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神の知識を深めること

2020-11-07 02:16:36 | 神を探す心
アロイジオ・デルコル神父『神を探す心 ー 目に見えるものを通して』

◆8、神の知識を深めること

 それにしても、知恵ある人間ですから、ほんの少しでもその知恵を働かせるなら、すぐに神の存在を証明するための十分な資料を見つけることができます。

 ここで、断っておかなくてはいけないのは、この「十分」という意味です。なぜなら、それは、完全ということではないからです。

 しかし、本当に神が存在するのであれば、この不完全さを補う神からのお示しがあるはずです。そうです。事実、神は、ご自分の方からも、いろいろと教えて下さったのです。そして、私たちは、それを認めることができます。しかし、認めるといっても、内容を理解し、その理由を悟ってから、認めるのではありません。私たちが、神のお示しを認め得るのは、神に嘘偽りはあり得ないという、その絶対的な信頼によるのです。つまり、子供が親を信じて、その教えてくれることを、認める以上に、私たちは、神を信じてそのみ言葉の教えるところを認めるのです。

 問題は、その教えが、本当に神から来たものであるかどうかということさえ、確かめればいいわけです。

 私たちが、知恵を働かせて見つけだす、数々の証明と、この神の教えがあい補いあって、私たちは、神の存在に対する確証を得ることができます。

 しかし、ある人々は、神の啓示の中に、私たちの理解を超えるものがあるのを見て、神の存在なんて、迷信かおとぎ話の類に過ぎない、と考え「そうだ、信仰があるからこそ神なんて、非科学的なものを認めるのだ」といいます。

 本当にそうでしょうか。とんでもありません。既に自分の心の中に、前もって、神の存在を認めていないのに、どうして信仰がありえましょう。それは、当然のことです。

 そうです、神の存在を認めていればこそ「神は、無限に私たちを超えるおん者である。したがって、そのみ教えに、私たちの理解を超えるものがあっても、むしろ、その方が当然だ」と考え、子供が、親の言うことをそのまま認めるように、神のみ教えを認めるのです。そこで、今度は逆に言って、もし、神の存在を認めないことにでもなれば、信仰の土台はたちまち消えてしまいます。

 私は、皆さんにここで、神の存在が攻撃のまとになっている理由がどこにあるかを知って頂きたいのです。これは、世界の思想を研究するうえで、とても大切なことです。なぜなら、この世が続く限り、つまり人間が存在するかぎり、神の存在を、いろんな角度から否定しようと努力する人たちが、絶えないからです。

 幸い私たちは、理性を持っています。なかでも、理性活動の基準ともいうべき常識を持っています。ところで、この常識に基づいて、知恵を正しく働かせるとすれば、「神の存在に対する疑いをもって いろいろな思想が、すべて、常識の不足に基づくものである」ということがわかってくると思います。


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