Run, BLOG, Run

http://d.hatena.ne.jp/bluescat/

夏に生まれた人は冬に生まれた人よりもラッキー? / 幸福論

2004年04月15日 12時03分03秒 | 想在
 X51.ORG より、

 『夏に生まれた人は冬に生まれた人よりもラッキー』

 「【BBC】この度、イギリスにて行なわれた研究によると、夏に生まれた人は冬に生まれた人に比べて自分のことを幸運であると考え、人生に対して明るいヴィジョンを持っているという傾向が明らかになったとのこと。」

 「今回の結果はワイズマン博士の指摘する通り、冬に生まれた赤ちゃんは生後しばらくの間、家の中で育てられるのに対し、夏に生まれた赤ちゃんは外に連れられ人々によって祝福される事と関係している可能性が考えられる。」



 とのこと。 あくまで統計的なものらしいので、「やったあ、わたし、夏生まれだわん♪」 などとうかれるわけもなく。

 気になったのは、「三つ子の魂百まで」 ということわざがあるが、幼少期のみならず、赤ちゃんのときにすごす環境までもが、人にのちのちまで影響をあたえうるのだろうか、ということ。

 そういえば。 知人から、人の本質的な性格は、すでに祖父母の代から決まっている、と言われたこともある。 祖父母が過ごしてきた環境、考えてきたこと、体験したこと、食べてきたもの ... 。 それが親の代に受け継がれ、やがて子へと継承される。 祖父母が厳格な人であれば、その親は、じぶんはわが子にはやさしく接してあげようと思っていながら、無意識に厳格になってしまう。 祖父母が子を溺愛する人であれば、やはりその親は、じぶんの子を溺愛してしまう。 むろん、例外もあるだろうが、無限ループのように、限りない連鎖がつづいていくのか。

 だとしたら、私は、じぶんだけのものではないのか。 この目も、鼻も、口も、手も、足も、皮膚も、すべて、じぶんの子ども、そして、孫のものでもあるのだろうか。

 うーん。 こんなにのんべんだらりとしていては、だめかもしれない ... 。



 話を元記事にもどそう。

 私がもうひとつ、気になったのは、記事中に引用されていた臨床心理学者のダイアナ・ピドウェル博士のことば、


 「人がどれくらい幸せであるかという事は、そのまま、その人がどれくらい幸せになろうとしているか、という姿勢そのものなんです。」


 というもの。

 幸福であろうという意志。 幸福をとらえようとする姿勢。 幸福をのがさぬ注視。 それらの過程を、幸福と呼ぶのだろうか。



 さて、最後に、私の好きなことば、ある家族四代の姿を描いたトーマス・マンの長編小説、『ブッデンブローク家の人びと』 で、トーニが結婚する際に、恩師が訛りながら言った祝辞、「くうふく (幸福) でね、いいむそめ (娘) ! 」 を ... 。



 * 蛇足だが、トーマス・マンは 『幸福への意志』 という短編ものこしている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理由など要らないときみは言うかもしれないけれど。

2004年04月14日 23時58分19秒 | 覚書
 こんな時間に書いても、しょうがないと思うのだが。 今日、四月十四日は 「オレンジデー」 である。

 「バレンタインデー、ホワイトデーときて、その一ヶ月後のこの日に、二人の愛を確かなものにする日」 だそう。 「オレンジ、またはオレンジ色のプレゼントを持って恋人を訪問」 するとか。

 (いまごろ言ってもおそいよ ! ですね ... )

 まあ、Valentine's Day も White Day も便乗商法というかなんというか、なので、あまり踊らされてしまうのもどうか、という気がしなくもないが。



 ― 今日は、好きな人といっしょにすごせましたか? 好きな人と話ができましたか?



 日々の雑多な出来事にもみくちゃにされ、なかなか好きな人とゆっくりすごす時間をつくれないけれど、こういった 「記念日」 にワザと乗ってみて、会う理由を探してみるのも、わるくないのかもしれない。



 BGM:
 XTC “Oranges and Lemons”



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けつえきがったがた / Stereo Type A

2004年04月14日 20時41分06秒 | 診・換・占
 『血液型推測Web版ver1.01』 というサイトを教えてもらった。 A・B・O・AB型それぞれの気質の割合を判定してくれるものらしい。

 まあ、私は、やらなくても結果がわかっているし ... と思ったのだが、話のたねに、いちおうやってみた。

 そうしたら ...

 なによ、

  A型 120%

 って。

 (ありえねーっ ... って、一回言ってみたかった)

 そう。 典型的な A型人間だということが、あらためてわかった。



 ところで、話がずれるが、私の現在付き合っている人は、血液型が B型である。

 A型の人とB型の人の相性は さいあくだと聞く。

 ちなみに、私は、星座がしし座なのだが、かれは かに座だそうである。 しし座と かに座も さいあくなのよね、たしか ... 。

 私は、占いを鵜呑みにするたちではないのだが、さいあくとばかり言われると、やはりこころおだやかではない。

 ちょっとは気にしたりして。

 でも、統計的にさいあくな組み合わせだからこそ、万が一に相性がぴったりと合った場合には、さいこうの組み合わせになるのかもしれない ... とでも考えなくちゃ、やってなどいられない !



