車はボクのオモチャ箱(c-hrlovers)

子供の頃からメカ好き、車好き、パソコン好き・・・でも、オタクやネクラではありません。

甦れ~トランペット💦!! 松は虫害😥、アボカドは元気🤪

2020-08-12 11:02:42 | 日記
10年前、職場の同僚の庭から分けてもらった「トランペット」。
毎年冬には幹は枯れてしまいますが、根っこは残っているようで、
春からニョキッと枝を出してお盆の前後に花を咲かせます。
ちょうど黄泉の国から先祖が帰って来たかのように・・・。
黄泉の国から帰って来たから「よみがえる」などと感じていたのですが、
ところが今年は1週間もこんな感じのままで、花が開きません。

去年までは、その名の通りトランペットのように開花したんですが。

猛暑のせいでしょうか・・・園芸シロウトの自分には分かりません😪


毎日、水やりはしてるんですがねー?


園芸シロウトにはさらに追い打ちするかのようにガッカリすることがありました。

松が虫に食われて無残な姿になってしまいました。


昨年の暮れに近くのホームセンターの隅っこで
忘れられているかのように2鉢300円で赤札が付いていたのを買いました。
我が家の庭で一冬過ごし元気に枝葉を伸ばしていたんですが、
先週、急に葉が無くなっているのを発見しました。
驚いてよく見ると、小さい青虫のような害虫が何匹もたかっていました。
見るも無残な姿に、松は松でもオソマツに!。
虫をすべて退治して、普段目の付きやすい場所に移して
経過観察中です。


さて、悪いことばかりではありません。
我が家の女性群は毎晩アボカドサラダを食べます。
美容と健康にいいとか(迷信?妄信?)で・・・
かなり種がたまったので、


冗談に発芽するか試してみました。


2ケ月後、発芽して30センチほどになったので、
小さい鉢に移してみました。


調子の乗り、数個発芽させて、玄関前の雑草隠しに植え替えました。
暑い国からやってきたのでしょうか、この酷暑の中、元気に育ってます。
特に開花や結実を期待しているわけではありませんが
どこまで伸びるかちょっと楽しみデス。
アボカドは愛媛の松山産以外は、メキシコやドミニカ産が90%だとマーケットの売り子さんが言ってました。
綾瀬はるか似の美形の売り子さんが毎日食べてますとも言ってたので、
何を勘違いしたか🤪、我が家の女性群もあやかるつもりで購入したのが始まり。

今年の夏は、特別な夏・・・と小池都知事が言われてましたが、
自分の身も周りでも変に特別なことが起きているようでちょっと不気味デス。
そんなわけで、今年は体調にも気を付けてみようと思い、
こんなものをテーブルに用意しました。

「まるで子ども!!」と女性群からは笑われてます。
小腹がすく10時と3時のおやつにこれらを飲み食いしているせいか、
体調は快調です。(自己満足🥴)
願うはコロナ退散、猛暑退散です。

スズムシ、もらいました。

2020-07-29 17:12:18 | 日記
小学校時代から自他ともに認める昆虫博士の友人からスズムシをもらいました。
前の年に産卵した卵を孵化させて、成虫をまた産卵させて・・・と長い事楽しんでいるとのこと。サボテンをも枯らしてしまう僕とは全然違う優秀な頭脳の持ち主・・・なぜか小学校時代から親切にしてくれている。
コロナ禍の第2波が来ているようなので、自然と自粛、家庭で過ごすことが多いので、お盆頃から鳴き始める楽しみがあれば少しは癒されるかも・・・優しい彼はそう思ってくれたのだろう。
6月頃孵化した折、彼が連絡をくれたのだが悪天候が続き、なかなか都合の良い日が無く、やっと7月の下旬になってもらうことになった。
1cmほどに育ったスズムシ、10匹ほどもらった。


