『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
6 “スーパーマン”レオナルド・ダ・ビンチ――ルネサンスの技術と科学――
1 「モナ・リザ」
一九一一年(明治四十四年)八月二十二日、パリのルーブル博物館にあったレオナルド・ダ・ビンチの傑作肖像画「モナ・リザ(またはジョコンダ)」が盗まれて大ニュースになった。
警察は詩人のアポリネールなど、変り者を多数捕えて取り調べた。
謎をふくんだ「モナ・リザの微笑」で著名な絵だっただけに、これは単なる盗難というよりも美人の蒸発と受けとられた。
よってこの事件は「モナ・リザの失踪」とよばれる。
盗品が発見されたのは、イタリアのフィレンツェにおいてである。
犯人はイタリアの愛国的な泥棒と自称した。「モナ・リザ」はレオナルドが最後まで所蔵した絵で、その晩年を保護したフランス王家の所有となり、大革命後フランスの国有になっていた。
イタリアの文相からフランスの大使に正式に返還された「モナ・リザ」は、一九二二年(大正二年)一月四日ふたたびルーブルで公開された。
また一九七四年四月二〇日から六月一〇日まで東京国立博物館でモナ・リザ展が開かれ、合計一五〇万人がこの絵と対面した。
とにかくこれほど人騒がせな絵はない。
高さ七七センチ、幅五三センチの木の板に描いた油絵で、世界最高とびきりの名画としては小さい。
モデルはフィレンツェの富豪の令嬢モナ・リザ、ジョコンドという富豪の夫人になったので「ジョゴンダ(イタリア名、女性形)」ともいう。
制作年代は一五〇三年から約四年間と推定されており、モデルの年齢は一五〇三年に二十四歳であった。
横向きにすわり、顔を正面に近く向け、全体に静かなゆったりした姿勢だが、胸をややそらしており、眉毛を剃り、前髪をすこし抜いて額を広く見せ、金持ちなのに装身具をつけていない。
そしてかすかな微笑、これについては多くの学者や批評家や弥次馬がおびただしい意見や、「解説」を残している。
世界一有名なモナ・リザ
レオナルド・ダ・ビンチの傑作
いわゆる 「古式の微笑(アーケイック・スマイル)」の伝統と結びつけようとする説も単なる連想か?
その他の説はおおむねかってな想像のようである。
ジョコンダ夫人が内気な沈みがちなひとだったので、レオナルドは音楽を演奏させた。
そこで彼女はかすかな微笑を……というような話まである。
この絵はレオナルドが大事に持って歩いていたのでレオナルドの存命中からいろんな伝説を生んだらしい。
接近しないとわからないが、油絵の具は四百六十年もたったこんにち、一面に黒いこまかなひびがはいっている。
絵の具をつくることも画家の仕事だった時代のものである。
制作当時の美しさを再現することはたぶん不可能であり、その古色がこの絵の神秘化にむしろ役立った。
同じく世界最高のギリシア古代の大理石彫刻「ミロのビィナス」も、先年日本でも展示されたが、専門家の研究によると、制作当時は極彩色だったという。
それが美しかったかどうかというふうに問題をたてるのは、鑑賞の立場である。
無数の複製で通俗化された「モナ・リザ」と真物(ほんもの)を包みこむ世界に、もはや四百六十年も生きつづけて年をとらない一人の魔女がいる。
それはいつしか個人の肖像画というものの原型になっている。
油絵はもとよりだが、たとえば写真の撮りかたなどにさえ、「モナ・リザ」は生きていないだろうか。
「モナ・リザ」の背後には遠い風景がある。カメラ持参の山登りやハイキングのとき、現代人でも、人物を浮き出させるためにこんな方法をとるのではなかろうか。
じつは「モナ・リザ」以前の肖像画は、個人のものはまれであった。
高い地位の人も大富豪も自然な姿では描かれず、聖書物語の群像の一人として描きこまれたり、信仰あつい特別な礼拝の姿勢で描かれたりしていた。
