★ うむむ。 ★』 より)



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The Long and Winding Road

2004年04月18日 22時56分02秒 | 想在
 きょうは、

 とても天気が良かったので、

 高尾山へ登りに行った。



 元気がありあまりすぎていたのか、すぐ頂上についてしまったので、そのまま相模湖まで行くことにしたが、やはり、そこまでは、ちと遠かった。 ひざががくがく。 けれど、ここちよい、疲労感。



 最終地点までに、いろいろな経路があった。

 ゆるやかだが、蛇行した長い道のり。 急な坂だが、直線的で短い道のり。

 それぞれためしてみたけれど、一長一短だということがわかった。

 楽をしようとすれば、時間がかかるし、時間をかけないようにしようとすれば、苦しいし。

 どちらを選択するかは、じぶん次第。 そのときの気分とか、体調とか。 あとは、勘とか?





 人生のいくつかの時期も、こんなふうに、じぶんの意志で、いずれかを選択できたらいいのに。 なにかにせきたてられることなく。

 いや、できたら、つまらないのかな。

 なにが起こるか、わからないほうが、おもしろいのかな。

 山あり、谷あり。 急傾斜があったり、ゆるやかでおだやかな坂があったり。 直線コースがあったり、ながく曲がりくねった道があったり。 われ知らず、いろんな道に迷い込んでしまう ... そんな人生を送っていったほうが、ふと、ふりかえってみたときに、気持ちのいい眺めを見ることができるのだろうか。






 BGM:
 Sheryl Crow “Sheryl Crow”
 (‘Everyday Is a Winding Road’ 収録)



 (revised 19 April, 2004 00:25 AM)
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大根をおいしくおろす方法/ Shake Your Hips

2004年04月18日 01時07分12秒 | 覚書
 今日は、カレーをつくったのだけど。 和食が好きなあのひとのために、和のおかずも何品かつくってみた。

 かれが、大根おろしを食べたら、ひとこと、「からい」 と。

 あらまあ、やっすい大根を買ってきたからかしら、と思ったが、かれいわく、「怒りながら おろしたでしょ?」 と。

 「え?」

 「大根は怒りながらおろすと、からくなるんだよ」





 いわれてみると、決して怒っていたわけではないけれど、いそいでつくらなきゃ ! とあせっていたかも ... 。

 私は、無知ゆえに、そういったいわれがあることを知らなかったし、なぜ怒りながらおろすとからくなるのか、そのメカニズムはわからない。

 おなかがすいているであろう かれのために、なるべく早くつくるのはいいことかもしれないけれど、あせってもしょうがないよね、と、なんとなく力が抜けた。

 そう、かれだって、どうせ食べるのなら、たのしんでつくられたもののほうが、いいに決まっている ... ?

 ― これからは、歌でも口ずさみながら、おしりフリフリして、たのしく料理をしようか。

 とくに、大根をおろすときには、たのしい歌でも ... ね。






 BGM:
 Rolling Stones “Exile on Main St.”
 (‘Shake Your Hips’ 収録)



 Google 検索結果より:
 『D A I K O N ものがたり』



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受け攻め度チェック / Me and the ...

2004年04月17日 17時15分53秒 | 診・換・占
 『受け攻め度チェック』 というものがあり、やってみた。

 なんのウケセメなのか、と思ったら、その人が、対人的に受動的か能動的か、というものらしい。



 恋愛や友好関係において、勢力図を頭のなかで思い描いてしまう計算高さは、私は、あまり好きではない (はず) けれど。

 人との 「力関係」 は、出会ったそのときにすでに決定してしまうのか? 

 ― 「やあやあ、こんにちは」 とひとこと発した、その瞬間から ... ?

 あるいは、出会うまえからすでに決まっている、宿命的なものにみちびかれていくのか ... ?

 ― 宿命的に 「受け身」 の人は、一生、「受け身」 人生を歩んでいくのだろうか ... ? 攻め傾向の人は、ずっと、攻勢的に ... ?

 などと考えてしまう。



 さて、私の占いの結果など、興味ある人はあまりいないと思うのだが、おもしろい結果だったので、今回は詳細を残しておこう。



 ... そうさ、あたいは、natural born devil さ ..... ?










 *さんは 無邪気攻め です!