オス・メスの割合は分からないが、どちらかがゼロということは無いだろう・・・。
当然、鳴くのがオス、卵を産むのがメス。


まだ小さい、しかもけっこう動くので、産卵管?らしきものの識別が分かりにくい。

我が家の女性群に「ナス・キュウリ・かつお節を食べるらしいから、食事の残り物でいいので、エサを特に買わなくてもいいと思うんだ。」と言ったら
「この野菜高騰の今、返ってもったいないよ!スズムシのエサは1袋100円ちょっとでホームセンターで売ってるんだから、それにしてよっ!」とさっそくダメ出し・・・。
(・・・ったく、野菜のシッポでいいのに・・・と思ったが、どうせ多数決・・・)


確かに、粉状のエサを入れたところ、さっそく寄って来て食べ始めました。


あとは近くの林で拾ってきた枝の切れ端を数本。隠れ家的な物として入れました。
時々霧吹きで水分を与えることも必要。
産卵後、死骸を片付けて土の中の卵を一冬越させる時も、時々霧を吹いておくとまた来年、6月頃から孵化すると彼が言ってましたが。。。。どうなるかは自信がありません。

まあ来月、お盆頃に鳴き始めるというので、それを一つの目標にします。

嬉しいことがたくさんあった😊ふとカレンダー見たら今日は父の日!

2020-06-21 10:37:30 | 日記
嬉しい事
その①
楽しみにしていた、プロ野球が開幕!!
無観客だろうが何だろうが、とにかくジャイアンツが2連勝、
しかも球団通算6000Vも達成。今日勝てば3連勝。

職場の阪神ファンの連中の顔を月曜日見るのが楽しみ!!

その②
我が家の女性群が「父の日なので寿司でもとろうか」と言ってきた。
しかし、男一匹、家訓を死守している自分は
「生ものは梅雨時は食さない、俺の好きにさせろ!」と言い
幕ノ内弁当を取ることにした。


近くのホットモットが新装開店したのでWEB予約。
「なーんだ、駅前の料亭からとるんじゃないの!?」の陰の声を無視!!

その③
幻の「アンデスのブランデーケーキ」を試作。
昔、駅前にアンデスというパーラーがあり、
そこのブランデーケーキが殊の外美味しかった。
ボーナスが出た時等、帰りによく買って帰った。
残念ながら店は無くなり、他のどの店で購入してもあの味ではなかった。
ならば、自分で作ってみよう!と思ってカステラにブランデーをかけて一晩おきました。

まあ、そこそこ満足。

その④
久保田の雪峰、高清水、そしてご当地コーラ!

少年野球のコーチをしていた時の教え子たちから。
なぜか、父の日の送られてくる。
・・・コロナ禍でお会いできないが、
あの頃の夏の合宿の辛さに比べたら、
コーチのノックの厳しさに比べたら、
たいていの辛さは耐えられます!!
みんな元気に頑張ってます、コーチもお元気で!
    ウィングス少年団有志一同・・・
今年は、そんなメッセージが添えられていました。
おそらく、酒屋の子がいたので、彼がリーダーで
声をかけたのだろう。
ワンパクたちの日焼け顔と汗が蒸発して白く塩がふいた野球帽を思い出し、
なぜかほっこりした父の日です。

百均バンダナ、立体マスク作るハメになりまして・・・

2020-05-01 16:13:18 | 日記
5月になっても自宅待機指示が出たままの、我が職場。 まあ、これで車いじりがゆっくりできる、と思いきや、 輪番制で勤務の割り当てが。
在宅ワークなら残り一箱のマスクもそんなに使わずに済むとノンキに構えていたが・・・

来訪者対応に備えて、勤務日を決めるクジが回って来て、運悪く週3出勤!
昔、敷地内全面禁煙! 今、敷地内マスク着用!2mディスタンス厳守!

