マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
24、地獄はどこに在るか
地獄はどこにあるか?という問題について、定った説はない、
しかし、公教会の伝統と教理とによれば、世の終りに甦った罪人の肉体は地球の中軸にある火の中に落ちると説明してある。トリエントの公会議によって発行せられた公教要理にも「地獄の火は地球の中心にある」と印されてある。
聖書に「開闘からの善人たちは救世主を信じ、古聖所にあって大いなる希望にみたされ、主の御誕生を待ちたりき。主は救世事業を果したる事を彼らに告げんと彼所にゆき給いぬ。イエズスは古聖所に昇るため、罪の償いをなす霊魂をも慰あんと、煉獄にも往き給い、終りに救世事業を成就して罪と死とに打ち勝ちたる事をサタンとその使らとに知らすため、地獄にも往き給いたり」とある。
是れを以ってみれば、地獄は地球の中心にあると明らかに示めしておるとは云いがたくとも、さようであろうとうなずかるる所は充分である。
地質学者等の言葉によれば「地球の中心は、火と硫黄と渥青との大海にしてその状態の如何に猛烈なるか、如何に恐怖すべきか、形容する言語がない」と云う。
日本に於いては、噴火山の破烈が時折あり、之を実験した人々は怖ろしい地獄の幾分を悟るであろう。聖霊の黙啓によりて記された聖書に「罪人は深き穴に落される」と始終書いてあるのは、彼慮のことである。地獄は地球のごく深い場所と考えられるし又、公教の神学博士等も亦そう説明するのである。
偶像教徒殊に古代ギリシヤ、ローマの偶像教徒は偶然公教の説に強い証拠を与えた。その者達は「後世の罰の場所は地下にある。この苛酷ところの司権者はプルトンという神(サタンのしるし)で罪人を苦しめる責具は火である。この他に今一っの場所がある。これを楽(これは古聖所の不思儀なる古い昔の反影)と称する。ここは割合に平和と陰うつな幸福とを受る」と云って居る。
聖オグスチノ、聖トマ等の記した如く、霊肉分離の後は埋葬……即ち肉体は地下に降ろされ、罪の償として腐敗する。この際に罪ある者の霊魂は清められるために煉獄に停留し不幸にして大罪を持つ霊魂は、地獄に落つる
天主によって起こされた復讐の火に投ぜらるるは道理である。一例をあげればここに死刑者(殺人犯)がいるとすれば、この者は何庭で死刑となるかは不明であっても死刑とその場所とは確かである。要するに地獄がどこにあってもよいとに角そこに行かぬように考え、そこに行かぬように行うのが緊急要事である。