 ● 無邪気攻めの貴方は
 ★性格★
 人を楽しませることにかけては天賦の才能を持っている人です。
 その場を盛り上げるために身を削る覚悟を持っています。
 お人好しなところもあるので恋愛面では友人に先を譲ってしまうなど不器用な恋愛をするタイプ。
 普段はおちゃらけた顔をしているのですが、一人になった時には物事を難しく考えてしまいがちな部分もあります。



 ★夜の性格★
 経験は少ないが耳年増なので、AVの真似事などを強要するところがあります。
 盛ったら場所を考えずに快楽を求めるので、ある意味、邪気たっぷりの人間。
 爽やかな笑顔と甘えた口調で相手の心を捉え、一度嵌めたら絶対に逃がしません。





 ● *さんの前世は、白血球です!





 BGM:
 Robert Johnson “The Complete Recordings”
 (‘Me and the Devil Blues’ 収録)



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かお

2004年04月17日 00時39分12秒 | 想在
 わたしのかれは、わたしの寝起きの 「かお」 ― 目覚めた瞬間の 「かお」 が好きだ、という。

 おもわず抱きしめたくなる、とか。

 すっぴん、しかも、きっと、頭がボンバーで、おまけに もしかしたらヨダレのあとでもついているかもしれない 「かお」 など、わたしとしては、あまり見られたくないのだけど。





 いまのかれと出会うまえに、とても、つらい恋をした。

 その相手のひととは、とある事情で、いっしょに眠ることができなかった。

 どんなことがあっても、そのひとは、かならず、終電で帰ってしまっていた。





 そのひとのことは、とても好きだったけれど、寝起きのわたしをいつも抱きしめてくれる いまのかれには、もはや かないっこない、というくらい、わたしのなかで、とおいとおい存在になってしまった。










 * mookei さんの詩に触発 (shock heart ! ) されて書いてみた。
 * ほとんど関連性はないと思うが ... 。
 * はじめて track back というものをしてみた。 うまくいっただろうか ... 。
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Onitsuka Tiger / tiger lily

2004年04月16日 23時34分13秒 | 想在
 今日は、友人がスニーカーを買いに行くのに付き合って、代官山へ行った。

 その友人。 どうも、N*ke や Add*d*s のスニーカーがお好みではないらしく、かなり昔からの asics 好きだという。 あの、体育館履きみたいな感じがいい、と。 で、新しいスニーカーが入り用となったので買いに行っても、asics のスニーカーがほとんどといっていいほど見当たらないので、「つぶれてしまったのでは ... (失礼 ! )」 と心配してしまったとか。

 なぜだろう? とインターネットで検索をかけてみたら、どうやらアナタ (だれ?)、いま、asics のスニーカーが流行っているみたいではないか。

 映画 “Kill Bill Vol.1” で、Uma Thurman が履いていた黄色と黒のモデルが、プレミアム?!

 なんてこった、ぜんぜん知らなかったよ ... と、映画のプログラムを確認してみると、おお、たしかに履いている ! asics だ !

 ... ということで、世間の事情にうとい われわれは、やっと、空前の (?) asics ブームによる売り切れ続出のために、靴店・スポーツ用品店で見かけなかったのだ、ということを知ったのだった ... 。

 で、そうなると、ますます手に入れたいという友人のために、さらに調査 (おおげさ) をつづけているうち、Onitsuka Tiger (asics の前身名称のもよう) の直営店が代官山にあることがわかり、そこであれば、型も色もサイズも豊富であろう、ということで、いざ、代官山に繰り出してみた ... というわけである。

 ちょいとどきどきしながら、店へ足を踏み入れてみると ... さすが直営店、お目当てのものがどっさり棚にならび、あっさり手に入れることができた。 おまけに “Kill Bill” ステッカーまでもらい。 あっけなく買い物終了。



 こんなにもあっさり入手できるとは思わず、さて、どうしようかねえ、と思案に暮れたが、せっかくなのでおいしいものを食べようということで、渋谷まで歩き、私の好きな京風うどん屋さんに行くことにした。

 三宿に本店のある 『夢吟坊』 へ。
 (渋谷の店舗は、「マークシティー」 内にある)

 ここの 「かき揚げうどん」。 京風の上品なだしに、極太のこしの強いうどんがおいしい ! かき揚げもたまらない。 ごぼうとにんじんと海老だけの、ごくごくシンプルなものだが、ごぼうの香ばしさがくせになる。 似たようなものを出してくれるお店もあるけれど、なにかが足りないような気がしてしまう。 私は、ごぼうのかき揚げは、いままで食べたなかでは ここのものがいちばん好きだ。

 ふぅ~。 友人はスニーカーを入手できたし、おいしいうどんは食べられたし。 満足満足。

 今日はこれにて、ゆっくり休もう .....





