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マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
43.第三 公教会的信者の生活を以って自己の救霊を確実に保証する事
犬や猫のように、起きては寝、寝ては又起きると云うようなことは公教信者は絶対的にあってはならぬ。
公教信者は、朝起床の時、又夜分就前、祈りをもって自分の心と行いとを天主に捧げねばならぬ。もし暇のない時、疲労のため長き祈りが出来ぬならば、熱心をこめたる短かき祈りでもよろしい、主とう文、天使祝詞、使徒信経の三大経で充分である。これに痛悔の祈りを加えるのは良き習慣になる。
もし不幸にして急死することがあらばこめ痛悔の祈りこそ、その急死の準備であるのだから、天主の恐ろしき裁判をも、安心して受けられるのである。
コンタツ(ロザリオ)を手ににぎり、或はくびにかけて眠るまで、つまぐるのは、聖母の御保護を受くるため、立派な方法である。
もし即死するようなことあらば、聖母は御自分で、私審判の法廷にのぞまれ、御子キリストの御前にてこの信心家、聖母に対する崇敬者なるこの愛子のため、有力ある弁護の労を取りて下さるに相違ない。
睡眠は死と永遠との象りである。故に寝る度毎に、私は何時か死ぬであろう、その時は現在あるこの肉体も冷たくなり、蒼白めて堅くなるであろうと考うることは、救霊のため、効果ある霊薬となるのである。
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