 明日、私が泣いているか、わらっているか、は、だれにもわからない。



 BGM:
 CIBO MATTO “Stereo Type A”



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

啄木忌 / ことばの砂 / Substitute

2004年04月14日 02時07分51秒 | 想在
 日付が変わってしまって申し訳ないが、昨日、四月十三日は、「啄木忌」 ― 歌人であり詩人でもある石川 啄木さんが亡くなった日であった。(一九一二年没、享年二十七歳)

 石川 啄木さんの短歌は、好きなものが多いが、とくに好きなのは、歌集の題名となった、


  「いのちなき砂のかなしさよ
   さらさらと
   握れば指のあひだより落つ」


 であろうか。

 砂に 「いのち」 を見出そうとした啄木氏の心境を思うと、むねにじんとくる。



 ほかに、


  「かなしくも
   頭のなかに崖ありて
   日毎に土のくづるるごとし」


  「白き蓮 沼に咲くごとく
   かなしみが
   酔ひのあひだにはつきりと浮く」


  「山の子の
   山を思ふがごとくにも
   かなしき時は君を思へり」


 などを読むと、並々ならぬ言語感覚に、はっとさせられる。



 ほかのサイトでも、ちとふれてしまったことだが、ここにも書いておこう。

 石川 啄木という人は、もともと小説家志望であった。 それは、『弓町より』 で、


 「私は小説を書きたかった。 否、書くつもりであった。 また実際書いてもみた。 そうしてついに書けなかった。 その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に敗けた夫が、理由もなく子供を叱ったり虐めたりするような一種の快感を、私は勝手気儘に短歌という一つの詩形を虐使することに発見した。 」


 と語られている。

 啄木氏にとって、短歌は、「悲しき玩具」 であった ― そして、その 「玩具」 が、啄木氏の名を後世にまで残すことになった ― 。 なんという皮肉であろうか。

 しかし、啄木氏に限らず、多くの人が 「悲しき玩具」 を有しているのではないだろうか?

 ほんとうになりたかったもの、ほんとうにやりたかったことの代替として、「なにか」 を選択した人は、いったいどれだけいるのだろう?

 そもそも、すべてが思いどおりに運んでいるいる人など、いるのだろうか? だれもがなにかしらの「悲しき玩具」 を持っているのではないか ... ?

 「代わり」 としての仕事、趣味、遊び、恋、そして、blog を ... 。

 けれども、その 「玩具」 を選択したからには、いっしょうけんめい遊んでみせなくては、と思う。

 「遊び」 だからといって、手を抜いてちゃあ、だめだよね。

 ほら、子どもを相手に相撲をとるとき、子どもだからと手を抜くと、子どもはそれを知って、怒ったり、傷ついたりするでしょ。

 どんな 「遊び」 でも、本気で立ち会わなきゃ、失礼だ。 どんなことにも真っ向から立ち向かっていけば、明日には、いいことがあるかもしれない ... なんてね。





 さて、最後に、「砂」 つながりで、他サイトでちらほらと見かけた 「ことばの砂時計」 へのリンクでも ... 。

 ことばが砂となって落ちていくさま。 不思議な気持ち。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[言いまつがい] ジャイケル・マクソン

2004年04月13日 23時38分53秒 | 戯れ言
 むかし、片岡 鶴太郎氏だったであろうか、 Michael Jackson の言いまつがいというかギャグで、「ジャイケル・マクソン」 とかいうようなことを言っていなかったっけ? と、なぜかふっと思い出した。

 けれど、Janet Jackson さんの場合、姓も名も 「ジャ」 ではじまるから、ギャグにならないよな、と思った。

 あ、でも、「ジャクット・ジャネソン」 とか言ったら、おもしろいかしらん。



 調子に乗って、ミュージシャンのなまえを、へんてこにしてみよう。


  ジャック・ミガー (http://www.mickjagger.com/

  エプック・クラリトン (http://www.ericclapton.com/

  リー・ルード (http://www.loureed.org/new/index_lou.html

  スティ・パミス (http://www.pattismithland.com/

  トッレ・ラングドン (http://www.tr-i.com/

  マール・ポッコートニー (http://www.paulmccartney.com/

  エマーポン・ソイク・レーマー (http://www.emersonlakepalmer.com/

  ジェーン・ジョット (http://www.joanjett.com/

  スー・ジョトラマー (http://www.strummersite.com/

  プクイマル・スラリーム (http://www.primalscream.net/home.html

  ペッド・チット・ホリ・レッパーズ (http://www.redhotchilipeppers.com/





 日本のバンドもいってみるか ... 。


  ザ・ブハールーツ (http://wmg.jp/bluehearts/

  アラゴン・ドッシュ (http://www.dragonash.co.jp/

  ククリマ・ラリスティー (http://www.universal-music.co.jp/polydor/artist/lacryma/

  ブステリック・ヒルー (http://www.hystericblue.net/



 うぅむ。 調子に乗りすぎたか。 ファンの方々、どうかお怒りになりませんように ... 。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辞書ツール / What's Best?