何はともあれ、マスクもう少し備えた方が、と家族に相談・・・
「1箱60枚入って、¥500以下で買ったんだから、それ以上ばかばかしくてお金出せないわ!第一、朝一で並んで買うなんて!!」
相変わらず強気の女性群。
「あんた、無いものは自作!って言ってたよね。車の部品ばかりじゃなくてマスク作んなよ!」えーっ、俺かい?
「昔、ナナハンのマシン乗ってたけど、縫物のミシンは苦手だよ。」と言い返すと
「そんじゃ、男用のマスクの型紙、ダウンロードしてプリントアウトしてくれれば、ミシン掛けしてやるわよ。但し、女子向きのハギレしかないから、いやだったら100均で見てきな。」
てなわけで、近くにある100均で気に入ったバンダナを3枚購入。
マスクの型紙をダウンロードして、バンダナと一緒に渡すと、
1時間後
「とりあえず、バンダナ1枚でこれができたわよ。車に乗ってもメガネが曇らないようにしといたから。」


「3層重ねくらいになってるが、目の下からアゴの下までバッチリ」


早速車内でも試してみると

確かに、普段通りに呼吸しても、メガネが曇らない、グッジョブ!
鼻の部分の折曲げパーツや耳にかけるゴムは使い捨てマスクのパーツを取り、
消毒して数回使えるとのこと・・・なるほどね。

今回ばかりは、何故か優しい女性群のお力で、10枚近く立体マスクができました。
しかも、午前用とランチ後の午後用に使い分け、
帰宅したら消毒液に漬けて手洗いしてくれるとのこと。
今怖いのは新型コロナウィルス、後で怖いのは女性群の優しさ!!

しかしマスクと手洗い、消毒、これほど意識したことは人生でなかったですねー。



使えなかった500円札

2020-02-22 14:30:03 | 日記
 母の実家は、桧原村という自然豊かな美しい村で、夏休みには電車やバスで遊びに行くのが楽しみだった。そこには、祖父や仲良しの従兄たちがいた。
祖父は、山師、と言っていわゆる「木こり」だった。納屋にはクジラの赤ん坊のような形をしたギザギザ歯の鋸がいくつも壁に掛けてあった。床には木っ端やおが屑が所々落ちていた。
ぶっきら棒で無骨な祖父は、僕の顔を見ても「おうっ。」とだけ言って、仕事の手を休めなかった。それでも僕は、祖父が背中を丸めて大きな木を切っている姿が好きだった。たくましくて、強そうで、鋸がみるみる木の内部に切り込んでいくのを見て気持ちがよかった。

 小学校6年生の夏休みも、お盆が近づくといつものように電車やバスを乗り継いで田舎へ行った。待っていてくれた従兄たちと、近くの川に釣りに行ったり、裏山にセミやカブトムシを取りに行ったり、夜には盆踊りに参加して、楽しく過ごした。

 帰る日、納屋で仕事をしているお爺さんに挨拶した。
「今度、いつ来られそうじゃ。」
「そうだな、お正月はお父さんほうの実家に行くし、春休みは、中学校の入学準備があると思うからまた、来年の夏休みに来るよ。」
「そうか、じゃあ達者でいろや。」
そう言うと、腰に下げた巾着袋から皮の財布を取り出し、中にあったきれいな500円札を出した。
「これで、何か好きな物を買え。中学校へ行くんじゃからしっかり勉強せにゃな。」
お札を差し出した手は真っ黒に日焼けして、しわだらけ、傷だらけで、親指の爪は真ん中が途中まで縦に割れていた。僕はうまい言葉が見つからず、それでも精一杯の感謝の気持ちを表そうと思い、両手でお爺さんの手を包み込むようにしてお札を受け取った。ざらざらな手だったが、お爺さんの心のように温かく感じた。
「どうもありがとう。お爺さんも元気でね。」と言い、しわ一つない500円札を持ってきた日記帳に挟んで帰った。