 ところで、Onitsuka Tiger. 鬼塚さんがつくった銘柄だというのはわかるが、なぜ "Tiger" なのだろう。 強そうなイメージにしたくて? 虎が好き? 阪神ファン?

 オニユリという花があるが、英名を tiger lily という。 鬼 ≒ tiger、ということだろうか。 とすると、鬼塚の 「オニ」 と tiger をかけているのかな?

 そういえば。 復讐の 「鬼」 と化した “The Bride” (“Kill Bill” の主人公の呼び名) が闘うときに着ていたジャージもスニーカーも、黄色地に黒のラインの入ったもので、まさに tiger のようだった、ともいえるか。 「鬼」 と tiger の観念に類似性があるのか、については、いずれくわしく調べてみたい。



 あ。 Natalie Merchant (ナタリー・マーチャント) というシンガー・ソングライターのことを思い出した。 この方のデビューアルバムの題名が “Tigerlily” という。 野に咲く花の素朴さと、「オニ」 のような力強さを併せ持つ、まさにオニユリを彷彿とさせる歌が、すてきなアルバムである。

 私も、ただきれいなだけでなく、ただどぎついだけでもない、強くたくましい花をひらかせる オニユリ のような女性になりたい、と思った。



 おっと、話が脱線した。 では、このへんで。



 BGM:
 Natalie Merchant “Tigerlily”



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頭痛を予防するレストラン

2004年04月16日 12時00分29秒 | 呑食
 Nikkei BP より、

 『頭痛を予防する“ドクターズレストラン”が期間限定オープン』


 「“カフェごはん”で頭痛を予防しよう――。頭痛予防をコンセプトにしたカフェ「アスピリンカフェ」が、東京と大阪に期間限定でオープンする。これは、製薬会社のバイエル薬品(大阪市、栄木憲和社長)が“ドクターズレストラン”としてプロデュースするもの。頭痛を予防するメニューを提供するほか、解熱鎮痛薬のポスターなどを貼ってアスピリンをアピールする。」


 とのこと。

 「食事が人のからだに及ぼす影響」 については、以前から気になっていたので、「『食事で頭痛を予防する』 という新たな “健康法” を提案する」 というものに興味をひかれた。 わざわざそのお店に食べに行くかどうかまでは、微妙だけれど。



 とある人と、食生活の欧米化がもたらした影響、みたいな話をしていたとき、「人のからだを形作っているのは、その人が食べたものである」 という至極あたりまえのことを言われ、はっとしたことがある。 たしかに、それはそうだ。 ふだん じぶんが口にしているものが、じぶんの血となり、肉となっているのだから、どこかに不調をきたしたとしたら、その食事内容に原因がある、というのは納得できる。 もちろん、先天的なものや、寝不足、疲労、ストレス ... などの外的要因もあるであろうが。

 いわれてみると、ふだんから食べるものに気を遣っている人は、見た目も気持ちも若々しいことが多い。 疲れた、とか、どこかが痛いなどと言っているのをあまり聞かないし、仕事やらなにやら、公私共に順調なようだ。

 それに反して、このワタシ ... 。 ふだんから、酒場に入りびたり、ビールをかっくらい、好きなものを好きなだけ食べている。 それでもって、やれ頭痛がするだの、胃の調子が悪いだの、腰が痛いだの ... そんなとき、すぐ薬を飲んだりなんかして痛みをごまかしてしまうのだが、その場しのぎの抑止をつづけているよりも、根本的な原因を見直してすこしずつ改善し、「事前に」 防いでいく方が、からだのためにもずっといいだろう、と思う。

 あまり神経質になりすぎるのもどうか、という気もするが、じぶんの 「舌」 がよろこぶものばかりでなく、じぶんの 「からだ」 がよろこびそうなものを、おいしく、たのしく、バランスよく食べていけば、そのうち、からだもこころも、軽くなれるのだろうか ... 。






 BGM:
 The Style Council “Cafe Bleu”



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