聖ノルベルト大司教 St. Norbertus E. 記念日 6月 6日
1015年頃の事である、皇帝ヘンリコ5世の宮廷に、ノルベルトという副助祭がいた。家は門地の高い貴族で、収入も相当豊かであったが、ただその生活振りは地位に似げなく放縦を極め、甚だ感服出来かねるものがあった。
所がある日の事、馬に乗って一人の従者を連れ、祭礼の見物に出ると、途中大暴風雨に逢ったが、その時突然従者が絶叫した「旦那様、帰りましょう。天主様の御罰があなたの上に下りますよ!」
その瞬間ものすごい電光がひらめいて、宇宙も裂けたかと思われるような雷鳴が轟いたかと思うと、ノルベルトは馬もろとも大地に叩きつけられ、それと同時に気を失ってしまった。
それからどれほど時間がたった事であろう。ようように我に帰った彼は、起きあがるや否や聖パウロの如く「主よ、御身は何を私にお望みになりますか?」と叫んだ。彼は「悪事をやめて、善いことをしなさい。平和を探し求めて、それに従いなさい」という聖主の御言葉を聞いたのである。そして天主の聖旨を知るべくジーグブルグの一修院に籠もって祈祷や大斉をなし、院長と共に心の修養に勉めた。次いで彼はケルン市に赴き、司祭叙階の準備に励み、二年後の1115年めでたくその資格を得た。
かくて再びもといた所に戻った彼は、全く打って変わったような人間になり、信仰極めて厚く、様々の苦行を行い、しばしば説教を試みて、総ての人々にキリスト教的生活を為すべき事を勧めた。しかし、彼は至る所で反対にあい、わけても昔を知っている人々には悪し様に言われ、時としては顔に唾さえ吐きかけかねない仕打ちも受けた。けれどもノルベルトは以前の罪の償いにキリストの御苦難を念じつつ、何事も目をつぶってじっと辛抱したのである。
彼はここかしこの町や村を廻って教えを説いた。が、彼はそこでも迫害冷遇を蒙らねばならなかった。そして挙げ句の果てには教皇使節の許に讒訴までされるに至った。
ノルベルトはそれに対し謙遜に弁明した。それから自分の所有物を売り、得た金を貧民に施し、身分や地位も一切捨ててちょうど教皇ジェラジオ2世が御逗留中の南フランスにあるプロバンスに行ったが、既にノルベルトの聖なる日常に就いて聞知されている教皇は快く彼を迎え、以後御許に引き留めておこうとされた。
しかしノルベルトはその御好意に甘えはしなかった。彼は教皇に願って到るところで説教する許可を得、まずケルンへと志した彼は裸足で雪中を行き、菜食に甘んじ、しばしば徹夜して祈った。途中フランスのヴァランシアンヌまで来ると、たって望まれて一場の説教を試みたが、彼はフランス語をほんの少ししか知らぬに拘わらず、聴衆はいずれもよく彼の言わんとする所を悟り深い感動を受けた。これはちょうどエルサレムにおける聖霊降臨の日に使徒達の上に起こったと同じく、感ずべき聖霊の御奇特に相違ない。
彼はそれからなおも行脚を続けようとした。けれども引き連れた3人の従者が死んだために、しばらくはそれも出来なかった。その内に若い一聖職者が彼の許に来て、是非にと同行を望んだ。で、ノルベルトはその人と共にカンブレの司教ブルカルドを訪れ、付近一帯で自由に説教する許可を得た。天主は彼等の活動に豊かな祝福を垂れ給い、その成果には極めて大いなるものがあった。さればラオンの司教バルテルミイは、教皇の推薦に従って、彼を自分の司教区に、礼を厚くして招聘した。
ノルベルトはその請を容れ、司教よりプレモントレの谷にある一小聖堂を与えられた。彼はかねてから、日常の生活にも祈りと苦行とを織り込むのを目的とする修道会の創立を考えていたが、ある夜プレモントレで一群の白衣の修道者達が、手に手に十字架とたいまつをとを携えて過ぎゆく幻影を見た。彼はこれこそわが兄弟達、わが精神を受け継ぐ人々であると思った。
それからしばらくして、1120年の1月25日、いよいよ彼の念願なるプレモントレ修道会が創立され、司教は彼に白衣を与えたが、それはその後長く同修道会の制服となった。
彼は早速付近を廻って説教した。それに感じてしばらくの後彼の修道会には13人の修練者が出来た。それはいずれも既に司祭の位を受けた人達ばかりであった。ノルベルトは彼等に会の精神を伝え、特に総て御聖体の秘蹟に関係ある事物、従ってミサ聖祭その他あらゆる勤行に対し尊敬と信心を示す事を使命とした。
彼が教会の用事でドイツのシュバイエルに行った時の事であった。彼は皇帝と教皇使節の懇望黙し難く、とうとうマグデブルグの大司教になる事を承諾した。その教区には改革すべき事、整理すべき事が山ほどあった。彼が任地に乗り込むと、大司教館の玄関番は、そのあまりにもみすぼらしい服装から、乞食と思い誤り、なかなか彼の館に入るを肯んじなかった。そればかりでない。新大司教に反感を有する者は、事ごとに反対妨害し、果ては彼を亡き者にしようとまでした。実際暴漢が太刀をひらめかして切ってかかった時、彼が危うく難を逃れて、かすり傷すら身におびなかったのは、奇蹟という外はない。しかし聖大司教の徳行と、柔和にして剛毅な心とは一歩一歩あらゆる障害を克服せずにはいなかった。
1132年にノルベルトは、皇帝の戴冠式に参列すべくローマに赴いたが、はからずもそこで重病に罹り、4ヶ月は薬餌に親しまねばならなかった。それからようやくマグデブルグに帰り、なお2年の間職務を執っていたが、遂に1134年54歳で永眠した。
教訓
ノルベルトは身近の落雷に主の御戒めを見た。人は誰でも一生の中に常ならぬ出来事に出逢うものである。そういう時我等もそこに主の御教訓を認めて、己をより善き者と為すべく努力せねばならぬ。