『古代ヨーロッパ 世界の歴史2』社会思想社、1974年
2 日蝕を最初に予言した人
4 タレスの学問
タレスが日蝕を予言したのは、何も日蝕の原因を正確に彼が知っていたためではなかったことは前に書いた。
当時メソポタミアやエジプトにたくさん貯えられていた天文の記録を利用して、将来を推定したものにすぎなかった。
メソポタミアやエジプトなどでは農業が経済生活の根本であったから、気候、天文の観測は古くから行なわれ、その記録はたくさん貯えられていた。
しかしオリエントでは、それらは単に知識として貯えられたにすぎず、それらを整理して、一つの法則をさがしだそうという努力はされなかった。
タレスの予言は完全な法則化ではなかったが、その方向への一つの動きではあった。
アリストテレスは、タレスを「学問をはじめた人」としているが、それはそういう意味だった。
知識を体系づけ、法則化し、ものの根本原因をさぐろうとするのが、タレスの学問の研究法だった。
彼は万物の「起源(アルケー)」は「水」であるとした。
これはたぶん何の中にでもいくらかは「水分」がふくまれていることを観測しての結果であったろう。
彼は泉にも気がつかずに落ちるほど、観測に熱中した人だった。
バビロニアの古い伝説でも、「世界ははじめはみな海であった」といっている。
しかしそこに、神のマルドゥクが水の面にむしろをかぶせ、どろをつくって、これをむしろのそばに積みかさねたと、世界の起源をバビロニア人は語っている。
タレスの考え方は、このマルドゥクのような神的なものが世界をつくったり、人間的な神が男女のように結合して、そこから何かが生まれていくというような、多くの原始人のあいだに見られる、創造神話的なものとはまるでちがっていた。
彼が万物の「起源」と考えた「水」は「神的なもの」ではなく、普通名詞の「水」だった。
彼の弟子にアナクシマンドロス(紀元前六一二~五四七年ごろ)、アナクシメネス(紀元前五八五~五二五年ごろ)などがいる。
アナクシマンドロスは「アルケー(起源)」は水ではなく「無限なもの(ト・アペイロン)」であると考えた。
アナクシメネスのほうは空気(アエール)をアルケーとした。
このように弟子にうけつがれたものは、タレスの万物の起源は「水」という説ではなくて、「世界は何から生じたか」「本当に水からか」という問題のたて方だった。
学問が彼からはじまるというのは、こういう意味であったし、またギリシアから学問がはじまったというのも、そういう意味であった。
ギリシア人の「都市国家(ポリス)」は自由な市民の国だった。したがって、ギリシア人たちは超越的な神的な力を借りてこの世を説明せず、より合理的にこの世界のはじまりを考えることができた。
それに反して専制的な王が支配していたオリエント社会では、王はあらゆる権威に対して人民が無批判にしたがうことを要求し、そこでは人々は迷信にも従順であった。オリエント社会では先生の説くことは、批判せずにそのままに信じることが要求された。
世界の起源は「水」であると師にいわれれば、弟子は無条件でそう信じなくてはならなかった。
しかしギリシア社会では、先生の説も疑ってかかるところから弟子の研究ははじまる。
だが、じつはタレスや彼の弟子たちのような考え方は、そのころのギリシア社会では、やはりエリートだけのものだった。
2 日蝕を最初に予言した人
4 タレスの学問
タレスが日蝕を予言したのは、何も日蝕の原因を正確に彼が知っていたためではなかったことは前に書いた。
当時メソポタミアやエジプトにたくさん貯えられていた天文の記録を利用して、将来を推定したものにすぎなかった。
メソポタミアやエジプトなどでは農業が経済生活の根本であったから、気候、天文の観測は古くから行なわれ、その記録はたくさん貯えられていた。
しかしオリエントでは、それらは単に知識として貯えられたにすぎず、それらを整理して、一つの法則をさがしだそうという努力はされなかった。
タレスの予言は完全な法則化ではなかったが、その方向への一つの動きではあった。
アリストテレスは、タレスを「学問をはじめた人」としているが、それはそういう意味だった。
知識を体系づけ、法則化し、ものの根本原因をさぐろうとするのが、タレスの学問の研究法だった。
彼は万物の「起源(アルケー)」は「水」であるとした。
これはたぶん何の中にでもいくらかは「水分」がふくまれていることを観測しての結果であったろう。
彼は泉にも気がつかずに落ちるほど、観測に熱中した人だった。
バビロニアの古い伝説でも、「世界ははじめはみな海であった」といっている。
しかしそこに、神のマルドゥクが水の面にむしろをかぶせ、どろをつくって、これをむしろのそばに積みかさねたと、世界の起源をバビロニア人は語っている。
タレスの考え方は、このマルドゥクのような神的なものが世界をつくったり、人間的な神が男女のように結合して、そこから何かが生まれていくというような、多くの原始人のあいだに見られる、創造神話的なものとはまるでちがっていた。
彼が万物の「起源」と考えた「水」は「神的なもの」ではなく、普通名詞の「水」だった。
彼の弟子にアナクシマンドロス(紀元前六一二~五四七年ごろ)、アナクシメネス(紀元前五八五~五二五年ごろ)などがいる。
アナクシマンドロスは「アルケー(起源)」は水ではなく「無限なもの(ト・アペイロン)」であると考えた。
アナクシメネスのほうは空気(アエール)をアルケーとした。
このように弟子にうけつがれたものは、タレスの万物の起源は「水」という説ではなくて、「世界は何から生じたか」「本当に水からか」という問題のたて方だった。
学問が彼からはじまるというのは、こういう意味であったし、またギリシアから学問がはじまったというのも、そういう意味であった。
ギリシア人の「都市国家(ポリス)」は自由な市民の国だった。したがって、ギリシア人たちは超越的な神的な力を借りてこの世を説明せず、より合理的にこの世界のはじまりを考えることができた。
それに反して専制的な王が支配していたオリエント社会では、王はあらゆる権威に対して人民が無批判にしたがうことを要求し、そこでは人々は迷信にも従順であった。オリエント社会では先生の説くことは、批判せずにそのままに信じることが要求された。
世界の起源は「水」であると師にいわれれば、弟子は無条件でそう信じなくてはならなかった。
しかしギリシア社会では、先生の説も疑ってかかるところから弟子の研究ははじまる。
だが、じつはタレスや彼の弟子たちのような考え方は、そのころのギリシア社会では、やはりエリートだけのものだった。