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聖母マリアに対しての信仰心は救霊の確かなしるしである

2024-01-14 00:30:14 | 天国・地獄

マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年

48.聖母マリアに対しての信仰心は救霊の確かなしるしである

 聖母マリアはキリストの尊き母、我々人類の慈悲深き母であるから、特別に敬愛せねばならぬのである。

 聖ベルナルドを始め、他の聖人等の教訓によれば

「聖マリアに対して、真の信仰を尽くすものは、現世にて、悪魔の誘惑、肉欲の快感、世間の幻栄に遠ざかりて、身霊を深く保持し、天上にて永遠の万福を受けて楽しめる諸聖人の如く、我も将来必ず永福を確かに、受くべきものなりと今より確信して心の慰めを得らるる」

と云うことである。

 福者ヴィアンネ霊父いわく

「我等に対して聖母の愛は誠に無量である。世界の始まり、終りに至るまで、普通の母が子に対する愛を集めて、聖母と比較しても火と氷との相違がある。世間の母たる者がいかに尽くすとも、聖母が我々の霊魂を救護し給わんとするにくらべれば、及ばざること、天地の差どころではない。かかるが故に聖母の真の僕となり奉らば地獄に陥いることは無いということを忘れてはならぬ」

と云われた。

 聖母に対しての信仰は天主のまします所へ行く道を照らす燈火である。我々はこの燈火に依りて、安心と希望とを以ってその道を進むのである。もしこの燈火なくば天主の方へ行く道とは知りながら、世間を禅かる弱い心の闇に迷いて、その道を進むことは難しいのである。

 この信仰は我々公教より離すべからざる緊要なる部分である。

 即ち救世主は聖母マリアを以って、現世に天降り給うた如く、我等は聖母マリアの取次ぎを以って、救霊の聖寵を招かねばならぬと天主は定め給うたのである。

 公教信者の霊魂が聖寵の生命に在か否かを知るには、聖母の聖名を聴きて、虐敬の度の高きか低きかを調べて知らるるのである。それ故、聖母に対して信仰なき者は、地獄に落ち易いのである。聖母に対する信仰の心が残っていた為救われた大罪人の数は数え切れぬほどである。





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