生きた自然な個人の肖像画の傑作として「モナ・リザ」は史上最初のものなのである。
6 “スーパーマン”レオナルド・ダ・ビンチ――ルネサンスの技術と科学――
1 「モナ・リザ」
一九一一年(明治四十四年)八月二十二日、パリのルーブル博物館にあったレオナルド・ダ・ビンチの傑作肖像画「モナ・リザ(またはジョコンダ)」が盗まれて大ニュースになった。
警察は詩人のアポリネールなど、変り者を多数捕えて取り調べた。
謎をふくんだ「モナ・リザの微笑」で著名な絵だっただけに、これは単なる盗難というよりも美人の蒸発と受けとられた。
よってこの事件は「モナ・リザの失踪」とよばれる。
盗品が発見されたのは、イタリアのフィレンツェにおいてである。
犯人はイタリアの愛国的な泥棒と自称した。「モナ・リザ」はレオナルドが最後まで所蔵した絵で、その晩年を保護したフランス王家の所有となり、大革命後フランスの国有になっていた。
イタリアの文相からフランスの大使に正式に返還された「モナ・リザ」は、一九二二年(大正二年)一月四日ふたたびルーブルで公開された。
また一九七四年四月二〇日から六月一〇日まで東京国立博物館でモナ・リザ展が開かれ、合計一五〇万人がこの絵と対面した。
とにかくこれほど人騒がせな絵はない。
高さ七七センチ、幅五三センチの木の板に描いた油絵で、世界最高とびきりの名画としては小さい。
モデルはフィレンツェの富豪の令嬢モナ・リザ、ジョコンドという富豪の夫人になったので「ジョゴンダ(イタリア名、女性形)」ともいう。
制作年代は一五〇三年から約四年間と推定されており、モデルの年齢は一五〇三年に二十四歳であった。
横向きにすわり、顔を正面に近く向け、全体に静かなゆったりした姿勢だが、胸をややそらしており、眉毛を剃り、前髪をすこし抜いて額を広く見せ、金持ちなのに装身具をつけていない。
そしてかすかな微笑、これについては多くの学者や批評家や弥次馬がおびただしい意見や、「解説」を残している。
世界一有名なモナ・リザ
レオナルド・ダ・ビンチの傑作
いわゆる 「古式の微笑(アーケイック・スマイル)」の伝統と結びつけようとする説も単なる連想か?
その他の説はおおむねかってな想像のようである。
ジョコンダ夫人が内気な沈みがちなひとだったので、レオナルドは音楽を演奏させた。
そこで彼女はかすかな微笑を……というような話まである。
この絵はレオナルドが大事に持って歩いていたのでレオナルドの存命中からいろんな伝説を生んだらしい。
接近しないとわからないが、油絵の具は四百六十年もたったこんにち、一面に黒いこまかなひびがはいっている。
絵の具をつくることも画家の仕事だった時代のものである。
制作当時の美しさを再現することはたぶん不可能であり、その古色がこの絵の神秘化にむしろ役立った。
同じく世界最高のギリシア古代の大理石彫刻「ミロのビィナス」も、先年日本でも展示されたが、専門家の研究によると、制作当時は極彩色だったという。
それが美しかったかどうかというふうに問題をたてるのは、鑑賞の立場である。
無数の複製で通俗化された「モナ・リザ」と真物(ほんもの)を包みこむ世界に、もはや四百六十年も生きつづけて年をとらない一人の魔女がいる。
それはいつしか個人の肖像画というものの原型になっている。
油絵はもとよりだが、たとえば写真の撮りかたなどにさえ、「モナ・リザ」は生きていないだろうか。
「モナ・リザ」の背後には遠い風景がある。カメラ持参の山登りやハイキングのとき、現代人でも、人物を浮き出させるためにこんな方法をとるのではなかろうか。
じつは「モナ・リザ」以前の肖像画は、個人のものはまれであった。
高い地位の人も大富豪も自然な姿では描かれず、聖書物語の群像の一人として描きこまれたり、信仰あつい特別な礼拝の姿勢で描かれたりしていた。
生きた自然な個人の肖像画の傑作として「モナ・リザ」は史上最初のものなのである。