聖アポリナリス司教殉教者 St. Apolinaris E. M. 記念日 7月24日
ローマの暴君ネロは聖会に猛烈な迫害を加え、信者達を或いは猛獣の餌食とし或いは生松明として焼き殺すなど残虐の限りを尽くし、それでキリスト教を全く根絶し得たものと思い上がっていた。しかし使徒達はいち早く後継者を定めて宣教師を選び、わが亡き後を委ねておいたから、布教は厳しい当局の取り締まりの目をくぐってなおも続けられ、それに数々の責め苦拷問にもめげず従容死に赴く殉教者達の壮烈な態度は、いたく人々の心を動かし、新たに聖教に帰依する者も少なくなかった。かくて聖ペトロ、聖パウロ両大使徒が殉教した時には、ローマ以外にも数名ないし数十名の信者を有する都市がいくつもあったが、中でも比較的早く教会が出来たのはイタリアの北部にあるラヴェンナ市で、その創立者こそ他ならぬ聖アポリナリスという司教であった。
古い伝説によれば彼は親しく聖ペトロの命を受けてその町に行ったという。それに就いてはあいにく歴史に何の確証もないが、万一それが誤りであるとしても、兎に角教皇の聖座のあるローマからラヴェンナに乗り込み、ペトロのような使徒的精神を以て布教に活躍したことは疑いない。そしてさまざまの奇跡を行い、間もなく少なからず信者を得てその最初の司教となったのであった。
アポリナリスが祈祷によって行ったと伝えられている奇跡の中、主要なものが三つある。その一つは耳が聞こえず口が利けなかったボニファチオという貴族が治って物をいい、その二つはその娘に憑いていた悪魔が追い払われ、その三つはルフィノという人の娘が死後蘇らされたことである。
アポリナリスの目覚ましい伝道振りはやがて世人のあまねく人の知る所となり、彼は異教の僧侶達に敵視されるに至った。時あたかもローマに迫害が始まったという噂も伝わったので、彼等はこれ幸いと早速アポリナリスを捕らえ、総督の白州へ引き立てて行った。
総督は彼に信仰を捨てさすべく、まずその全身を見るも痛々しいまでに鞭打たせ、次いで真っ赤に灼熱した鉄の上を裸足のまま渡らせるなど、残酷な責め苦拷問にかけた。ところが不思議にもアポリナリスは何の障害も受けなかったから、総督はじめ居合わす人々は大いに驚き、詮方なくこれをその町から追放することにした。
しかるにアポリナリスは「わが名の為に汝等すべての人に憎まれん。されど終まで耐え忍ぶ人は救わるべし。この町にて迫害せられなば他の町に逃れよ」(マテオ10・22-23)という主の聖言を思い、他の町へ行きそこで福音を宣べ伝えた。その為彼はまたも裁判所へ引かれ、棄教を強要され「小さき馬」と称する責め道具にかけて身体を引き伸ばされたり、煮え返る熱湯を浴びせられたり、石や歯や顎を砕かれたり、散々苦しめられた末丸木船に乗せられ海中深く沈められようとしたが再び天主の御加護に一命を全うして無事トラキアの海岸に漂着したのである。
アポリナリスはその地に於いても暫く布教を試み、後ラヴェンナに帰って久しく牧者を失っていた子羊の群を懇ろに指導したが、幾ばくもなく三度捕らえられて法廷に送られた。しかし法官は彼を助けたいと思い、人知れずこれを逃がしたところ、数人の兵士達は異教の僧侶達にそそのかされて不意に棍棒でめった打ちにし彼の倒れるのを見すまして立ち去った。
やがてキリスト信者達は彼を見いだし大いに驚いたが、なお息があるようなのである所に運び手厚い看護を加えたけれども彼が善の為に迫害を忍んだその報いを受くべくこの世を去るのは、既に天主の思し召しであったのであろう、一切の手当もかいなく受難の7日後アポリナリスは永遠の眠りについたのであった。
教訓
「我はわが羊の為に生命を棄つ」(ヨハネ10-16) 聖アポリナリス司教は主イエズスと共に心からこういうことの出来る幸福な人の一人であった。我等も自分に委ねられた人々の為に、同じ犠牲の精神、同じ責任感を以て尽くすよう心がけてその為絶えず天主の御助けを求めよう。
