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神を考える知恵

2020-11-13 04:05:03 | 神を探す心
アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』

◆1、神を考える知恵

 聖パウロは、今述べた通り「神について知りうることは、彼らにとっても明らかである」と言ったのです。

 でも、なぜでしょう。答えは簡単です。神が、それを彼らに現わされたからです。そして、私たちは、人間である以上、知恵を持っていますから、神のみわざであるこの世について、多くのことを考えなくてはいけません。「考えない」と言う人は、知恵を持ってはいても、人間というより、動物に近いと言えるかもしれません。なぜなら、そういう人は電子計算器がただそこにあるというだけなのに似ていて、それを人らしく固有の目的に使うわけではないからです。それで、もし知恵を人らしく十全に使って、神のみわざを考えると、その人には、神は、まさに見えるのです。

 もしそうやって神が認められてしまえば、その人はもう言い訳することができなくなります。なぜなら、神を知りつつ、感謝をしないでいたことになってしまいますから。

 結局、聖パウロが続けて言っているように「彼らは、愚かな思いに耽って、その無知の心が、くらんだのです。また、彼らは、自らを知者と唱えて、愚かな者となって、不朽の神の光栄を、朽ちる人間や、鳥、けもの、這うものに似たかたちに変えてしまったのです」(ローマ1:21-23)。

 さて、これまで述べてきた結論として、神の存在について、疑っている人があるとすれば、それは、神が見えないからではなく、見たくないからである、ということになります。


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