2004年04月13日 18時46分39秒 | 覚書
 世の流れにうとい私の貴重な情報源、INTERNET Watch にて。

 『Yahoo!辞書、小学館の「大辞泉」「プログレッシブ英和辞典」など採用』

 「辞書データベースに新たに採用されたのは、小学館の国語辞典「大辞泉」、「プログレッシブ英和中辞典」、「プログレッシブ和英中時点」など。」
とのこと (太字、原文まま)。

 また、「検索方法には、従来の「完全一致検索」や「前方一致検索」に加え、「部分一致検索」や、逆引き辞典のように利用できる「後方一致検索」、見出しや解説に含む単語も検索できる「全文一致検索」を追加した。」

 いろいろ工夫がなされているもよう。

 各ポータルサイトには、辞書ツールが必ずといっていいほど用意されているが、実際、どこが一番使いやすいのだろう? そもそもポータルサイトの辞書にちがいがあるのだろうか? どこも同じ辞書 (三省堂) を採用しているのでは、と思っていたので、Yahoo! のこの新たな試みには注目したい。

 ちなみに私は、おべっかを使うわけではないが、なんとなく goo の辞書を使っている。
 (まあ、おべっかを使ったところで、どうなるというわけでもないと思うが ... )

 カタカナ検索や漢字辞典を利用するために infoseek の辞書を使うことも。



 元来、思い込みが激しいたちで、たまにまちがいを犯してしまうのだが、これでも、意味や用法のあやしいものに突き当たったときには、すぐに辞書で調べるようにしている。 調べてみると、じつは勘違いやら誤用だと知り、はずかしくなるとともに、ほっと胸をなでおろす、なんてことは、しょっちゅうだ。

 もしかすると、どの辞書ツールを使うかによって、この weblog (のようなもの) がまったくちがうものになることもありえるかもしれぬ。 採用されている辞書によって訳や用法が異なる場合もあるし、関連語なんかへのリンクがあったら、そこをたどってみることもある。 辞書を使うことによって、知識が増えたり、よけいに混乱したり?  そんな “ああでもない、こうでもない” の結果がこのページ、というわけなのだから。

 辞書ツールを使いこなし、今後の weblog に反映したいものだ。





 【ポータルサイト辞書ツール】

 ・Excite 辞書

 ・BIGLOBEサーチ Attayo:辞書検索

 ・@nifty 辞書



 【その他、よく使う辞書ツール】

 ・スペースアルク 英辞郎
  検索結果がとても詳しい。 しかし、ときどき結果が多すぎることがあるような気も ... 。


 ・シソーラス辞書検索
  キーワードに対し同義語、広義語、狭義語、関連語を表示。


 ・ハイパー漢字検索
  部首や画数などでも検索できる。





 みなさんは、どんな辞書を使われていますか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お次はだれ? / Who's Next?

2004年04月13日 12時03分27秒 | 想在
 おとこのひとって、どうして おんなのひとの はだかをみたがるの?

 それはね、じぶんにないものを みたいからだよ。

 でも、おんなのひとは、おとこのひとの はだかをみたがらないわ。
 じぶんにないもの が ついているのに。

 ― それはね、おとこ と おんなでは、ちがうからだよ。

 ― そういって、おとこは すぐ にげるのね。




















 ・

 もちろん、女性にも、「のぞき」 願望はあると思う。

 但し、男性とちがうのは、その対象が *至極* 限られている場合が多い、という点だろうか?

 あるいは、わたしたちにそれを恥じ入らせる、なにか見えない力が存在する、という点なのだろうか?

 だとしたら、なぜ、一部の男性には、その力がはたらかないのだろう ..... ???