 2学期が始まり、運動会、写生会、社会科見学、修学旅行と、楽しい行事が続き、田舎のことはあまり思い出さなかった。そのころから、授業でシャープペンシルを使う友達が何人かいて、それがめずらしく、だんだん使用者が増えていった。当時のシャープペンシルは、上の部分を回して芯を出すのもので、今のようにノック式ではなかったが、僕も欲しくなってきた。放送委員会の取材で図書室へ行って調べ物をする時や社会科見学でメモを取る時も便利だと思った。持っている友達に値段を聞くと500円だった。その金額を聞いて、お爺さんにもらったお金が頭に浮かんだ。
「シャープペンシル、買っていいかな。みんな使ってるし、便利だと思うんだけど・・・。」
「お母さんは、まだ早いと思うけどね。鉛筆でしっかり字を書いて、きちんとノート取ることのほうが大事じゃないの。」
「普段はみんなも鉛筆がほとんどだよ。でもちょっと記録したり、見学の時メモを取ったり、便利な時もあるんだよ。ねー、お爺さんにもらったお金で買うからいいでしょう?」
「まあ、勉強道具なら、いいけど。」
母からその言葉を聞いた土曜日の午後、さっそく500円札を持って文房具屋に行った。
 店内に入ってガラスケースの中に並べられているシャープペンシルを見ていると
「上に出してあげるから、握ったり、芯を出したり、紙に書いたり、いろいろやってみなよ。」と店番をしていたお婆さんが出してくれた。
その時のお婆さんの手を見てはっとした。あかぎれのような傷と親指がささくれになっていた。左手の人差し指に巻いた絆創膏は周りが黒く汚れていた。
僕は、急に田舎のお爺さんのあの傷だらけの手を思い出した。あの時くれた500円札もお爺さんの傷だらけの手で一生懸命働いて作ったお金だろう・・・そう思うと急にシャープペンシルが欲しくなくなり、財布から出しかけたお札をまた戻した。
「ごめんなさい、僕は、このお金、使えなくなって・・・。ほんとにごめんなさい。出してもらって、書いてみたのに、すみません。」
途切れ途切れにそんな意味の言葉を言った。
「ああ、いいんだよ。きっと、あんたにとって、大事なお金なんだろうね。」
優しくそう言ってくれたお婆さんの言葉もあり、帰りの自転車をこぎながら涙がボロボロこぼれて仕方なかった。
お爺さんに会いたいと思った。今すぐ田舎に行きたいと思った。電話も車も家にはまだない時代、どうしようもない気持ちで家に帰り、母にシャープペンシルを買わなかったことを話した。
「修学旅行で買ってきた絵葉書があるでしょう。それでお爺さんに手紙を書いたら。」
母に言われさっそく手紙を書いた。お小遣いのお礼、手の傷を大事にしてほしいこと、寒くなるので風邪をひかないでください、また夏休み、会いに行きます・・・そんなことを。
一週間ぐらいしてお爺さんから、返事の手紙が来た。
「元気で働いている。手の傷はわしの自慢じゃ。かわいい孫たちも、わしの自慢じゃ。お前の手紙は、わしのお守りにした。」それを読んで、僕はうれしくて、ほっと気が休まった。

 年も明け、2月になった寒い朝、一通の電報が届いた。お爺さんが亡くなった知らせだった。朝、眠るように静かに息を引き取ったということだった。お爺さんの枕元には、従兄たちが書いたであろう、誕生日を祝う色紙と汚れた巾着袋、その中には僕が送った絵葉書が入っていた。お爺さんの手を握って、最後のお別れの言葉を言いながら遠慮なく涙を流した。涙ってこんなに出るものかと思うくらい泣いた。従兄たちも一緒に泣いてくれた。
 そして僕は僕だけの思い出として、あの500円札でお爺さんが好きだった菊の花を一輪買って、棺の中に入れさせてもらった。
 今でも、僕の机の引き出しの片隅に、お爺さんからもらった最初で最後の手紙が入っている。