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ローマの暴君ネロは聖会に猛烈な迫害を加え、信者達を或いは猛獣の餌食とし或いは生松明として焼き殺すなど残虐の限りを尽くし、それでキリスト教を全く根絶し得たものと思い上がっていた。しかし使徒達はいち早く後継者を定めて宣教師を選び、わが亡き後を委ねておいたから、布教は厳しい当局の取り締まりの目をくぐってなおも続けられ、それに数々の責め苦拷問にもめげず従容死に赴く殉教者達の壮烈な態度は、いたく人々の心を動かし、新たに聖教に帰依する者も少なくなかった。かくて聖ペトロ、聖パウロ両大使徒が殉教した時には、ローマ以外にも数名ないし数十名の信者を有する都市がいくつもあったが、中でも比較的早く教会が出来たのはイタリアの北部にあるラヴェンナ市で、その創立者こそ他ならぬ聖アポリナリスという司教であった。
古い伝説によれば彼は親しく聖ペトロの命を受けてその町に行ったという。それに就いてはあいにく歴史に何の確証もないが、万一それが誤りであるとしても、兎に角教皇の聖座のあるローマからラヴェンナに乗り込み、ペトロのような使徒的精神を以て布教に活躍したことは疑いない。そしてさまざまの奇跡を行い、間もなく少なからず信者を得てその最初の司教となったのであった。
アポリナリスが祈祷によって行ったと伝えられている奇跡の中、主要なものが三つある。その一つは耳が聞こえず口が利けなかったボニファチオという貴族が治って物をいい、その二つはその娘に憑いていた悪魔が追い払われ、その三つはルフィノという人の娘が死後蘇らされたことである。
アポリナリスの目覚ましい伝道振りはやがて世人のあまねく人の知る所となり、彼は異教の僧侶達に敵視されるに至った。時あたかもローマに迫害が始まったという噂も伝わったので、彼等はこれ幸いと早速アポリナリスを捕らえ、総督の白州へ引き立てて行った。
総督は彼に信仰を捨てさすべく、まずその全身を見るも痛々しいまでに鞭打たせ、次いで真っ赤に灼熱した鉄の上を裸足のまま渡らせるなど、残酷な責め苦拷問にかけた。ところが不思議にもアポリナリスは何の障害も受けなかったから、総督はじめ居合わす人々は大いに驚き、詮方なくこれをその町から追放することにした。
しかるにアポリナリスは「わが名の為に汝等すべての人に憎まれん。されど終まで耐え忍ぶ人は救わるべし。この町にて迫害せられなば他の町に逃れよ」(マテオ10・22-23)という主の聖言を思い、他の町へ行きそこで福音を宣べ伝えた。その為彼はまたも裁判所へ引かれ、棄教を強要され「小さき馬」と称する責め道具にかけて身体を引き伸ばされたり、煮え返る熱湯を浴びせられたり、石や歯や顎を砕かれたり、散々苦しめられた末丸木船に乗せられ海中深く沈められようとしたが再び天主の御加護に一命を全うして無事トラキアの海岸に漂着したのである。
アポリナリスはその地に於いても暫く布教を試み、後ラヴェンナに帰って久しく牧者を失っていた子羊の群を懇ろに指導したが、幾ばくもなく三度捕らえられて法廷に送られた。しかし法官は彼を助けたいと思い、人知れずこれを逃がしたところ、数人の兵士達は異教の僧侶達にそそのかされて不意に棍棒でめった打ちにし彼の倒れるのを見すまして立ち去った。
やがてキリスト信者達は彼を見いだし大いに驚いたが、なお息があるようなのである所に運び手厚い看護を加えたけれども彼が善の為に迫害を忍んだその報いを受くべくこの世を去るのは、既に天主の思し召しであったのであろう、一切の手当もかいなく受難の7日後アポリナリスは永遠の眠りについたのであった。
教訓
「我はわが羊の為に生命を棄つ」(ヨハネ10-16) 聖アポリナリス司教は主イエズスと共に心からこういうことの出来る幸福な人の一人であった。我等も自分に委ねられた人々の為に、同じ犠牲の精神、同じ責任感を以て尽くすよう心がけてその為絶えず天主の御助けを求めよう。
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