 Sankei Web:
 『女装し銭湯に侵入、大学生逮捕 滋賀』
 『植草容疑者、JR横浜駅でも不審な行動』


 BGM:
 The Who “Who's Next”


 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画]『ディボース・ショウ』

2004年04月12日 12時04分07秒 | 映画
 昨日、日曜日は、『ディボース・ショウ』 (原題: “Intolerable Cruelty”) を観てきた。 Joel Cohen 監督/脚本、Ethan Cohen 製作/脚本という、いわゆる “コーエン兄弟” の作品。

 渋谷で観たのだが、客席がガラッガラだった。 一昨日公開されたばかりで、日曜日の午後だというのに ... 。 “コーエン兄弟” ってこんなもの? これがハリウッド大作とか、『Kill Bill Vol.2』 とかだったら、もっとすごかったのだろうな。

 まあ、ぎりぎりの時間に行ったのに、わりといい席に座れ、ゆったりと観ることができて良かったのだけど。
 (渋谷は、「渋東シネタワー」 というところで、座席数がもともと多い。 ゆったりと観たい方におすすめ)

 George Clooney は、はまっていたと思う。 完璧な二枚目役よりも、ちょっとはずしたところがいい。

 Catherine Zeta-Jones の美しさには、目をひかれた。 声がいい。 表情もいい。 ただ、今回は、ちょっと表情を作りすぎていたような気がしなくもないが。

 その他、脇役陣は、味がある人たちが多くてよかった。 配役の妙というのか。 いつもどこで見つけてくるのだろう? 相当に研究しているのだろうか。

 話の展開もよかった。 そうくるか、という感じか。 しかし、あまり書いてしまうと 「ネタばれ」 になってしまうので、このくらいで ... 。

 でも。 個人的には 『バーバー』 (原題: “The Man Who Wasn't There”) のほうが好き、かも。

 “コーエン兄弟” ならではのブラックな味わいとでもいうのか、独特の滑稽味が うすくちだったような ... 。 今回は、いちおう (?) 「恋愛もの」 ということで、あえて うすめにしたのかな?
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂気 / Dark Side of the Moon

2004年04月11日 00時45分49秒 | 音楽
 先日、RSS リーダーでニュース見出しの一覧を見ていたら、「妄想と戦う天才トランペッター」 というものがあって、気になって見てみた。

 All About Japan
 「心の病気と有名人VOL4 妄想と戦う天才トランペッター」

 ここで紹介されていた Tom Harrell さんというトランペット奏者の存在、また、「統合失調症」 というこころの病があることをはじめて知った。

 しかし。 それほどおどろきはしなかった。

 なぜなら、芸術という表現手段を選択される方々の多くが、多少なりとも、こころのはたらきに不調があったり、心的な傷を負っていたり、人並みならぬ 「なにか」 をもっているのではないか、という気がするから ... と言ったら、暴言になるだろうか?

 だって、尋常ではない、荒れ狂う海のような内的活動のはけ口として、歌ったり、奏でたり、描いたり、撮ったり、叫んだりしているのではないか ... と思ってしまうのだが。



 しかし、そういった作品に、こころを動かされたり、ひきつけられたりする人がいるというのは、いったいどういうことなのだろうか?

 多くの人が、まるで、月が満ち欠けするように、明るい部分と闇の部分を併せ持っているのだろうか?



 「あたしには関係ないわ ! 」 「あたしはまったくの正常よ ! 」 と、なんのまよいもなく、胸をはって言える人は、はたしてしあわせなのだろうか? あるいは、ふしあわせなのだろうか ... ?



 BGM:
 Pink Floyd “狂気 / Dark Side of the Moon”


 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無情の世界

2004年04月10日 00時51分36秒 | 想在
 この Weblog (のようなもの) の名称を変更して、およそ一週間たったので、『Run, BLOG, Run (旧 Boogle)』 の 「旧 Boogle」 の記載をはずした。

 ここで、Weblog (のようなもの) を書きはじめて、ちょうど二週間たったことになる。

 なにか、得たものはあるのだろうか? なにかわかったことはあるのだろうか ... ?



 Weblog の魅力とは、なんだろう? とふと考えてみた。


  執筆者にとっては、更新が楽なこと。

  閲覧者にとっては、情報が早いこと。


 であろうか。
 (むろん、記事を時系列・カテゴリ別に整理できること、各記事にコメントがつけられること、Trackback 機能なども含まれると思うが)

 たしかに、更新が楽になって、たすかっている。 しかし、楽なぶん、ついあわててしまって、じぶんでも収集がつかなくこともある。

 早さが魅力のひとつである Weblog だが、いや、だからこそ、じぶんなりの、正確な情報を発信したいものだ。

 「だれでもが」 「気軽に」 「自由に」 書き込めるからこそ、情報とことばを吟味し、選択していかなくては、と思う。

 私の Weblog の模索は、まだまだつづきそうだ ... 。





# 「人間は常にまよっている。 まよっているあいだは、常になにかを求めているのである。」 とか言っていたのは、たしか、ゲーテだったろうか。
# 人だから、まようのか。 まようから、人なのか ... 。



 BGM:
 Rolling Stones “Let It Bleed”



  You can't always get what you want
  But if you try sometimes well you just might find
  You get what you need

  ('You Can't Always Get What You Want' - Jagger/Richard)
  (邦題: 「無情の世界」)



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする