今日は、アンガーマネジメントではなく、
タイプ別コミュニケーションの立場から書きました。
タイプ別コミュニケーションが、私の専門の一つの柱になっています。
人間は完全ではないので、いろいろなクセを持っています。
どちらかに重心を持っているクセ(=特性)があるんです。
今回あつかうクセは、
「人(人や雰囲気・感情)」か「こと(事や物・事実客観)」の軸です。
たとえば、
テレビで見ている有名人の方が、病気で入院した、という話題を聴いたとします。
「人や雰囲気・感情」に偏っている人なら、対象者の内面に一体化したように感じて、
「可哀そう」「辛いよね」のような同情や共感の言葉を使いやすかったりします。
一体化していなくても、「応援してる」「できることがあったら言ってね」などのように
心理的に近くで寄り添う言葉を使ったりします。
そういう発言を、「事や物・事実客観」傾向の方が聞くと、
現実は何もできないし、何もしないのに、言うだけ・気持ちだけ、だと意味がない、
と『考え』たりします。
一方で、「事や物・事実客観」に偏っている人なら、たとえば、
「適切な治療を受けて快復してください」など、他人事(本当に他人なのですけど)のように聞こえる言葉を
知らず知らずのうちに選んでいたりします。
一体化するのではなく、自分を物事の外側に置いて、表現するクセがあります。
「~~と見える」「~という動きがある」などのように、
対象者の外側から、且つ距離感のある言葉を使ったりするわけです。
それを、もう一方の「人や雰囲気・感情」傾向の人が聞くと、なんだか冷たいと『感じ』ます。
仕事の場でも、 例えば、人材の話で「頭数を揃える」などのような表現をしたり。
人を軽んじているわけではないのでしょうけど、
極端にクセのほうに偏っている表現をすると、
「人や雰囲気・感情」タイプの人が聞くと、
この場合だと、人を数としか捉えていないように聞こえるので、
「人を何だと思っているんだ?!」と『感じる』表現になってしまっています。
どちらか片方が、良いとか悪いとかではありません。
単に、軸の両端は、両方にある。それだけです。
心理学では、コインの両側は、両方必要、
両方あって当たり前。両方あってコイン、と言ったりします。
ただ、タイプというものは、一生ものではなく、
単にクセなので、右利きの人が、右手を使うようなものです。
例えば、右手がケガしたりして使えないときには、
普段使うのが不得意な左手も、トレーニングすると使えるようになります。
もう一方の特性を、「能力」として身につけることができます。
そのためには、自分がどちらに傾いているかを自己理解して、
もう片方の不得意な一方の特性を理解して、使えるように練習することです。
特性の両手利き(クロスドミナンス(cross-dominance))を目指すことに、
タイプ別コミュニケーションを学ぶ意味があります。
人は、言葉で感じたり、考えたり、理解する生き物です。
両方のタイプがあるということを知って、
人の共感を得られるような『言葉を選ぶ力』を、
タイプ別コミュニケーションの面からも、身につけられるといいなと思います。